人は何のために芸術をするのか、キュレーションの立場から


私は今パリの大学院で、メディアシオン、キュレーションについての勉強をしている。

日本の大学でもすでに芸術学を学び、ギャラリーなどで仕事をしているのでかれこれ12年ほどこのジャンルに関わっているのだが、

この度あるイベント(なんと言っていいのかよくわからないのだけど、催しもの)を企画しようとゼロからいろいろ考え始めた。

結局いつも同じところで頭と体が止まってしまう。

私はどうしてこのプロジェクトを達成しようとしているのだろうか…

この企画はなんのためにするのだろうか?

自分がその景色を見たいから?
すでにどこにでも見れるんじゃないか?
自分独自のキュレーションでものが見たいから?
ぜひ世間に知ってほしいアーティストがいるから?

なんだかよく分からなくなっていく。

そして、いつも自分に問われるのは

芸術とは?

人間にとって、人生にとって芸術、芸術活動とは?

作品を作っているアーティストにとってはもう少しシンプルなのかもしれない。

きっと表現したいものがあるのだから。

では、それをメディアシオン、キュレーションする立場からすると芸術ってなんなのか?

どうして私がその勉強、仕事をするのかってところは
「好きだから」でいいのだけど、

じゃあそもそもこの仕事ってなんのためにあるの?


ってところにいつも立ち戻ってしまって答えが出ない。


うーん。ここ何年か生きる気力が希薄で、全ての活動に意味を見出せなくなってしまったので、こうゆうことばっかり考えてしまう。

何年か前までは「好きだから」だけで突っ走れたけど、今はそうゆうことをできる状態ではない(自分自身が)。

年齢のせいではなく、ただそういう時期なのだと思うけれど、無気力に近いから、理由がないと、モチベーションがないと動けない。

困ったもんだ。

#アート #アーティスト #キュレーション #メディエーション #コンテンポラリーアート #フランス #大学院

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