「どうやったって」
二週間後にオンラインで生前葬を開く、詳しくは追って、というメールが父から届いた。送信先には母のアドレスも含まれていた。
現在、わたしたちは別々のところで暮らしている。両親はわたしが二十歳を超えてから離婚した。父は北陸の実家に残った。母は故郷の四国へ戻り、新しい生活を始めた。わたしは大学進学の際に上京したあと、そのまま住み続けている。十年近くに渡り、中央線沿線の街を西へ東へと移ってきた。
父と母は没交渉というわけでもなくて、一昨年にはわたしの従妹の結婚式にそろって出席した。まだ気楽に移動できた時代のことだ。
一か月ほど前、夏真っ盛りのころにドラマーの彼氏が出ていった。元々バンドだけではまともな稼ぎがない上、この状況ではライブをやるのも難しい。明らかにわたしからの当たりはきつくなっていたし、相手の反発も強まるばかりだった。摩擦の多い関係に段々と疲弊していく。最後はたいした言い合いもなく、ドラマーはいなくなった。何かのあてつけのようにドラムスティックが遺され、それには一度も手を触れていない。
この夏、辺りはひどく静かだった。五百キロ近く離れた母の町とわたしが暮らす街では、八月に同じ踊りの祭りが開かれていた。けれど、早々に中止が決まった。全国のあらゆる祭りも同様で、夏の風物詩は遠いものとなってしまった。
以前、母から祭りの様子を写した短い動画が送られてきた。こちらの街にも関わりのある連の踊りらしい。数年前に越してきてから、夜明けまで続く躁状態の雰囲気だけは感じていた。けれど、わたしは祭りのことをちゃんと知らなかった。生の踊りを間近で見たこともなかった。
その後、より詳しい生前葬の案内が父から届いた。日時や専用のURL、オンライン会場に入るためのパスワードも記されている。
ようやく父と連絡を取った。元気そうな声だ。生前葬をやるくせに、と思ったけれど、どんな調子でいれば正解なのかもよくわからない。
「こういう時代だから」
ことの次第を説明するにはあまりに胡散臭い言葉が父から発せられた。それをそのまま伝えると、父はことさら快活な調子で笑う。
「いざ葬式となったときに、ちゃんと集まれるかどうかわからないご時世なんだし、この際、試しにやってみたらいい」
父らしい能天気さやマイペースぶりもひさしぶりだ。同意していいのか、たしなめたらいいのか迷った。結局、そのどちらも正しくない気がして、今度はわたしがわざと明るい調子で笑った。
ネットに詳しい社員からすべて取り仕切ってもらうらしい。生前葬に部下を駆りだしても平気な父の神経を疑う。けれど、わざわざ否定的なニュアンスで指摘したくなかった。
幸いなことに、わたしは以前から在宅で仕事をしていた。参考書や問題集の校閲が主な業務で、教科書の改訂時期によって依頼の量が大幅に変わる。この異様な状況下と繁忙期が重なり、次から次へと締め切りが迫ってくる。
元々、運動不足気味な生活を送っていて、自粛期間でその傾向はさらに強まった。そのため、ちょくちょく散歩するようになった。ドラマーがいたころは、気分転換もかねて一人になりたかった。漠然とした不安や緊張感を抱いたまま外に出ることで、日常と非日常の境界がぼやけていく。
通りにはいつも使用済みのマスクが落ちている。わたしはそれを拾い始めた。最初の混乱が収まって、マスクだけでなく消毒液やトイレットペーパーの品切れ状態も緩和されつつあったころだ。ずるずると先延ばしにされていたかのような、梅雨の終わりもようやく訪れた。
近所のクリーニング店の前にマスクが落ちていた。暗い色のアスファルト上で、新品みたいな白さがやけに目立った。散歩の終わりに戻ってくると、バイクのタイヤらしい跡が表面にくっきりと残されていた。その変わり様になのか、真新しさと汚れのギャップになのか、わたしは無性に落ち着かなくなった。
翌日にはもう準備万端だった。ポリエチレンの手袋とビニール袋を持って出かける。クリーニング店のマスクはすでになかった。けれど、そのすぐ近く、ジュースの自動販売機の前に別のものを見つけた。それもまた下ろし立てみたいだ。わたしは慎重に手を伸ばす。もちろん、ウィルスに対する恐怖はあった。拾ったマスクを袋で何重にも覆った。そのまま帰宅してすぐに手を洗う。もうやめよう、とそのときは思った。それでも次の散歩中には、またマスクを探していた。
母とも一度、父の生前葬のことで話した。まるで意味がわからない、と言いながらも母は参加に乗り気なようだ。ときどき、母の声にばりばりと雑音が混じった。
祭りのことにも話題が移る。このタイミングでなかったら言わなかったかもしれないけれど、いつか落ち着いたらそっちの踊りを見に行きたい、と母に伝えた。母も、東京のほうの祭りを見てみたい、と応えた。それから父の悪口めいたことを言い合い、一盛り上がりした。
締め切りぎりぎりで間に合った原稿をメールや速達で送ったあと、寝不足の状態で街を歩く。そんなときはマスクを拾う緊張感が余計に高まった。気を緩めたらいけない、と意識しつつ、かがんで紐に手を伸ばす。手袋のせいで、指先がぶよぶよと膨張したように見える。
負い目も正義感も深刻な現場にいる人たちへの感謝も、あるのかないのかもはっきりしない。破滅的な衝動、というわけでもないとは思う。それでも落ちているマスクのことが気になってしまう。そして家では原稿に向き合う。化学がわたしの担当だ。その校正原稿には、調和の取れた、ある意味で完結した世界が広がっている。
外ではいろいろなマスクを見かける。不織布タイプは形や紐の太さもまちまちだ。雨に濡れていたり、泥が付着したり、派手な染みがついているものもある。布製やウレタンマスクもよく拾う。それも個々に色やデザインが違っている。
拾ったマスクは可燃ごみとして出す。そこにウィルスがいるのかどうかもわからない。散歩の実態について、ドラマーには何も話さなかった。彼はきっと、ごみ袋の中に持ち主不明のマスクが混ざっていることに気づきもしなかっただろう。
帰宅したあとは丁寧に手を洗う。ハンドクリームも欠かせなくなった。何種類かストックしてあって、特に「ほがらかジャスミン」の香りがお気に入りだ。
いつだって、わたしたちの周りにはマスクが落ちている。入手困難な時期にも捨てられていた。いったい誰が落とすのか、その瞬間を見たことはなかった。それでも日に二、三個は拾う。これまでの最高記録は八個だ。
本来だったら祭りが開かれ、人であふれているはずの日曜の夕暮れどきだった。ドラマーがいなくなって、二週間近くが経っていた。わたしは太鼓や笛の音、踊り手たちのかけ声や観客の熱狂する様子を思い描きながら歩き、交差点の近くで紺色の布マスクを見つけた。この通りも踊りでにぎわっているはずだった。ねじれた紐に指を伸ばしたとき、背後から男の声がした。
「具合でも悪いんですか?」
一旦、わたしは腕を引いて、しゃがんだままの体勢で振り返った。スーツ姿の男が首を差し出すように見下ろしていた。マスクを拾っています、と正直に告げた。男は、ああ、と声を漏らし、それから舌打ちをした。すみません、とわたしは謝った。同時に、マスク越しでも聞こえるくらいの舌打ちってどうやってやるんだろう、とも思った。男はその場から動かない。指の先に紐を引っかけて、袋に入れる。緊張して手が震えていた。なんとかビニール袋にしまって立ち上がった。男は何も言わず、睨みつけるようにわたしを見ていた。わたしはゆっくりとその場所を離れた。
帰る途中、マスクだけつけた全裸の変態が夜中に出没する、という噂を思い出した。自粛生活が始まったばかりのころ、ドラマーが教えてくれた。それを聞いたときは、なぜか興奮して二人でずっと笑っていた。
先ほどの男を勝手にその変態だと決めつけ、マスクが落ちているかどうかも気にせず歩く。段々と早足になっていく。帰宅して手を洗っているころにはその変態像がドラマーへと変わっていて、わたしは大げさに舌打ちをしてみた。
生前葬当日の夜明け方、まだ暗いうちから散歩に出かけた。ずいぶん長めに歩く。珍しくマスクを一度も見かけず、何も拾わずに帰ってきた。早秋の朝は空気が冷えていた。それでも汗をかいたのでシャワーを浴びて、いつもよりもゆったりとした気分で眠った。
ショートメールの着信音で目が覚める。少し遅れるかもしれない、という母からの短い文章がスマートフォンの画面に浮かんでいる。あやうく寝過ごすところだった。慌てて着替えを取り出す。ハンドクリームの量を間違えて、手がぬるぬるになる。
指定されたところに入ると、父と部下らしい男の人がいた。わたしは黙ってモニターに映る二人の顔を眺める。背景がうす暗く、父は少し老けていた。しばらくしてから、白装束を着ていることに気づく。コントじみた絵面なのに、何一つ笑えなかった。
従妹が入ってきたので挨拶を交わす。少し遅れて別の親戚が数人、父の仕事関係の人たちも生前葬ルームにやって来た。見たことがある人もいた。名前を忘れた人もいた。わたしたちはぎこちない会話を続ける。肝心の父はまだ何も言わない。ときどきカメラの前から離れていなくなる。部下の人は、しばらくお待ちください、と言うだけで何も説明してくれない。
最後に母が入ってきた。母は集まった一人一人の名前を読み上げながら、律義に挨拶していった。
ようやく父の生前葬が始まる。例の部下の人が進行役を担当する。おごそかでも軽薄でもないムードで式が進む。宗教的要素は皆無だ。
父が自らの経歴を語り出した。少年時代の話がやたらと長かった。やがて母との出会いと結婚、わたしが生まれる際のエピソードも触れられた。モニターに映る自分の頭がぼさぼさで、今さら気になってくる。父の話を聞きながら指先で髪を梳く。ハンドクリームの花の匂いが毛先に移る。あっという間に両親は離婚していた。わたしたち家族も散らばる。そして急にいろいろなことが端折られ、このウィルス禍について話が移った。
「全国各地へ自由に行き来するのも、直接顔を合わせるのも厳しいこの時代、こうしてみなさんと離れたまま、いつ死んでしまってもおかしくありません。だから、今のうちに、さようならを伝えておきたい、と思ったんですね」
やけに変なテンションだった。抑揚もおかしい。そのうちに泣き出すのではないか、と思ったけれど、父は突然黙り込んだ。それどころか父だけ映像が切れた。部下の人がばたばたする様子が流れる。少々お待ちください、という言葉が放り出されたきり、何もかもが宙ぶらりんになった。
わたしたち参加者は黙ったままだ。母の表情が硬い。画面に分割された見知った人の顔、なじみのない顔を前にして、父や母がマスクしている様子をうまく想像できないことに気づいた。遠く離れているからこそ、わたしは二人のマスク姿を知らないのだ。
やがて父が戻ってきた。光沢を帯びた紫色のスーツに着替えていた。せっかくなので踊りましょう、と父が言う。音割れするくらいの大声だった。遅れて、わたしたちはざわついた。それを打ち消すかのように、重低音の効いたビートが流れてくる。規則正しく、強弱をつけた音が響く。ようやくすべてが馬鹿々々しく思えてきた。
「最後にみなさんからお別れの言葉を頂戴する前に、まずは我々の未来のために、今ここで踊りましょう。さあ、ご一緒に、さあ、さあ」
父のこの物言いはかなり奇妙だった。少なくとも、わたしにはまるでぴんと来なかった。紫色の父は一方的に踊り始める。でたらめな動きだった。両腿を高い位置まで上げているし、口を大きく開けたまま顔を左右に振る。その動作は素早く、あやしい衣装がてらてらと揺らめく。踊る父の全身は枠内にしっかり収まっていた。
参加者たちは様子をうかがい、半ば動きが止まったままだ。そんな中、母が立ち上がった。顔が消えて、身体の一部しか映らない。それでも、わたしの街と母の町をつなぐあの踊りだとわかる。母のかけ声が変てこなタイミングで聞こえる。
わたしも立ち上がって、それに続いた。まともに踊ったこともないし、手足をそろえて左右交互に出す、という程度しかわからない。バックミュージックだって、あまりにも安っぽい。けれど、わたしは踊る。母を真似てかけ声もあげる。笑う参加者たちもいる。険しい表情で見つめる人もいる。クラブでも見たことがないような踊り方で、部下の人が激しく身体を震わせる。参加者の一部も続く。それぞれが思い思いに踊りだす。
オンラインだから動きがまるでそろわない。タイミングを合わせようとしたところで、ずれてしまうのだ。音が鳴り、かけ声が聞こえる。ばらばらに、でたらめに、揺れている。
どうやったって阿呆になる。ドラムスティックを取ってきて、あちこち叩いて盛り上げてみようか、とも思ったけれど、この光景を見逃したくない。父が踊る。母が踊る。わたしはモニターの前から離れられず、家族と、そしてよく知らない人たちと、踊り続けている。〈了〉
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