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「名前を変えてやる」

 気づけばレベル38になっていた。俺が、ではなくて、ぽぴよぴーが。
 
 ゲームを再開したらまるで知らない村にいる。なんだか、世界は平和っぽい感じになっている。勇者さま、ありがとうございます、みたいなことしか言われないし、ときどき白い鳥のつがいが飛んで、画面上を横切る。村の中を子供たちが走り回る。わーい、わーい、と言う子と、もう走れないよ、と言う子がいる。じいさんが、長生きはするもんじゃい、と言う。宿屋も商店も利用できない。
 
 クリアしていたとしても、プレイができるのもよくわからない。その後の世界を楽しめる特典、みたいなやつなのかもしれない。でも俺はラスボスを倒していない。その顔さえ知らない。
 俺は、というか、ぽぴよぴーが村を出る。草原を歩く。全然敵に遭遇しない。そういえば、パーティーメンバーはどこに行ったのだろう。モンクのクチベタ、魔法使いのエビアレルギー、戦士のドミューンがいない。ステータス画面を見ても一人きりだ。混乱しているが、俺は悲しい。きっとぽぴよぴーも悲しい。
 
 昔の漫画で、AIが勝手にプレイして進めている、みたいなやつを読んだ記憶があったけれど、本当にそんなことが起こっているのか。これがAI革命か! と俺は適当なことを思う。
 山っぽいところを抜けると城が見えてきた。
 
 城? 全然知らない、ここも知らない。グラフィックも異様に凝っていて世界観が変わった感じだ。入ってみる。ちゃんちゃんちゃんちゃん。変な効果音が鳴る。そして壮大な曲が始まる。
 城の中ではみんなが踊ってる。パーティーの途中だ。やっぱり平和なんだな、と俺は思う。けれど、ここでは勇者ぽぴよぴーが話しかけても誰も踊りを止めない。
 そのうち、勝手にぽぴよぴーが躍り出した。俺はそれを見ていた。曲だけが劇的なまでに荘厳で、あとは何もかも安っぽく見えた。
 ぽぴよぴーは踊り終わると、また無視された。俺は城をうろうろした。きらきらした宝箱があったのでそれを開けた。超グングニルを手に入れた。チープな音楽が鳴った。装備したら、パラメーターがチートみたいになった。まだボスがいたら一撃で倒せるくらいだ。
 でもたぶん、ボスはもういない。
 
 もはや俺の記憶なんてまるであてにならないけれど、ケルベロス姉さんが潜む洞窟に入る直前でセーブをしていた、ところまでは覚えている。二週間ほど前だ。勇者はレベル20くらいだった、と思う。そして俺は今、その倍以上のレベルの勇者を操っている。話が全然見えない。誰も何もガイドしてくれない。空を舞う白い鳥の数が増えていく。
 38でクリアできるんだ、という拍子抜けの感覚もある。
 ケルベロス姉さん、どんなやつだったんだろう。三姉妹いる、みたいな情報も聞き出していたのだけれど、そっくりみんな倒したんだろうな。俺は倒してないけど。
 
 城には隠し通路があり、それはひどく長くて細い一本道だった。やっぱり敵もいないし、誰か話しかけられそうなやつもいない。定期的に艶めかしい彫像が出てきて、その前を通り過ぎる。ひたすらループしているような感覚がして、頭がおかしくなりそうだった。つまらないので、やくそうを使ってみた。使えません、と言われた。ぽぴよぴーには何のステータス異常もなかった。
 勇者は自害しちゃいけないんだな、と思った。
 
 無限通路を歩いている途中、電話がかかってきた。古い友人からだった。
「ねえ、私のこと覚えてる?」
 Kが訊いた。
「もちろんだよ」
 俺は答えた。当然覚えていたけれど、顔がうまく思い出せなかった。それでも俺とKは同じバイト先でドーナツを売っていた。シフトがだいたい一緒だった。Kは余ったドーナツを大量に持ち帰った。俺はバイトを始めてから揚げ物をまったく食べたくなくなった。今も口にできない。
「今度、会おうよ」
 いいよ、と俺は言った。電話が切れた。楽しかった過去の思い出があとからよみがえってきた。
 
 ぽぴよぴーは通路を進み、やがて抜けた。俺はひどく安堵した。ひゃああ、と声をあげすらした。そしてそこに人がいた。村人A然とした恰好だったが、口調はえらそうだった。
「名前を変えたいんだな」
 はい、も、いいえ、も選択肢に出てこない。
 弱そうなぽぴよぴーという響きが好きだった。かわいらしい感じで、そのヒヨコ感が気に入っていた。それが世界を救うのだ。昔は自分の名前とか、かっこよさげな名前にしていた。いつから、こうなったのだろう。
 ぽぴよぴー、にしたのがいけなかったのか、と一瞬だけ思い、そのことで胸が痛んだ。ぽぴよぴーにしたせいで、今こんなことになっているのか。おかげで勝手に世界は救われたのか。
 理屈は全然わからないし筋もまるで通っていないが、そう思ってしまったことで俺は自分を責めた。
 改名センターの役割がよくわからないが、クリア後の平和な世界を生きるというのはまた新たな名前を必要とするということなのか、と好意的な、アクロバティックな解釈をした。そう思ったところで何も楽しくなかった。
 試しにKの名前を入れてみた。本当にそうしますか、という選択もなく、一発で変わってしまった。ぽぴよぴーの名前は失われた。
 村人Aはえらそうに、ふん、好い名前じゃないか、と言った。俺はそいつを殴りたかった。超グングニルでオーバーキルしたかった。そんなコマンドは出てこなかった。
 俺はその名前をくり返してみた。元勇者、K。声に出していると、かつての悲しかった思い出がよみがえってきた。俺はどうしてあんなことを言ったのだろう。そしてそれでも、尚、今になって連絡してきたのは、どうしてなんだろう。
 改名センターから離れた。ちゃんちゃんちゃんちゃん、とまた変な効果音が出た。見たことがあるのに知らない風景が広がっていた。今や空は白い鳥だらけで埋め尽くされていた。
 
 Kはべらぼうに強くて平和な世界の中で一人きりだった。俺はそれを操りながら、終わり方を探そうといつまでも彷徨っていた。

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