震災から10年…福島県から三陸まで ひたすら「海岸沿い」を走ってみた件
以前からやりたかったことがある
福島県から三陸の宮城県・岩手県にかけて、可能な限り「海岸に沿って」ドライブすること
震災からちょうど10年、復興の「いま」をこの目で直接観たかったからだ
一昨日(2021-09-01)におかげさまで実現することができました
福島の磐城の海にでてから、岩手に向かっていく
その間、ひたすらに右へ右へカジを切る
時に行き止まり、時に道なき道にいけど、ひたすらに
いま福島の原発や津波で更地になってしまったところがどうなってるかというと
ひとつは「太陽光発電」
池か下手すると湖か?と見紛うくらいのソーラーパネルが敷き詰められている
原発の分を太陽光で…電気を売る県としての矜持だろうか
南相馬が世界に誇る「ロボット開発」の拠点なのだそうだ…たしかにロボットなら放射能にも左右されない…ピンチはチャンス、逆境をチカラに変えている良い例かもしれない
もうひとつは「田んぼ」稲がたわわに実っている
売れないのでは?
つくる→売れない→補償金がでるらしい
避難区域に住民票はあるが、実際に住んでいるのは郡山…補償金で昼から呑む…
なんだかなぁ、とずっと思っていたが、実際に原発から帰還困難区域を走ってみて、いきなり家を追われる辛さ…リスク、その代償としての権利収入…
10年の月日、そうやって暮らしてきたのだろうか
原発は、道に迷った…というか右に右にカジを切り続けていたら、本当に迷い込んでしまい…
なぜかというと特に標識などはなにもないからで…
いきなり警備員が立っている入り口までいけた
防護服などは一切着ていない
たまたま震災前のデータのナビが搭載されている車
震災前の映像が3Dホログラフで投影されたらいいのに…とか思っていたら、それには及ばないが、近いしいものが目の前にあった
津波で更地になってしまったエリアは…田んぼか「ソーラーパネル」…そこをただただ真っ直ぐな新しい道路が一本貫いている…
右側にはひたすら続く堤防…10年たったいまも工事は続いている
震災前のナビデータを見る限り、少なくともそんな大きな道路が貫いていたわけではない…
ナビ上では、車は道なき道を、建物や畑を貫きながら、突き進んでいっている
宮城に入った瞬間、申し訳ないが、なにかしらの緊張感から解放された…解放された瞬間に、なにかしらの緊急感に包まれていたことを知った
添加物と同じで放射能も余程の強さでない限り、すぐに気分が悪くなったり病気になるわけではない
のだが、なんとなく気分が悪くなっていた…人間のイメージのチカラはスゴイ…想像で妊娠した状態になってしまうくらいに
原発の帰還困難区域が終わったあとすぐに人の営みが復活していた…その境目や
福島と宮城の県境になにがあるというのだろうか
それを左右するのは「言葉」とそれに伴う「イメージ」にすぎない
すべては「意識」の問題…福島という言葉の楔
宮城に入った瞬間にホッとしてしまう…なんだか無意識のうちに必要もないのに息を止めて(実際は止めてない)5時間以上走行していた
「せっかくの海沿いだし、海鮮でも」
「わかってはいるけど、福島の海鮮を口にするのは抵抗がある」
それは同行した「福島県民の方」のセリフだった
以上が僕ができるだけフラットな立場で体感体験した現実です
三陸…宮城〜岩手のレポートは後半で
本日もご拝読感謝
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