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学び直し

岸田さんの発言の一部が話題になっていますね。
私個人的な意見としては、学び直しという表現自体が大変愚かであるように思っています。人はいつ何時も、何かを経験し、そこから何か考え、新しいことを思いつき続けているはずです。それこそが、学びの本質であると考えています。
とは言え、以前紹介した韓非の思想を読み解いていけば、こう説いたからと言って、多くの人がすぐ学び出すとは言い難いということも熟知しているつもりではあります。
今日はそんな一部切り取られた発言と、それに対するいくつかの意見に対して、どうしてそういう人が多いのか、私がこのやり取りから得た学びをシェア出来れば良いと考えています。

ヒトは利によってのみ動く

既に過去の記事で何度も唯物論や禁欲主義について触れているので、ここでヒトを人間と表現することは敢えて避けています。ご了承ください。
先ず韓非の思想は、基本的に人に期待しない、信頼しないといった、人間不信というものを前提にしています。その上で、人と接するにはどうしたら良いのかということなのですが、韓非は、ヒトは己の利益のためだけには行動するという結論を見出します。
実際今回の"学び直し"の提案も、提案した側からすれば、時間を有効に使いスキルアップすれば、将来より多くの富を得ることが出来ますよ。という提案であるように見えます。しかしながら、これがあまりに現実と乖離しているから、非難の方が目立つ結果になっているように感じています。

学び直した結果

そもそも私自身、昨年夏前頃まで学び直しを行っていました。
前の仕事で少し覚束なかったofficeに関する知識を、資格を取る形で学ぶだけでなく、欠如していた自身の障害に対する理解や、自己に対する理解、コミュニケーションに於いて必要な配慮等、仕事を辞め、一呼吸置かなければ学び直す機会すら得られなかったものが多くありました。
そして、その結果、今回の提案のような新しい仕事、以前の経験と学び直して得たものを活かせる職場というものを得ることは出来ませんでした
仕事を辞めて就活する際、転職エージェントに始めに言われたことは今回の岸田さんの仰っていたことと大差ありませんでしたし、実際良く学べばステップアップ出来ると、当時は信じていました。
よくよく考えれば、誰もそのことに対して責任を取るとも言ってないし、保証もされていませんでした。ただ私が、何か利が確実にあるように思いこまされ、韓非風に言えば、ただ騙されただけだったのです。
その経験から言えることは、学び直した人に対する利の保証。つまり、学び直した人は企業や国が雇用する義務が発生し、かつ以前よりも多くの給与も同時に保証されなければ、岸田さんの仰ることは、ただの絵に描いた餅であり、人を動かす原動力になるとはとても言い難いですよね。
そもそも就労移行みたいな場所で2年間学んでも、就労出来る人は28.6%と、3割に満たない数字ですから、学び直す場所として適当ではなかったのかもしれませんけど。

金だけが利か

多くの人は、自分の金銭的な収益を上げるために基本的に学んでいます。特に大きな理由も無く、入れるのであれば大学に行くのも、日本企業の宗教染みた大卒信仰があるからと言う事以上に大きな理由は存在しないのではないでしょうか。逆に言えば、将来のビジョンが明確でない小学生の多くが、勉強に対して負のイメージを持っています。そこに利があると認識出来ないのです。ここで、敢えて多くという表現をしたのは、全ての小学生がそうではないからですね。要するに、勉強が好きな児童も一定数存在するのです。
単純に学ぶことに楽しさみたいなものを見出している児童は一定数居て、彼らは楽しいという己の利の追及のために、手段として勉強しています。
韓非は、金銭だけが利ではないと説いています。栄誉や心地よさ等、人が己にとって利となるものは、人によって異なり、各々が各々の利のために、それぞれ行動するということです。そういう意味では、私の学び直しに利が無かった、無駄だったということは無いように感じています。
先ずofficeに関してですが、純粋に日々の自己を観察する材料として、スプレッドシートを用いて可能な限り数値化しています。これは、医者にかかるときや、去年のコロナ後の後遺症観察の時に非常に役に立ちました。特にコロナ後遺症に関しては、曖昧に苦しいとかいうのではなく、例えばコロナ前のトレーニング内容とコロナ後のそれを比べて、スクワットのパフォーマンスが何%低下している、これに関して何か意見を下さい。と、データをかかりつけの医者に見せて直接問うことが出来ました。その結果、当時患っていた怪我だけでなく、コロナで変化した心肺機能や、当時増減した体重も加味した、非常に丁寧なリハビリメニューを組んでいただきました。
次に障害理解や自己理解とコミュニケーションに関して。これも日々人との繋がりを考える際、大変役に立っているように感じます。私のような自閉症は、友達を作るのが一般的に苦手とされていますが、就労移行で会った方を始め、他いくつかの場所での新たな出会いの中から、10人に1人くらいは、後日約束を取り付けて会ったり、遅い時間まで飲みに行ったりと、表面的な関係に比べれば深く関わることが出来る機会が増えました。中にはもう年単位で、色々なことを話したりする関係性を築けた方も居ます。そういったことを、意識的に行うことが出来るというのは、私にとっては大変な進歩であったように感じていますし、学ぶ中で得た大きな利であるように思っています。

情動で生きず、理性で生きる

結局のところ、こういうことだと思うのです。
他者に対して勝手な幻想を抱き、期待し、裏切られたように感じ、不平不満を喚き散らすのは、ただ条件反射で何に対しても吠える犬と変わりません。少なくとも私は、理性を持って思考し、自らの意思で自らを決めることが出来る人間でありたいと思っています。
学び直した先に何があると何も仰らなかった岸田さんも、もしかしたらそういうことを言いたいのかもしれません。本心は分かりませんけど、でももしそうであるなら、先にやるべきはもっと良い教育が必要な気はしています。

少し前に、twitchでゲーム配信をしている間の雑談ですけど、結構な企業に勤めている役職持ちの方であっても活きたプレゼンが出来るような、話の上手い人は少ないように感じるという話をしたのですが、結局のところ、ベースになる教育が活きていないのであれば、そうなってしまいますよね。
物質によって精神を規定され続ける奴隷のような国民が多い方が統治しやすいのは事実だと思うのですけど、そうであるなら、先ず良い状態に精神が規定されるほど、恵まれた物質を供給する必要があるように思うのです。
そうでないなら、全ての国民が情動ではなく理性を持って、改めてヒトという動物ではなく、人間として生きることが出来るような、そういう革命めいた出来事が必要な気がしています。

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