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第二子が産まれました!

noteを書く習慣がなくなってしまっていた。
自分の気持ちをつらつらとつづれて反応をもらえる貴重な場なので、感謝しつつ、言葉にすることで自分の心と向き合いたい。

待望の二人目が先月産まれた。

今回の出産は「出来る限り自分で向き合う」をテーマにしていた。
一人目の時はとにかく「夫と共に」と考えていたり、半年以上の長すぎる「里帰り」をしたりして、人に頼りまくる出産だった。助産院で産んだこともあり、助産師さんにも頼っていたように思う。
それは「一人ではない」という安心感を持てたという側面があると同時に「自分の心の弱さ」も浮き彫りになった。
すぐに愚痴を言ったり、弱音を吐いた入り、人のせいにしたり…。
一人目の出産を通して子供を持つ喜び、母になること、出産の偉大さなどを感じたからこそ、今度は出来る限り自分で頑張りたいと思った。

そう思った時に、出来る限りのストレスを最初から排除しようと思った。
長すぎず短すぎないちょうどよい親との距離感を保てる里帰り期間を設定し、臨月で夫と喧嘩しそうだから極力会わないようにして、産院もいざとなったら無痛分娩が出来る医療設備の整った場所を選んだ。

産婦人科に関しては、一人目は「自然な…私らしいお産」をうたい文句にした助産院を選んだので大きな方向転換だった。でも、そこで産んだからこそお産のすばらしさを感じ、どんな病院でも大丈夫と思えたのだ。一人目の時は母になる実感を持てない自分に焦り、自分の心と向き合う時間を作るために助産院を選んだので。

出産自体は、病院に到着して25分で産声が上がったので、安産だったと言えるだろう。

夜中にお腹が痛かったけど本陣痛はこんなもんじゃないと思って耐えていたら眠ってしまい、朝目が覚めた6時半ごろにはもう陣痛の感覚が2分程度になっており大慌てで病院に向かった。母の運転で7時20分に出発して通勤ラッシュの中嘔吐と共に破水して(その時は破水ではなく尿漏れだと思った)70歳を越える母に心配をかけまいと痛みをこらえて病院に到着。「病院に着いたらすぐに無痛にする」そう自分を励ましていたが、もう子宮口はほぼ全開だからそのまま分娩代で頑張ろうと言われ、頑張ることに。助産師さんたちは初対面だったけど、病院に着いたら安堵からかか、前回の出産と同じように子供のように退化して大騒ぎだった。「痛ーい」「もう引っ張り出して」「無痛にしたかったのに」など前回もだったけど後から思うと恥ずかしすぎる振る舞いだ。でもそうはいっても一気に産まれてくれたので、産声を聞いた時は「かわいい」と「ありがとう」の言葉と気持ちでいっぱいだった。かわいいという気持ちが一番強かったかな。

そこからの新生児のお世話は育休を取った旦那のおかげで、一人目の時は比べ物にならないくらい楽だった。
母乳の出が悪いことに前回はめちゃくちゃ落ち込んだけど、今回はもう出ないものは仕方ないと大らかに思えた。とはいえ、最初の頻回授乳は後悔しないように頑張ろうと決め頑張った。(でも完全母乳は程遠いので離乳食を食べるころに完ミにすると思う。)

夫の育休は一ヶ月で終わったけど、今もたくさんお世話をしてくれているのでかなりありがたい。
上の子がいる中で、赤ちゃんのお世話をすることが到底出来ると思えなかったけど何とかなっている。
もうすぐ2歳になるお姉ちゃんはどんな気持ちなのかよくわからないけど、抱かせろとかミルクをあげさせろと主張したり、突然名前を呼んでぎゅーしたり、好意的に向き合っているようだ。
思ったような赤ちゃん返りもほとんどなく、下の子が産まれたからとは寒けなく2歳を前にしたいやいや期が大変という感じ。
もちろん無理させているのかもしれないから、出来る時にたくさんかまってあげている。というかほぼほぼ上の子中心だ。

夫とは喧嘩することも多いけど、なんとなくこの人はこういう性格だからこうしようがようやくようやくつかめてきたような気がする。
後、夫の仕事上の問題が解決して基本的に彼の機嫌が良いということもあるけど。

二人の子供を眺めていると、親になったという喜びをしみじみと感じる。
上の子の時は、まだそれを受け止められずみぞみぞした変な気持ちになったのだけど。
ああ可愛い、ああ可愛い。
親ばかになるのは遺伝子期的に組み込まれているのだろうか。不思議なくらい自分の子供たちが可愛い。
そんなことを思うくらい二人を大切に思えているので良かった。

しばらくは少し大変な日々が続くけどずぼらな性格を活かして、適当に育児を行っていきたい。

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