見出し画像

楽器店で 絶望を味わう

市内の楽器店へ行った。
最近、再販されたという 藤井風さんの ピアノスコア。それを『見てみたかった』からだ。

ただ 楽器店には上のものは置いていなくて、こちらがあった。


手に取って、中身をパラパラ、と見てみる。

想像していた通りだ。
難しい。
特に 左手のパートが、どう頑張っても「弾けない自信」でいっぱいになる。




私は幼少期にピアノの経験が全くない。当時、家にはピアノを習うという余裕がなかった。生活環境もそうだが、経済的にも難しい。
それは子供なりに察することができる状況。だから 私は親に『ピアノを習いたい』とは一言も言わなかった。

仲良くしていた隣の家の友達は習っていて、家から漏れてくる その音を聞いていた。そして いつも同じ箇所でつまずく。

上手いとか下手とかではなく、私はそのつまずきも含めた 友達のピアノが好きだった。




家にピアノはないけれど、学校で使う鍵盤ハーモニカならある!それで 今は忘れてしまったが好きな曲を吹い(弾い)ていた。

大人になって、下の子が幼稚園に上がると、大人のエレクトーンレッスンに通い始めた。

なぜピアノでなかったか、それは、家にエレクトーンはあったが、ピアノがなかったからだ。

子供たちは ヤマハのレッスンを受けていて、子供たち用に購入したエレクトーン。それを私も使うことにしたのだ。


エレクトーンは 3段鍵盤で 主に 左手でコード、足でベース、右手でメロディ。こんなふうに楽器を操る。

シーケンスでリズムを自動演奏させれば 簡単な曲であれば 思いのほか 達成感を味わえる。そして楽しい!


吹奏楽をやってきたので 譜面は読める。けれど、指がまわらない。
まして 利き手ではない 左指は『脳みそと指は繋がっていない』かのように 言うことを聞かない。

エレクトーン初心者レベルは伸ばしっぱなしで鍵盤を押さえれば、レジストで組んである、エレクトーン内部のすごい機能で、刻んでバッキングにしてくれる。


風さんのスコアの左手、エレクトーンでは押さえっぱなしの左手が、みごとに分散されている。8分音符などで 1オクターブ位は 音が流れていく。

でもこれ、風さんに限らず ピアノ譜は きっとこんな感じのはず。




エレクトーンの始まりはこうだった。
吹奏楽部で 吹いていたアルトサックスは ト音記号。なので右手の譜読みはできた。だが左手のヘ音記号が全く読めなかった。

ヘ音記号

最初は『上から・・(てんてん)ド』と教わった。
五線譜の間、下から 2つ目が『ド』ということになる。

エレクトーンは足でも鍵盤を『踏む』
椅子に座る位置を いつも同じにして、足を下ろしたところが同じ音を踏めるように。最初は足を見ながら 『ド』の位置を覚えていく。体がだんだん覚えていって、次第にドから離れた音も下を見ないで踏めるようになった。

こんなスロースタートな私が弾きたい曲といえば、バリバリのジャズ。

コードもリズムも複雑。
いくら エレクトーンの凄い機能が助けてくれるとはいえ、曲のレベルと自分の能力とに差がつきすぎる。

とにかく、ど根性で 練習すれば、もう少し人並みに弾けるんじゃないか、と 15年頑張った。だが 今は辞めてしまった。

レッスンと並行して ライブやコンサートでプロの演奏を聴いてきた。
演奏能力がおいてきぼりのまま「あぁ、この曲も弾いてみたい」な想いだけが どんどん積み上がっていく。

簡単な曲は弾けても、それは自分が弾きたい曲じゃない。自分が弾きたい曲は 私なりに努力したけど完成しないまま。

弾きたい曲と演奏能力のギャップ。

この状況に耐えられなくなったのだ。
自分、ホント めんどくさいな、って思う。




楽器店で 譜面を見ていると
「やってみようか」な気持ちが 1%
残りの 99%は 「絶望感」

いざ弾こうとしても、あのギャップの壁に ぶち当たる予感しかない。もしもう少し初心者向けの譜面があっても 両手の 10本の指を バラバラに動かすことは…私にできるのだろうか。

お歳を召した方が「ピアノ始めました」な話を見聞きすることがある。
スゴいな、尊敬する、と私は思う。

練習の大変さを身をもって知っているからこそ、始められないのだ。
出来ないから怖い、などではなく、努力が報われない悲しさをしっているから。


幸か不幸か、エレクトーンを習い始めた頃にはなかったピアノ、今はリビングにある。 娘が音大を受験する際、必要になって購入した 中古のアップライトピアノ。もう何年も調律がされていない 可哀想なピアノだ。


この記事は 何日か下書きのままだった。いろんな気持ちが交錯して 文章がまとまらないでいた。そうこうしている間に 最近、初心者用の 風さんのスコアを見つけてしまった…!
中級者用ならエレクトーン用の風さんのスコアが存在することも知っている。


ネガティブを書きなぐってしまった。遠くから「諦めないで 取り組んでみたら?」「努力が足りなかったんじゃない?」そんな声が聞こえて来そうだ。

ピアノを始めるには 自分の中に まだまだ熱量が足りない、そんな気がする。
変な話だけれど、今は 練習するなら、こうして noteを書きたい、読みたい、そこに気持ちがある。
譜読みをして練習するより、文字を打ちたい。

自分の中に湧き上がる「弾きたい」気持ち。これがまだ「弾 …け… る …と …い …い… な」強い気持ちにまでいかなくて、おぼろげな感覚がある。


ところで 楽器にふれなくても 私は譜面を読むことが好きだ。
音符の流れ、拍の使い方。
おぉ、こういうコードを使うんだ(と言っても 詳しくはない)

譜面から見えてくる 曲の構成、作られ方にワクワクする。

曲を流しながら譜読みをする。
生産性のない この作業に、幸せを味わう。

なので、風さんの譜面を「見に」行ったのも、おそらく難しいに決まっているから「見るだけ見てみよう」そして「あわよくば、弾かなくても買ってしまおう」そんな心持ちだった。
弾かなくても 風さんの曲と共に読むだけでもいいじゃないか。

けれど買えなかった。

どうせ買うなら やはり弾きたい。

もうこれは
「弾きたいのか、弾きたくないのか、どっちなんだい!!」

今回は ツッコミどころ満載の記事になりました。あしからず、です。







いいなと思ったら応援しよう!