病むのは暇だから?
たまに聞く。
病まないためには忙しくなれ、みたいな。
暇だから色んなことを考えてしまって結果病む。
確かにそうだ。
でも、じゃあ忙しかったら病まないのか?
経験上、別にそんなことない。
忙しくとも、ふと我に返る瞬間がある。
「あれ?私は今、なぜ生きてる? あぁ、なんだか死にたいな。
今忙しいけど、これをやった先に何があるんだろう?」
希死念慮は唐突にやってくる。
過去に本気で自殺願望に囚われたことがある、あるいは自殺未遂の経験があったりすると、一生希死念慮からは逃れられないんだと思う。
希死念慮の大小はあれど、うっすらと、常に死に対しての願望が背中にこびりついている。
仮に楽しい瞬間であったり、幸せになれたとしても、「苦しくないんだったら、まぁ別に今死んでもいいよ」みたいな感覚に陥る。
まさに、一度割れたグラスは接着剤で修復しても亀裂は元には戻らないっていうやつだ。
だから幸せになろうとするためのモチベーションが低下して、ずっと負の沼から抜け出せない。
心は一度死ぬと、葉は所々枯れ落ちて、花だけがかろうじて咲いているような、そんな感覚になる。
人とは脆い生き物だと思う。