Hideout~誹謗中傷からソーシャルディスタンス~
テラスハウスの件を知って、改めて私のnoteの目的について考えた。
初投稿
私自身がBarに通いだしたことで、仕事でのコミュニティとも家庭でのコミュニティとも隔離された、新たなコミュニティを見つけた。
そういったサードプレイスと呼ばれるものが、私にとって心地の良いものだったので、誰かにこの良さを共有できないかと考えて書き始めた。
大人になると、人間関係に利害の要素を持ち込むことが多く、小学校の時のような「無垢な友達」を新たに作ることが非常に困難となる。
Barでは名前や年齢、職業などをお互い知らずにその場を楽しむことが出来る。役割や責任を放棄して、純粋に楽しむことを共有できる。その関係性を知ってほしかった。
独り呑み
Barの楽しみ方はひとそれぞれである。
常連同士でワイワイするのもいいが、独り静かに呑むのも楽しみ方のひとつである。実際私も、気分転換に新しいBarに行くこともしばしばある。
気分転換
人は大きなストレスを抱えると、大きく分けて2種類の行動で緩和する。
ひとつは、おいしいものを食べたり、ショッピングしたりと能動的に記憶を塗り替えるパターン。
もう一つは、よく寝る、現実味の無い本を読む、旅をするなどの、いま持っているストレスから距離を置くパターンだ。
私の場合、前者はBar通いが代表例であり、後者はソロドライブや登山などが当てはまる。
究極に追い詰められた時、何もかもから逃げ出したくて、自分の事を誰も知らないような場所へ行きたくなったことはないだろうか?
ストレスと距離を置くことを一言に「現実逃避」と言い換えると、とてもマイナスなイメージとなるが、あまり勝ち負けにこだわると生きにくいというのは、なんとなくわかるような気がする。
遠くへ行きたい
久々の休日。どっか遠くへ行きたいと思ったが、次の日も仕事だと思うとためらわれる。ましてや一泊するような場合はなおさらだ。
ただ、どうだろう。仕事帰りにBarに寄ることは出来ないだろうか。
「ストレスと距離置く方法」は、Barにおいても成立するのではないか。というのが、今回のnoteの主訴である。
Barに行かなくても死ぬわけじゃないし
Barに限らず、何か新しい事を始めるときは抵抗感を持つものである。
でも、所詮は居酒屋である。いやむしろ、居酒屋と違って長居する必要もない。
1杯だけ飲んで、出てくればいいのだからせいぜい15分そこらだろう。
価格も、2000円握りしめていけばいいのだから、そう難しくはないはずだ。
なにものでもない、むしろなんもない
Barでは、独りで飲むのもアリだと書いた。
いちいち構ってくる人もなく、黙々とボケーっとすることが出来る。
中には気を使って「(なんだか疲れてそうだな、もしかして)仕事終わりですか?」とか聞いてくるバーテンダーもいるだろう。
自分にとって不快でなければ、軽く会話して気分転換もいいが、「えぇまぁ、ちょっとボーっとしたくて」とか言えばだいたい察してくれる。
じゃあ家で一人でいればいいって?めんどくさい事に、孤独は一人じゃ作れない。
地球上に自分一人しかいなかったら、コミュニケーションの概念がなく、寂しさなんかもなかったと思う。
人がいる状態で、ほっとかれるから独りになれるのだ。
責任ある立場で、常に人から判断を求められる人。街を歩けば声をかけられるような著名人にとって、ほっとかれる環境はとても心地いいはずだ。
自分自身の事が憎くて、殺してしまいたい訳ではない。でも、他者によって作られた自分を消してしまいたいのなら、判断を焦らず、まずはBarで一杯飲んでみませんか?
きっとバーテンダーはあなたを受け入れてくれるはず。
だって、
のだから。(Bartender /城アラキ 2巻より引用)