#3-2教えるについての哲学対話
1. 問いを立てる
2. 各人の問題意識の確認
3. さまざまな体験例を出す
1. 主題に関する言葉の用法
1. 言葉が使われる際の文脈
2. 類義語・対義語
2. 主題に関する実感的な諸体験 ←今回
4. 上の事例に即した、主題の「意味」の明確化とカテゴリー分け
5. 主題の「成立根拠」の考察6. 最初の問題意識や途中で生まれてきた疑問点に答える
はじめに
noteを開いていただきありがとうございます。
にーぜろです。
今回は教えるに関する哲学対話の続きとして「主題に関する言葉の用法」の「主題に関する実感的な諸体験」について書いていこうと思います。
第1節 主題に関する実感的な諸体験の列挙
ここでは普段の生活の中などで「ああこれは教えているな」と実感できるような具体的な場面を列挙していこうと思います。
第1項:学校(教師による教える)
まずは学校や塾において、教師(講師)が何らかの内容について説明・解説しているときは教えているなと感じることはあると思います。
例えば「1600年の関ヶ原の戦いにおいて石田三成率いる西軍を倒した東軍の徳川家康は・・・。」といった説明をしているものが挙げられます。
一方で知識構成型ジグソー法などのようにいわゆる「生徒主体」の授業形態の場合どうでしょうか。
よく言われるように教えるのではなく生徒が学ぶといった授業形態だと教師は教えていないのでしょうか。
ここは意見が分かれそうですね。
教師が確かに口では説明をしてはいないので、教えていないとも取れます。
一方で、教材を用意したのは間違いなく教師です。
それゆえ、「生徒主体」の学習形態を取った教えるという行為とも考えることができます。
さらに「生徒主体」の度合いを上げた「探究」などはどうでしょうか。
自らテーマを掲げ、自ら調査し、発表する形態の学習なら、教師は教えていないのでしょうか。
確かにテーマの内容については教えていない(ことの方が多い)でしょう。
一方で調査の仕方などについては教えています。
ネットの情報を鵜呑みにしないようにや図書館の使い方、本や論文の読み方などなど、教えるべきことは多岐にわたります。
またこういった学習の代表例として卒業論文がありますが、このときの教師というか大学の先生は往々にして指導教官と呼ばれたりします。
つまり教えるという言葉が当てはまるかどうかは分かりませんが、少なくとも指導はしているということが分かります。
ここでは教えると指導の差について深く立ち入りませんが、もし教える=指導であるとするなら、いわゆる「学習者主体」の授業も教えていると言えるでしょう。
第2項:学校(教師による教える以外)
続いて教師以外による教えるの事例についてです。
まず教え合いの授業というのがあるように、子ども同士で教え合うことがあります。
授業において、問題の解き方などについて教えることがあるでしょう。
他にも会社において先輩(ないし上司)が後輩に仕事の仕方や心構えなどを教えることがあります。
一方で学校でもそうでしょうが、会社などでは後輩(ないし部下)が先輩(ないし上司)に教えることもあるでしょう。
最近だとSNSの使い方などが、教える内容として挙げられやすいでしょう。
また友達同士のような対等な関係においても教えるは行われます。
「どこどこのパフェが美味しい」といった情報やアプリの使い方などなど、教えることは多岐にわたります。
こうしてみると教えるというのは教えるー教えられる側の立場は特に関係ない(対等、非対等のどちらでもよい)ということが分かりますね。
終わりに
とまあこんな感じでしょうか。
学校はもちろん学校以外の場面での教えるの事例も挙げると、教えるというものがどういうものなのかなんとなく見えてきそうですね。
最後までお読みいただきありがとうございます。
失礼します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?