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人は他人がいないと存在しないのでは?

自分とは何か

僕は長い間、自分とは何かと悩んできました。
「自分には何ができるのか」「自分に向いてることは何なのか」「自分とは何者なのか」など、よく考えます。

ここ数週間くらい、あまり外に出ずに家で一人で過ごす時間がけっこう多かったんです。

そんな時間の中でふと思ったんです。

他人がいないと自分は存在しないのでは。

だった一人でいる時って、僕がこの池袋の1Kの部屋にいたとしても、それを認識してくれる人がいないと、自分は存在しないものと一緒なんじゃないでしょうか?

例えば友達と2人でごはんに行って、その後解散した瞬間、その友達から僕の存在は消えるんです。
まあその後電車なら電車に乗って帰るんでしょうし、買い物行くなら行くんでしょうし、そういうことは想像できますよね。

でも想像するだけで、実際に「その人」を見てみないとわからないですよね。だから、見えなくなった瞬間、存在していないのではないか、ということですね。
SNSとかで繋がっていたら生きていることはわかるんですけど、それも全て信頼できるものではないです。

まあ少し深掘りしすぎてよくわからない話になってきましたが、僕が言いたいことはつまり、他人に認識してもらって初めて、自分という存在が存在できるようになるということです。

だから、どういう人と付き合っているかによって自分がどのような存在になるか決まるということです。

人は色々な顔を持っている

例えば、友達と一緒にいたらその友達から見て自分は友達という存在に、恋人と一緒にいたらその恋人から見て自分は恋人という存在に、営業のお客さんと会ったらそのお客さんから見て自分は営業の人に、ギターを持って路上ライブしてたらその周りを通る人から見て自分は路上ライブをしている人になるということです。

しかし僕たちは毎日色んな人と関わるわけです。
そうすると、友達としての自分、仕事人としての自分、恋人としての自分、ネットの中の自分など、たくさんの自分を持っているということになります。

ここでわかるのは、なりたい自分があるのであれば、そう認識してもらえる人と付き合う時間を長くするべきだということです。

例えばプロカメラマンになるのが理想であるのであれば、「あなたの写真の撮り方上手だね!」とか「あなたの写真を買わせてください」とか言ってくれるような人と付き合いを続ければ良いというわけです。

だから人と関わっていない時間は、自分は存在しなく、自分の理想とする姿があれば、そう認識してくれる人と一緒に過ごせば良いということです。

他人と違いがあるからこそ自分がわかる

とこんなことを考えながら、この文章を考えて書いていると、僕の好きな事業家の方も、似たようなことを言っていました。笑

「他人と関わって初めて、自己認識できる」と。

ぱっと見、僕が言いたいことと同じような意味に思ますよね。
しかしその方が言っていたのは僕が先に書いたことと少しニュアンスが違っていました。

僕たちは毎日、同じような人たちと過ごしていますよね。
学校、部活、仕事、クラブ、ネットなど。

「自分の理想とする姿」があれば、そう認識してくれる人と一緒に過ごせば良いと書きましたが、実際、「自分の理想」がちゃんとある人ってそんなにいないと思うんです。
僕も実際に自分がどんな人間になりたいかというのは全く見えません。24年間も生きてきたくせに。笑

「自分の理想の姿」がわからないのに、毎日同じような人と過ごしている僕たちは、段々と「それが当たり前」と思うようになるんです。

だからその方は、「色んな価値観の人と会え」と言ってるんです。そうすることによって、「自分が見えてくる」と。

たしかにその通りだなぁと思いました。

色んな人に会うことによって、自分が常識だと思っていることも、実は当たり前じゃないということに気づくキッカケにもなります。

わかりやすい例で言うと、周りにアメリカ人がいて初めて、自分が日本人だと認識できるんですね。

浦久俊彦さん著の『リベラルアーツ』から引用しますね。

 ぼく自身の体験を少しお話しさせてください。ぼくが西欧の文化や芸術に憧れてヨーロッパに渡ったとき、日本のことなど興味もなかったし、何ひとつ知りませんでした。まだ若かったせいもあり、はじめは夢にまでみたパリの街を歩き、枯れゆく街路樹や街並みの美しさに心を奪われる日々を、ただ夢中で過ごしていたものです。
 ところがあるとき、ふとパリの地下鉄の駅構内に貼られた巨大なポスターに日本の桜の風景が描かれているのをみた瞬間、どっと涙が溢れてきました。何という美しさ! まるで自分が探していた「何か」に出合ったような感動。そのとき、ぼくは自分が日本人であることにはじめて気づかされたのです。

『リベラルアーツ』浦久俊彦 著

つまり、当たり前の日常にいたら「自分の理想とする姿」もわからず、「自分自身が何者であるか」ということすら認識できなくなるということです。

色々な価値観の人と関わり、視野を広げて自分という存在していきたいですね。


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