3人のさとり世代が産んだ新聞記事――ひとりぼっちテロ①
先月新聞社のインタビューに答えた。1ヶ月もたってしまったが、その経緯が面白いので書いておきたい。最初に記事を訂正したい。
記事:団塊ジュニア→訂正:バブル世代(おおよそ50代)
親や世間への反抗から自立に至るコースが減ったのは団塊ジュニア世代からで、バブル世代はツッパリ・ブームのようにまだ親に反抗していた。団塊ジュニアから友だち親子が現われ始める。新聞社も忙しいらしく、こちらの修正要求を反映してもらえなかったのは残念だ。
さてなぜ私が新聞にコメントすることになったのか?直接には、容疑者の「“ぼっち”とバカにされている」という証言があり、それを取材していた記者が私の短文「ひとりぼっちテロ」(『2023年 長野の子ども白書』)のゲラ原稿を見て連絡してきたのがキッカケだ。冒頭だけ引用しておく。
昨年7 月におきた安倍元首相暗殺はまだ皆さんの記憶に鮮明に焼き付い ていると思います。容疑者は新興宗教によって家庭が崩壊した青年(犯行時42 歳、1980年生)でした。私は小倉敏彦と『未婚中年ひとりぼっち社会』(略)を書き上げて以来、職業が不安定で孤独な独身男性が起こす暴発的な事件を「ひとりぼっちテロ」と名付けて注目していました。主なものを挙げると、2008年の秋葉原通り魔事件(略)、2019 年の京都アニメーション放火殺人事件(略)などです。これらに共通するのは、1990 年代後半から続く長期不況、構造改革(新自由主義)の只中に大人になった人たちが起こした事件であることです。本稿では、私たちの社会が抱え込んだ闇――誰からも相手にされない孤独――と若者の恋愛離れを考察することから、私たちは何をすべきなのか? 考えてみたいと思います。
この短文のタイトルは私が3年前出した『未婚中年ひとりぼっち社会』のタイトルが元になっているが、このタイトル自体は担当編集者が付けたものだ。当初、しけたタイトルで気にいらなかったが、「前半はふざけている感じだけど、後半はシリアスだから」と彼のたっての願いで了承した。これが新聞記事の遠いキッカケになっている。
じつは“ぼっち”に反応した3人は現在30代前半のさとり世代(おおよそ30代)であり、彼らとの出会いがこの記事のコメントを生んだ。私は現代の男性の社会的排除について、デュルケーム(社会学者)やヘーゲル(哲学者)の古典を読み直し、現在まずいことが起きていると確証を得つつあった。そこに彼らが現われ、私の議論に現代性を吹き込んでくれた。
どうやらさとり世代は、“ぼっち”、つまり孤立がとても気になるようなのだ。つまり、さとり世代は上の世代以上に「身近な人の承認」に敏感らしい。実際、土井隆義が彼らの10代の頃の観察を元にして書いた本が『友だち地獄』ちくま新書、2008年だ。
身近な人の承認のみが人生の指針だとキツイと思う。上の世代は正社員として就職し結婚するのは当たり前だと思っていて、彼らも素直にそう思っている。ところが、そうした当たり前を実現することが困難になっている。
しかも、バブル世代は親世代に対する反抗があったので世間をある程度相対化できるだろう。しかし、さとり世代は親子でガンダム・プラもが好きだったりして親と仲がいいので、暴走族にもなれないし、東京にやたら憧れたりもしない。経済成長や民主主義、それへの反発としてのポスト・モダンなど現実を超えたり、斜めに見たりする視線が彼らにはなく、“現実”しかない。やはりこれはキツイ。
ただ今回の事件の容疑者は精神障害を患っていたように思える。もっと適切な地域医療体制や居場所があれば、このようなことにならなかったのではないかと悔やまれる。
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