旅行と文学のエッセイ 夢のヒッピーデイ Part14――村上隆の中の文学を訪ねる、京都、本旅――
そうだ京都、行こう。
そう思って旅立ったのは、8月も下旬に差し掛かる夏の日だった。
ウェブサイトをよりおもしろいものにするために、京都にエッセイの素材探しも兼ねてきたけど、思ったよりもいい旅になったし、この先ずっと思い出に残る旅にもなるだろう。
新横浜駅で新幹線に乗って、牛肉弁当を食べた後、エッセイを集中して書いていると、いつの間にか京都駅に着く。
京都は欧米の観光客が多く、これはウェブサイトにも僕のイタリア生活にも活きそうな美学が発見できそうだなと思った。
僕がイタリアから帰ってきてから、強く思うようになったのは、「イタリアでもこれは好まれそう」っていう文化を見つけようってことだ。
イタリアに住むからには、イタリア文化と日本文化の共通したいいところを探す必要があるのは、言うまでもなく、イタリアでウェブサイトを成功させるためにも重要なことなので、割と真剣に考えてる。
京都の街の穏やかさ、伝統を大切にする、それも湘南とはまた違う貴族文化を重要視するカルチャーが息づいていて、他の街にはない独特の色合いがあることに改めて気がつく。
照明の明るさも暗いものが多いし、橋の欄干など、街に時々、神社の鳥居の使われる朱色が使われる。
川も深い緑色をしてるし、街と自然との調和がはかられた、それでも伝統に気を取られすぎない雰囲気は、京都のいい部分だろう。
特に夏の京都は深緑が映えて、心に涼しい。
東山駅から京セラ美術館まで歩いていき、中に入る。
村上隆の作品は伝統に深いまなざしを当てつつも、芸術にエンタメの楽しさはあってもいいというコンセプト、欧米への舶来品としてのサブカルチャー、日本のよさを独自解釈したものが多い。
作品については評論で書くけど、川端康成の絵画があるのは意外だった。
川端康成が女性の腕を飼う「片腕」と「古都」を混ぜた絵画だけど、不眠症のように目にクマができている顔は、「眠れる森の美女」への川端の想いを意識してると思われる。
背景にブランド品のロゴのような模様が入っているのも、意図的だろう。
彼のフェティシズムへの批評的な解釈が前面に出過ぎていて、おもしろい。
帰りに村上隆の絵本を買った。
「ゆめらいおんゆめをみる」というタイトルだ。
これも評論を書くので、ぜひ読んでほしい。
宿泊したホテルはBOOK HOTEL京都九条。
廊下に部屋にも本があって、楽しかった。
いずれ、村上隆にクラブに会いに行って、村上春樹の通ってたレストランにも行ったことも書くので、そちらもぜひ。
関連記事のオススメが多いエッセイになってしまったけど、それだけ創造の力が膨らむいい旅だったということも事実なんだろう。
京都はステキだ。
了
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