ウクライナの義援金の件でみずほ銀行と論争した、お笑い日本、韓国フェミニズム文学読みたい、ポーランド詩人のシンボルスカコンプレックスに共感した話
2024年10月30日、イタリアへの2度目の渡航を目の前にして、みずほ銀行の大船支店の予約が取れたので、ウクライナに防衛目的の義援金を送るべく、大船まで行った。
まずここで疑問なのが、逗子支店で聞いた話によると、近くの銀行では大船支店、藤沢支店が海外送金を受けつけてるということだったが、実際、大船支店に行く前に知らされたのは、担当者とのビデオ通話で、ウクライナへの義援金が送れるかどうかを確認するとのこと。
だったら逗子支店だって、できないことないんじゃないかと思ったけど、それはみずほ銀行のサービスの質などの問題なので、言及しないことにした。
大船支店に行って、事前に話があった資料などを集めて、いざ振り込もうとした挙句、15分前に来てくださいとメールがあったのに、「早めのご来店ありがとうございます」とか、「12時予約の方が、もういらしてるんですけど」など、電話で聞こえるように話して、結果、資料だけ受け取り、12時まで待つことに。しかしみずほ銀行の都合もあるので、黙認せざるを得ない。
そもそも電話の時に、あっちから突然、電話をかけてきて、「本人確認のために生年月日を聞きたい」とか、バカげたこと言ってきて、「だったら、これは誰にかけてるなんの電話なんですか?」と言ったら、すぐに訂正したが、それを思い出した時に、ふざけすぎだから、どんな対応されるか考えるだけで、不愉快だな、早く用事済ませて帰りたいなというのが、この時点での本音でもある。
担当の人間と話し、1時間ほどあった後の回答は、「送金できない」だった。
最初は理由は説明できないと話して、なぜなのかと、いくら質問しても、応答しない様子だったので、「他の相手には、他の目的で送金できますし、ウクライナの大使館に電話した時には、みずほ銀行から防衛費とての目的で送金した前例があると言われましたけど、これは相手や目的が悪いし、前例の後になにかがあったから送金できないということになりますよね。そうであれば、理由を聞かないわけにはいきません。もし改善の余地があれば、こちらも改善して送金できるようにしたいですので」と話したら、再度、別の機関に話すとのこと。
その結果として返ってきた回答が、「防衛費と軍事費目的は同じ意味で、戦争に使われる可能性が高い場合は送金できない」、「日本政府の意向を加味している」、「防衛目的の使用となると、送金はできない」という内容だった。
「では、なぜ日本の自衛隊にお金を送るのが大丈夫で、ウクライナに送るのがダメなんですか。日本だって防衛くらいするでしょう」と僕が質問したら、回答は、「戦争に使われる可能性が高いから」ということで、さらに、「防衛目的でない場合は、なんでいいんですか?」と聞いたら、「防衛目的だと言わないで、人道支援で振り込みをすることはあり、どのようにお金が使われたかは銀行は調査しない」とのことだった。
ここでよっぽど言ってやりたかったのが、「日本に義援金を渡していいのは、戦争をしてない時のみで、そのプールした金が防衛費目的になっても関係はないんだな」、「日本は戦争をしたら、戦争に使うための義援金は一切、募らないんだな」、「非人道的なことをロシアやその味方をしてる中国や北朝鮮などの多くはやってるけど、ウクライナに防衛費を送金してはいけないということは、銀行の立場としては、ウクライナが悪い国からの攻撃を防衛することを是としないということになるから、最後はロシアにつくってことなんだな」、「それでいて、日本が戦争になって、ウクライナの人間から戦争目的の義援金の送金があっても、みずほ銀行は拒否するんだな。だって戦争が目的の金なんだから。日本国民が送っていけないものを、ウクライナ人から受け取っていいっていうのは理由がないどころか、ウクライナ人をはじめとして悪と戦ってる国を侮辱したことになるからな」、「日本人が主に使ってる銀行から送金できないってことは、ウクライナの防衛の支援すべきではないという立場なんだな」、「戦争はいいこととは限らないけど、人道に反する悪と戦うことは人道に反することなのか? 人道支援も悪と戦うことが、前提になってる状況なんじゃないのか?」ということで、相手にされるかはわかんないけど、これはウクライナ大使館に報告しようと思う。
ウクライナ大使館では、NPOを紹介してくれるとのことだったので、そこに軍事支援目的の義援金を渡すことにする。
最近の日本の政治はお笑いそのものなので、今度、お笑い日本の政治評論と、イタリアの政治評論のサイトを本気で作るか考えてる。
ZARDの「坂井泉水」の検索ボリュームが月間10万~100万あって、実際、「坂井泉水 美人」で検索して、僕のエッセイを読んだらしい人がいるので、文学のサイトを運営するかたわら、どっちをやろうか考えているけど、坂井泉水はXなどでファンがいろいろやってるので、政治がおもしろいかなと。
少なくとも、文学をやってる人間からの視点ということで、政治評論のサイトをやれば筋違いということもまるでないし。
この頃の日本の政治で爆笑だったニュースは、元大阪維新の会代表の橋下徹が、「朝鮮人、中国人をもっと日本で受け入れるべきだ」とか、山本太郎に「ぜひ消費税減税をやってほしい、ヨーロッパでも景気の上がり下がりを見てやったりするから」と言ってて、この前まで、ロシアと戦争をして北方領土を取り戻すと意識が高いことを維新の代表にも、ついに日本はもうサジを投げられたと思って笑ってしまった。
坂井泉水の一件もそうだけど、日本って本当に天才に嫌がらせして、才能を潰すのは得意だし、ダルビッシュみたいに散々、嫌がらせした挙句、海外で活躍すると、さも日本が育てたかのように言ってみたり、本当に「エレクトラ」に書かれてた、エレクトラとオレステスに殺されたクリュタイメストラが側近にしてたアジア人奴隷ってどこの国の奴隷のことなのか笑いながら考えてしまう。
共産主義をやってない国の中では、いちばん悪いんじゃないかな、美学的な意味だとよりそうだけど。
韓国もキリスト教は、統一教会って言って、うまく国に溶け込むようにやった結果、どのくらいうまく行ったかとか知らないけど、フェミニズムは曲がりなりにも受け入れたし、韓国は女性に救われるんじゃないかな。
実際、ウクライナがロシアに勝てば、台湾有事はないだろうし、台湾と韓国とアメリカで手を結んで、衰退していくロシアと中国と北朝鮮とそれに手を貸した日本を牽制する役割ができるし。
日本はアメリカに経済大国にしてもらったようなもんなのに、中国人に日本人の子供が殺されてもほとんど対応しないし、石破は平壌との連絡所作るって言って、拉致被害者の会から非難されてるし、本当にどうしようもない国だなと。
石原慎太郎がいた時は、あの人が孤軍奮闘してくれたおかげで、そこそこ成り立ってたけど、石原慎太郎も安倍晋三も坂井泉水も平気で捨てるもんな、この国は。
どんなに仕事がんばってますって言っても、悪い仕事とか汚い仕事やったら、犯罪者支援するために仕事してるのと同じだし、今回のウェブサイトはそういうことはやらないで通してよかったなと、心からそう思う。
実際に中国がウイグル人奴隷にして、作らせてる太陽光パネル買おうって国で進めたり、朝鮮総連に金が流れてて、反日教育もやってる朝鮮学校にいまだに金渡してるし、ゲノム編集を推進してる朝鮮人の孫正義いまだに追い出さないで、みんなでLINE使ってるし、悪いことは相当やってることになる。その流れを含んでるいろんなものを拒否できないのは、悪いことやってるのと同じというか、この状況なら黙認してるのは悪いことしてるのと同じだ。
イタリアではよりいい仕事をしよう、そして最良の結婚をしようと本当に思う。
それにしても、韓国映画のチョ・ナムジュ原作『キム・ジヨン、82年生まれ』は昔見て、基礎的な内容だったけど、感動して拍手したくなった。
ノーベル文学賞受賞のハン・ガンの『ギリシャ語の時間』も途中まで読んだけど、よかったから再読したいし。
古来より女性の力は封印した方がいいとされることが多かったけど、あれはなぜなのか?
イタリアの保守の様子を見ると、マイノリティは認められないものがほとんどだけど、ヒッピー以上にフェミニズムはいい感じる。
フェミニズムでも、いろんなタイプがいて、共産主義に寄った共産主義フェミニズム、人間の体を一部人工化することで、性差をなくそうというサイボーグフェミニズム、女性らしさの伝統を壊すシスターフッド、とか、ああいうのはむしろ保守のフェミニズムの敵で女性の敵なんだけど、女性の社会進出を目指す意識の高いフェミニズムとか、女性らしさを守り、男性らしさにこだわる男性の横暴を許さないフェミニズムとか、男性らしい男性の多少の横暴は受け入れるけど、女性なのに神から授かった性を受け入れてない、女性らしい女性の持つ悲しみや美の在り方をわかってない女性や男性に敵対的なフェミニズムはいい。
女性を愛することで、古き良き未来が開かれる、それも女性が輝ける未来が開かれるのだろうと思うから。
女性にモテたいからでもいいじゃん、女性らしさにこだわる女性は神様だし、味方にしたいし、僕は。
この前、ああいう、交遊、EU文学っていうサイト見てたら、クリスティナ・ドンブロヴスっていうポーランドの詩人の話を動画で聞いた。
そこで紹介してた俳句の雰囲気を描いた東ヨーロッパの絵がおもしろかったし、詩は怒りも表現できるし、捉えきれないものを捉えて表現する力があるから、商業化はいいことだけではないって話してたけど、あれはイタリアに行くとよくわかるな。
こういう話すると、日本人は短絡的な人多いから、共産主義だって言うんだけど、イタリア行くって言ってんじゃん話聞いてるとか、思うわけで、文学は天上界や神の法則すらも類推できるからいい。
キリスト教は女性に厳しいところがあるので、おそらくキリスト教では捉えられない美学を捉えられるのは、フェミニンな文学のみだし、ダンテ、シンボルスカ、アニー・エルノーなどはそれをやった。
「ポーランドで詩をやると、常にシンボルスカと比較される、まるで彼女の孫娘みたいに」、と言ってたけど、僕もシンボルスカと他の文学者を比較することがあるので、わかるなと。
それ以上に、自分のエッセイはどのくらいシンボルスカに近づけているんだろう、豊かな言葉だけでもエッセイはつまんないかなとか思ったりもしてる。
なんだか、女性とかウクライナとかポーランドのこと考えるだけで、気持ちがやさしくなってきた。
I love Eastern Europa!!
東ヨーロッパを愛してます。
イタリアはもちろんだけど。
世界平和のためにウクライナが勝利しますように。
了