「介護物語の美談」なんて書けない(5)姨捨山と呪いの言葉

久々の介護物語の続きです。
そんなもんupして誰得?って思いもあるんですが、もしかして共感してくれる人がいるかもしれない。
アタシ自身も3週間先、3ヶ月先、3年先にどう振り返りどう考えるのかのために、現状をメモしておこうと思う。

この3週間はとにかくシンドかった。
だんだん歩くのが困難になってきた母親がいつコケるか気が気でない。
真夜中に家中に響き渡る音に飛び起き、転倒し意識がない母親を見せられ救急搬送するのはもう堪忍してほしい。
あの夜から異常に音に敏感になっている。
微細な音にも反応して階下の老人の様子を見に行ってしまう自分がいる。
そんな自分を自分で呆れている。
呆れてはいるのだけど、意識ではなく身体が反応してしまうのだ。

そんななか母親が、さらに歩行困難になっった。
壁つたいでしか歩けなくなり、いつコケても不思議ではない。
しかも歩ける以前からなのか昨今なのかわからないが、頻尿でトイレのたびに見守る生活がつづく。
トイレまで食卓の椅子をならべて、その背もたれを手摺がわりに伝いながらトイレにいく。
痴呆の父親が椅子を引きずり、床を擦る耳障りな音をたてながら並べる。
昼夜かかわらず2時間おきに不快音が響き、その度に見守りにいく。
夜中も2時間おきに起こされる。
眠れそうになるたびに起こされる。寝られないうえに気が張りっぱなし。
もういっそどうにでもなれ、と、見守らなくてもいいのかもしれないとも考えるが、身体が反応してしまう。
しかも紙オムツを自分で上げられず下半身が露出した悲しい姿を毎回見せつけられる。
実の母親の姿である。物悲しさが漂う。
やがて複雑な悲しさもなくなり、淡々と母親のパンツを上げている自分がいた。

優しい気持ちが削がれていく。
すべての感情が削がれていき、何も感じなくなる。
意識もシャットダウンし、ただ機械的に身体が反応しているだけになる。
それでも考える。
こんな生活がいつまで続くとおも思えない。
続かない理由のひとつにアタシ自身が潰れることがある。
「鬱に堕ちる」は、「まだ大丈夫だ」と思っているうちに突然堕ちることを知っている。
傾聴でいくつものそんな言葉を聴いた。
知らず知らずのうちに鬱に落ちていた、と。

まだアタシから意識が離れるまえに母親を施設にいれることにした。
昔、母親が言っていた科白を思い出す。
「アンタ、まさか年取った私を施設にいれるんじゃないよね」
親を施設にいれるなんぞ優しくない薄情者のすることだと念が込められた言葉である。
いまとなっては呪いの言葉である。
呪いの言葉は、消えることなくリフレインする。
今の生活のままでは母親自身のためにもならない、という正論であり理性だが、正論も理性も冷たく残酷なもののような強迫観念に襲われる。

呪いを断ち切り、入居できる施設を探すことにした。
初めての経験でどこから手を付ければいいのかわからない。
デイサービスのケアマネに頼るのだが、デイサービスのときから、このケアマネにイライラさせられっぱなしである。このケアマネに相談しなければならないのかぁ、という憂鬱が先にたつ。
ただでさえ、気力も体力も削がれているのに、さらに消耗させられる。
後日談なのだが、新しい施設のケアマネが「ちゃんと」していて安心できる人だった。
信頼できる人なのだけど、それは普通なのかもしれない。
ケアマネとひとことで言っても、無能な方もみえるわけで、ちゃんと信頼出来る人を選んだほうがいいことを学んだ。

複数の施設を見学した。
上記の無能なケアマネに「施設斡旋の仲介会社」の営業も紹介された。
さすがに会社の営業だけあって、人当たりや対応はできている。
立地や費用など、こちらの提示した条件にあう施設を探してくれた。
実際に見学にいった株式会社の施設(有料老人ホーム)は、建屋や新しいのだが、「ただ老人がそこのいる」という空気感が漂っていた。
ここのケアマネからも、介護に対する思いがなにも伝わってこなかった。
たしかに提示した条件には合うのだけど、介護の内容など数値化できないものは「条件外」だった。
おそらく、仲介会社の営業を紹介したケアマネも「そうした介護観」だったのだろう。
安易に営利営業を紹介する態度が物語っている。
ちなみに、この仲介業者を通して施設を決定した場合、斡旋料は施設側から支払われることになるらしい。いまどきの就職斡旋会社と同じなのである。
アタシは福祉法人の評議員をしている関係で、その法人に就職を希望する人の面接もしているのだけど、斡旋会社を通して就職希望をだしてきた人に「期待を感じさせられる人・積極的に働いてほしいと感じる人」はいない。今回の施設仲介の見学もこのことを思い出してしまった。

3日かけて施設を選択し、見学し、説明を聞いた。
結局、医療法人運営の老健(介護老人保健施設)の若いけどしっかりしたケースワーカーの説明が、すんなり裡にオチたので「その人」にお願いすることになった。
ただ、老健というのは、リハビリによって自宅復帰を目指すことを目的としていて期間も6ヶ月ときまっている。
母親がリハビリによって歩けるようになり自宅復帰ができるようになるとは思えないのだが、6ヶ月先よりも今の苦行から解放されたくて、お願いした。
ただ、入所するためには「健康診断」の結果や、担当医の所見などを用意しなければならない。つまり歩けない母親を病院につれていきX線や採血採尿などの検査をうけさせて、2人の担当医に所見を書いてもらうよう依頼し、それを医院に取りに行き施設に届け、さらにその結果からの「施設の判断」を待たなければならない。
1週間から2週間かかるとのことだった。
さらに老健は現在満床で少しまたなければならないかも、、と聞き、そのあいだに壊れないのだろうか自分という思いは否めなかった。
「施設の判断」がノーだったら、壊れないでいる自信はなかった。

そう訴えたし、ヤバさ察してくれたのだろう、若いケースワーカーは次の日に、同じ医療法人運営の「グループホーム」を紹介してくれた。ほんと頼りになる。
月の料金が4-5万円高くなり15万円/月になるが、そんなこと言ってられない。6ヶ月という期限がなくなり、半年後にまた悩む必要がなくなった。
入所に必要な書類や診断結果などは、同じものを流用できるということで「グループホーム」からの連絡待ちになった。

そこからも、寝ることのできない日はつづく。
グループホームから入所できると連絡があり、あと3日となり気が抜けたが、逆に入所できる3日間で何かあってはいけないと最後の日々はさらに身も心も強張った。

入所するグループホームのケアマネは、ほんとうに細かなケアプランというものを提示してくれた。
驚くとともに、これが本当のケアマネなんだと知った。
いったいあのデイサービスのケアマネはなんだったんだ???
入居する施設がちゃんとした施設だったことに、ほっとして安心した。

ここまできて最後の仕事がのこっていた。
入所のことを母親本人に告げる必要がある。
まさか、黙ったまま入居させるわけにもいかない。
「あんた、私を施設にいれるんじゃないよね」という呪いの言葉を断ち切り、入所を告げた・・・拒否されることはなかったが、肯定することもなくただ神妙な顔をしていた。無言の呪いがあらたに投げかけられる。
実は姨捨山感が、アタシにもあるのだ。
親の面倒をみないという罪悪感が浮かんでは消える。消えるというより無理やり消す。
入所は本人にとっても周囲にとっても最善の道なのだ、と自分に言い聞かせる。
実際に最善なのだが、いろいろな思いがひとつの結論に完全に収められるものでもない。

呪いの表情のままの母親を施設に置き去った。
その夜は久々に静かな夜を過ごした。静かすぎて眠れず、夜中になんども目が覚めた。
静かになった家のなかに、無気力になった父親がいる。
なにもしようとしない、だらしのなくなった母親に対しあれだけイライラしていた父親が抜け殻のように無表情でTVをみている。
イライラすることで自分の存在を示したかったに違いない。
もともと面倒な奴なのだ。
しかしなぁ、このままでは呆けが進むかもしれないな。
情けない人生だな。
親といえども他人である。
他人の人生まで介入できない。けど、
ほんとに面倒だな、と感じる。

やる気がある、生きる気がある、でも出来ないという老人の手助けならやる気もおきる。
やる気もなく、生きる気もない老人の手助けほど徒労感に苛むものなどあるものか!!

こんなふうな介護からはまだ解放されない。
が、とりあえずひとつ乗り越えた。
しらぬまに鬱に堕ちることはないだろう。
これからなにかあれば、その都度対応するしかいない。
なにがあるか分からない先のことを思い患うことはやめよう。
その日その日にできることを自分の糧としてやっていくしかない。


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