「介護物語の美談」なんて書けない(6)自分の課題として向き合う
「悪いあの人、かわいそうなわたし」と言って、問題を矮小化して立ち止まることをアドラーは戒めた。
アドラーっていうより「嫌われる勇気」って本に書かれていたのだけどね。
ところが先週ワタシにも、「かわいそうなわたし」って感情が芽生えかけてしまったのだよ。
もっともワタシの場合「悪いあの人」はいないんだけどさ。
強いて言うなら「自然な衰弱と厳しい社会」といったとこ。
アドラーを持ち出さなくても「これからどうするか」はやってきましたよ。
というより、有無を言わせず降りかかるアレコレに立ち止まることは許されませんでした。
でも、今回はとつぜん力が抜けてしまって虚無感に襲われましたんだよね。
なにもかもが意識から遠ざかっていく感じ。
前回「介護物語の美談」なんて書けない(5)で書いたいたんだけど、アレやコレや紆余曲折をこれでもか!!と乗り越えてやっと施設に入所できてホッとしてました。
その施設から電話があったの。
「下血しました、病院で検査を・・・」ってさ。
病院に駆けつけてロビーで待つこと3時間、検査結果を聞くと、下血の原因は「虚血性大腸炎」です、治療しますとのこと。
翌日その病院からとつぜん電話がかかってきた。
「心拍が20まで落ちて心臓が止まりました」
遠くから聞こえるような電話の声をボンヤリ聞いて、頑張って生きたね、やすらかに眠ってください、とふんわり思った。
思ったというより願ったのかもしれない・・・が、心臓は動きをとり戻りましたとさ。
病院に呼び出され説明を聞く。
医者が言うには、「徐脈頻脈症候群」で、短い心臓停止からの失神を繰り返す、のだそうだ。
これを防ぐために「ペースメーカー」を入れなければなりません。キリっ!!っと言われた。
この一連の出来事も軽く書き流しちゃってるけど、結構壮絶だったのよ。
一年前心不全で入院した今回とは別の心臓専門病院の医師には、退院のときに「今後いつ心停止になるかわからない」と言われたの。
そのとき家族の対応をどうするか、あらかじめ話し合うように言われ、「延命」はしないと話し合った。
それが、ここにきて、
「いや、延命というか・・・心臓停止と失神を繰り返すと本人も苦しみますよ」医者に責められているようだ。
いやいや、86歳にして全身麻酔とかして手術をしようものなら、他に障害がでるでしょ。はっきりいって痴呆はさらに進みますよね。
「それは、わかりませんけど・・・でもね(命が)!!」医者は引かない。
職業使命とはこういうものなのだろうか?医者からのプレッシャーが半端ない。
ペースメーカーを拒否するワタシは悪人か、非道のようだ。
こうして対峙すると、自分の「延命しない」という判断にしても半信半疑になる。そしてやたらしんどい。ペースメーカーを入れるということは、果たして医者がいうように「延命」とは別ものなのだろうか?
でもさ、止まろうとする心臓を機械で動かして、意識もより朦朧とさせても、ただ息をしていればいいのかい?
生きるために食べるのか、食べるために生きるのか、つまり生きてさえいればいいのか、って誰かの言葉を思い出す。
それよりも、ただ呼吸をしていることが絶対の価値なのか?
こういってしまうと、いろんなところから文句がでる想像は容易なんだけどね。
いつかあった障がい者施設で殺人事件をおこした人が言った理由、「生きることの価値」の線引なんてできないだろう。
線引ができないといえば、今まさに直面していることかもしれない。
あれ?もしかして、延命しないってのは遠回しな殺人なのか?
偶然なのか、今回の入院の日に遅刻していった傾聴仲間との会合で話し合った「なぜ生きる」のかってのも思い出す。
いやね傾聴仲間と話し合ったのは自分の命のこと。いま直面しているのは自分ではなく他人の命のことなんだけどね。
(家族ではあるけど)他人の人生を判断しなければならない苦痛。
医者は続けていう。
「ペースメーカーを入れないと元の施設に戻れないかもしれません」
えっ、それはどういうこと?
「いつ、失神するかわからない患者を嫌がる施設が多いんです」
それは施設に聞いてみないとわかりませんよね、、、、やや、感情が高ぶって声高に言い返している。声が大きくなるときは要注意だな。
医者が施設に直接説明をした。
結局、退所ということになった。
いつ失神するかわからない利用者は対応できないので、受け入れられない。
ペースメーカーを入れれば戻ることはできる。
ペースメーカーを入れないというワタシに、医者と施設が口裏をあわせて意地悪をしているじゃないよな、と、あり得ない疑惑さえ考えてしまう。
施設にとってみれば対応できないってのは、まあ、そうかもしれないんだけどさ。
それにしても短か!!
やっと入ることができたと喜んだのはつい最近。
そう、たったの3週間で退所。
施設にはいるまでのアレヤコレヤが走馬灯のように駆け巡る。
本当に、各所を走り回り、書類を書きまくり苦労したのだ。
でもね、それでも元の施設に戻るためにペースメーカーを入れるのは本末転倒の気がして仕方ない。
元の施設に戻れないけど退院はしなければならない。
じゃ、なにもプランがないままに放り出されるのか?
流石にそういうことはなく、病院のソーシャルワーカーと相談することになった。
ソーシャルワーカーいわく療養型の有料老人ホームになるのだそうだ。
ただ、有料老人ホームは費用が高い。
2年ぐらいで破産しそうな計算だ。
貯金を使い果たしたらどうなるのだろうか?
先の不安がつのる、自ら追い込まれまた潰れそうになる。
これから、いったいどうなるんだぁ〜!!
こんな風に・・・かわいそうな自分・・・だよなぁ、なんて、思ってしまったわけ。
「何回施設探しを繰り返せばすむのか?」と負の感情がふつふつと溢れこぼれて、意識が朦朧となる。たった3週間で、またやり直しかよ!! しかもさらにハードルをさらに上がる。かわいそうすぎるだろ自分。
張り詰めた糸が切れた気がした。
まぁ、人生におきえるピンチってのは、今回の問題だけじゃないんだけどね。
長く生きているから、これまでにいくらでもピンチはあった。
何度こんな弱い感情に支配されただろう?
何度もピンチにあったはずなのだが、思い出せない。
喉元過ぎれば熱さを忘れるということもある。
いや、それより何と言ってもこれまでは全て自分のことだ。
どれだけ大変な思いをしても、乗り越えれば自分の血肉となっている(はず)。
気づく気が付かないにかかわらず成長している(はず)。
ところが、今回は他人事(家族という意味でなく、「自分と他者」という意味)なのである。
ん、他人事???
これは他人事なのか???
いやいや他人事というのは違うよな。
表面的には他人事であっても「自分でやる」という「選択」をしてやっているのだ。他人事ではなく自分事である。
拒否もせず、自分で選んでやっている以上、自分事なのである。
逃げるという選択肢もあった。
「嫌われる勇気」(アドラー)がいうとこの「引きこもりも原因があるわけでなく、やりたくてやっている」と同じだな。
考えれば、こうした事態のためにこれまで「いろいろやってきた」のではないか?
本を読み思索し、ホームレスと遊び思索し、傾聴を重ねて思索してきた。ブログでも「ああでもない、こうでもない」と、散々対話したではないか。
それらは、「机上」であったり、「本当の他人事」ではあったが、いつのときも「自分のため」だと言葉にはしていきた。
今、自分に降り掛かってきた。
言葉にした「自分のため」を実践するのは、まさに今でしょ!?
アドラーの言葉だって、ただ読んで、語り合って、思索するだけなら所詮「机上」なのだ。
傾聴で他者の言葉をじっくり聴き、寄り添いながらも第三者として冷静で対峙してきたことが「私のため」と考えるなら、それを実践するのは今ではないか。自分事にならない限り机上の空論なのだ。
むしろ運良く実践する場を与えられたとも言えるだろ。
これまで机上でしたように、リアルでも自分を俯瞰すればいい。
傾聴で他者から「絶句する話」を聴いたときのように冷静にどうするかを考えればいい。
俯瞰して己を第三者として見つめればいい。
とにかく、感情に押しつぶされてはいけない。
とはいっても、感情を抑えつけてもいけない。
意識を過剰に信じてもいけない。
意識と感情のバランスを持とう。
感情過多のときは一旦エスケープしろ。
意識過多のときは眠ってしまえ。
課題と闘ってはいけない。
「風邪」にも効用があるように、課題はうまくやり過ごすのだ。
風邪をひいて身体がより丈夫になるように、課題がない人生よりもよい人生になるさ。
未来を悲観して、妄想に潰されてはいけない。
死に至る病にかかるんじゃない。
次から次へ湧き出る課題を楽しめ。
この瞬間を踊るように生きろ。
軽やかに躍り楽しめ。
机上から飛び出す。
いまが実践の時なのだ。
ずっと後、すべてが終わったときの自分に問う。
この経験があった人生と、この経験をしなかった人生のどちらが面白かった?
もう、間違いなく前者だと答えるのが、今でも分かる。
ホームレスと遊び、傾聴で他者の話を聴き倒した人生と、それらがなかった人生、どちらを選ぶかなんて自明なのだ。
そう全ては、やらなくてはならない、ことではないのだ。
やらされているわけでもない。
間違いなく自分で選んでやっているのだ。
人生を豊かにするために。
「人生を豊かに」?、こんな漠然とした薄っぺらな言葉で締めくくるのはやめよう。言い換える。
なにごとも自ら選んで経験した人間が撮った写真と、避けて歩いた人間が撮った写真、どちらの写真が物語っているか? かっこいい写真が撮れるのか?
そりゃ、もちろん前者でしょ?
すべては、よい写真を撮るために、やっているんです。
え?写真なんかのために???だって??
所詮人生なんてそんなもんですよ。
・・・と、日記には書いて置こう、笑
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