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本の紹介12冊目:「組織を生き抜く極意」、「天才たちのインテリジェンス」(佐藤優)

最近、「頭を使っていないな~」と思うときに、佐藤優、東浩紀、大澤真幸、内田樹、木村草太さんの本を読むようにしています。

今回は、最近のGen Zの指導方法や自分が組織内での生き残る方法が不安になったため佐藤さんの「組織を生き抜く極意」をピックアップします。

また、佐藤さんが各界の人と対話する時にどのような質問の仕方をするのか気になったため「天才たちのインテリジェンス」をピックアップします。


組織を生き抜く極意

2016年以降、部下の教育方法が、以前とは変わりました。

部下の育成が最大の悩みという上司が増えているなかで、どのように部下を育成したらいいのかのヒントの記載があります。

部下の育成方法がなぜ2016年以降変化したのか気になる方は、以下の「ゆるい職場」が参考になります。

第1訓 部下の育成が最大の悩み
 最近は「モンスター部下」や「逆パワハラ」という言葉があるそうです。上司の言うことをなかなか聞かない部下を少しきつく注意すると、パワハラだと受け止めて反抗したり、逆にすっかり自信喪失して出社拒否になったりしてしまう。
 今や中間管理職にとって、若い部下は腫れ物を扱うような、アンタッチャブルな存在になりつつあります。部下の方が理屈をつけて上司を非難したり罵倒したりして、精神的に追い込む。これからのリーダー、中間管理職にとっては、何ともストレスの多い大変な時代だと思います。
 人材育成会社のラーニングエージェンシーが2019年に行った「管理職の意識調査」によると、管理職の悩みの第1位は断トツで「部下の育成」で、5年前の同調査に比べて、10%も高い50.5%でした。

「叱って育てる」はもう論外
 私がかつて外務省にいたころ(1985~2002年)は、部下を叱責することなど当たり前でした。あるとき、資料のホチキス止めを若い部下に頼んだところ、よく確認せずにホチキス止めにしたため、一部の書類が袋とじのようになっていて読めない。「オレは袋とじにしろとは言っていないぞ!」と、その書類を壁に投げつけました。
 今ならど真ん中のパワハラでしょう。ただ、それがもし大臣に渡す資料だったとしたら、国会答弁の場で資料が読めずにもたもとして、国会審議が止まるほどの大変な事態になります。政局に影響を及ぼすかも知れません。
 ホチキス止めなど大した仕事でないと思ったら大間違いです。そういう単純作業こそ、確認を怠ると大変なリスクになり得ます。組織のためにも本人のためにも、あえてきつく叱ることが必要なわけです。
 ところが今の時代、叱るという選択肢自体がありません。若い世代は一人っ子も多く、親にほぼ叱られたことがなく育つ。ましてある程度優秀であれば、何かとちやほやされ、ほめられることが当たり前の環境で育った子が多い。
 そんな人間が社会に出て叱られると、それほどきつい言葉ではなくても、まるで全人格を否定されたかのように受け止めてしまう。プライドを傷つけられたと感じてすねたり、落ち込んだりしてしまいます。
 上司はまず部下をほめることが大前提で、同じほめ言葉のなかでも、「普通にほめる」「少し強めにほめる」「最大限のほめる」と程度の違いで使い分ける必要があります。そのうえで、注意してほしいことをフラットに伝えるのです。
 私のような世代からすると、何とも面倒な時代です。しかし、上司が時代に合わせて仕事に臨む方が、結果的に一番ストレスが少なくいい仕事ができます

会社内での今後の生き方のヒントは以下です。

例えば、メガバンクの銀行員は52、53歳あたりが実質的な定年と言われていて、サラリーマン人生が短いため、40代に将来の身の振り方を考える人が多いようです。

36訓 出世とは結局、「巡り合わせ」と「運」にすぎない
負けてからが本当の勝負
 
部下が不祥事を起こしてその責任をとらされることも、目をかけてくれていた幹部や属していた派閥のトップが争いに敗れてしまうこともあります。その巻き添えになって、ラインから外れてしまうのもよくある光景です。
 日本の人事システムでは、一度でもラインから外れると敗者復活は難しい。そこから巻き返したとしても、トップにまでいくことはほとんどありません。
 いずれにせよ、一時定年と呼ばれる50歳なかばで取締役についていなければ、ほとんどが子会社に出向するか退職することになります。
 自分のキャリアのピークはどこにあるのか、おそらく40歳をすぎたあたりでほぼ見えてくるはずです。私から言わせれば、企業の人事システムでは結局、勝ち抜くことができるのは一人しかいないので、その他の人たちはすべてどこかの段階で敗退します。
 その意味で、負けてからがビジネスパーソンとしての本当の勝負です。負けを引きずって、そのまま腐ってしまうのか、それとも人生の転機、チャンスと捉えて、自分なりの新たな価値観とモチベーションを見つけられるか。
 いかに出世するかを考えつつ、同時にいかに上手に負けるかを考えるのが中間管理職以上の人たちの課題です。

努力は才能と言われます。大谷翔平やイチローの例を見ても然り。

「社会的に責任ある地位にいる人は努力して当然だけど、市井の人にそれを押し付けるのは違うよな~」と感じていたところ、面白い視点がありましたので、紹介します。

39訓 競争がなければ、資本主義社会は成り立たない
福沢諭吉が本当に伝えたかったこと

 明治期の日本にとって、優秀な人材をいかに獲得し、活用するかは大きな課題でした。そこで出てくるのはメリトクラシーの考え方で、血縁や縁故、出自ではなく、試験の成績などの客観的な数字や指標でその能力を測り採用します。
 このメリトクラシーを基礎として尋常小学校から大学までの教育制度が整い、国家検定の教科書によって全国で画一的な教育が施されます。いわゆる「読み、書き、そろばん」が上手な人材は、国家にも企業にも不可欠です。人々は勉学に励み、他者との競争に勝たなければ目標を達成できません。全員が同じ土俵で試験を受けて点数を競うメリトクラシーの原型は、明治時代にまでさかのぼります。
 このメリトクラシーと競争社会の到来を賞賛し、加速させたのが福沢諭吉の『学問のすすめ』で、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と唱えました。福沢は啓蒙思想家として、平等の価値観の大切さを唱えた人物とされていますが、同書では「されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。」とも問いかけています。
 「人間としては平等なのに個々人に差があるのは、それぞれが努力して勉強したかしないかの差がある」と言いたいわけです。『学問のすすめ』は340万部の大ベストセラーになり、多くの人々は学問の大切さを認識し、勉学に励みました。
 世界で国民国家が成立していく19世紀には、国家間の競争を勝ち抜くために、個々人が努力し成熟することが求められました。メリトクラシーや競争社会は、明治期に人為的に導入されたものであることは覚えておくべきでしょう。

競争社会に身を投じて、自分を磨り減らしていく人は多いと思います。
適切なタイミングで社会人人生の見直しが必要というヒントがあります。

第42訓 競争社会から軸足をずらす
 意識するしないにかかわらず、私たちは子供のことから競争に身を投じています。中間管理職の人たちは、まさに会社の仕事を通じてそのような競争現原理の真っただ中にいると言っていいでしょう。担当している仕事や率いているチームが成績を上げ、評価される。それによって次のポストが見えてくる。
 特に自分のなかに明確な目標や目的がなくても、生き抜くには目先の競争を勝たなければならない。競走馬はレースで周りの馬が走り出すと、どの馬もトップに立とうと懸命に走ります。それに似た状況だと言えるかもしれません。
 そうやって一生懸命に仕事を頑張ることで、自分自身のスキルやキャリアが磨かれることも事実です。私自身、かつて外務省にいたところは月の残業時間が300時間に達していました。そのように過酷な労働環境で揉まれた経験が、現在の作家という職業に役立っていることは事実です。
 ただし、大多数が遅かれ早かれ敗退するとしたら、いかにそのゲームから上手く抜かるか、上手に負けるかということが仕事人生の後半の大きなテーマになります。ポイントは、競争の渦中にいるときからときどき軸足をずらすこと。自分の環境や状況を俯瞰的、客観的に見直し、立ち位置を相対化することです。

私は、たまに地方大学での講義を担当していて、非常にやりがいがあります。趣味としてもコミュニティとしても貴重な存在になっています。

48訓 会社組織の外につくっておきたい、”もう一つの軸足”
「足場」を増やして自己を安定させる
 ほとんどの人はいずれ組織内の競争に敗れ、主流から外れていきます。しかし、そうなってから生き方の方向転換をしようとしても、なかなか上手くいきません。できるだけ早いうちから軸足を少しずらして、別の立ち位置を確保することも必要になってきます。
 若いことは、家庭と職場が自分の立ち位置だという人がほとんどでしょう。とにかく仕事に時間と労力を投入して、一人前になることを目指す時期も必要です。ただし、本業の仕事のスキルが上がってある程度の年齢になったら、もう一つの足場をつくることをおすすめします。
 趣味でもスポーツでも、勉強会や読書会でもいい。自分が好きなこと、興味があることに時間とコストをかけるのです。できれば何らかの集まりに入って、職場と家庭とは違う、もう一つの「自分の場所」を持てれば理想的。それが心の余裕につながります。

最後ですが、人生の残された時間に対する意識です。私も最近、やたらと残された時間を意識するようになりました。年を取ったということでしょうね 笑

56訓 40歳をすぎたら、残り時間から逆算してすべきことを決める
仕事の幅を絞り込む時期がくる

 選択と集中が大切になるのは、人との関係だけではありません。仕事そのものも、年齢を重ねるにしたがって絞り込みが大事になってきます。
 30代まではとにかく自らのスキルアップと可能性を広げるために、仕事も幅広く、かつ全力を注いで頑張ることが必要でした。
 しかし、40歳をすぎて各部門のリーダーを任されるようになったら、仕事も絞り込みへと方向転換するべきです。人生もビジネスキャリアも折り返し時点をすぎたわけですから、残り時間はどんどん少なくなっていきます
 漫然と手広くやっている余裕はありません。すでに自分の適性ややりたいことの方向性が見えてきて、自分の能力も自覚していることでしょう。その連立方程式を解けば、やるべきことは見えてくるはずです。
(中略)
 みなさんも、40歳をすぎたら残り時間を意識することが肝要です。そのうえで、仕事でもプレイベートでも、自分の人生の目的に照らし合わせてすべきことの優先順位をつける。それにしたがって、自分のやるべきことに粛々と取り組む。
 上手くいくかどうかは神のみぞ知るというところですが、環境に流されたりあきらめたりするのではなく、自ら考えて動くことにこそ意味があるのです。

次は、「天才たちのインテリジェンス」です。

「闇金ウシジマくん」で有名ですが、私がはまっている「九条の大罪」を執筆中の真鍋昌平さんとの対話が面白かったです。

背景説明ですが、
真鍋さんは「闇金ウシジマくん」をずっと連載することも出来たと言っていますが、「慣れちゃうとどうやってもそれ以上の自分を発揮できない。それを壊さなきゃいけない感じだった。そのままやったら多分自分自身が腐っていくな。どこかで慣れの中でやっているものって越えられないんだす。自分の持っているものを全部捨てて一から築き上げようとした」と言っています。それで、ウシジマくんを辞めて、連載が始まったのが「九条の大罪」になります。

真鍋昌平さん

佐藤:金銭トラブルに遭わないための助言があれば教えてもらえませんか。

真鍋:見栄とか他人の目とか、そういう自分を縛るものを極力減らしていけば、騙されることはない気がします。そもそも本当にほしいものだけ所有するようにしていけば、そこまで金に困ることってないと思うんです。例えば自分は、その日の酒代だけあればいいっていう感覚です。そのほかのものがなくても、ないなりの楽しみ方があるから。他人の価値観に沿ってそこまで必要じゃないものにまで欲を出したらキリがないですし、そういうことをしていると、余計なトラブルを引き寄せやすくなるんじゃないかなって思います。
(中略)

真鍋:自分もデビュー前の20代半ばに一念発起して、バイトを一切やめてマンガに専念した時期があります。佐藤さんのように面倒見てくれる人はいなかったので、そのときの生活費は全部、消費者金融で借りました。そのときに3ヶ月くらい全力で描いた作品が『月刊アフタヌーン』という漫画雑誌の新人賞が大賞を獲れて、100万円くらいの賞金と原稿料で全額返済できてよかったんですけど。もし賞金が入らなかったら、借金だけが残る状況でした。

佐藤:思い切りましたね。本当に実力のある人にしかできない。

真鍋:基本的にある程度のリスクは取るほうです。今より面白いことがしたいと思ったら絶対にリスクはつきものじゃないですか。
 人間関係も同じで、ある程度踏み込んで付き合わなければ仲良くなれないし、深い話も聞けない。もちろん、自分が全然楽しいと思えない面倒事は避けますが。カネもリスクも良い悪いはなく、捉え方、付き合い方次第なのかなと思いますね。

文化人類学者の磯野真穂さんとの対話も、目からうろこでした。

私は、磯野さんを今まで存じ上げませんでした。この本の良いところは、今まで自分が知らなかった専門家の話を聞けることです。

磯野:今、流行の「リスキリング」もまさにそういった感覚ですね(基礎がないから周辺の問題に全くできない感覚)。基盤となる実績を積むことはないがしろにして、転職に有利だからと、表に見えるスキルだけをオプションのように選んでくっつけていくような。

佐藤:リスキリング(Reskilling)の元の意味は職業能力の再開発、再教育。本来は、企業のDX戦略において必要となる業務・職種に順応できるよう、従業員がスキルや知識を最終特するという意味で使われていた。これはおもに企業が優秀な社員の退職を防ぐ目的もありました。それがいつの間にか「個人のスキルを伸ばす」という、全く異なる概念に変わってしまった

磯野:「子育て中のリスキリングを推奨する」とか、言葉としておかしいですよね。

佐藤:とんでもないですよ。しかもその感覚は自己責任論の延長線上です。個人で努力してスキルを伸ばして、価値を上げていこうという。その中で勝ち抜ける人はいいけれど、うまくいかなかったら自信をなくして、ますます沈んでしまう。

磯野:私は2020年の一時期ハローワークに通っていたんですけど、朝8時半の開所前からずらっと人が並ぶんです。コロナ禍の最中でしたから、蜜を避けるために待機椅子の数も減っていて、順番待ちのあいだに座ることもできない。でもメディアはそういう失業者の姿を報道しませんでした。「弱者を守れ」という学者たちの言葉も、いったいどこに向けられた発言なんだろう、、、などと思いながら並んでいたのをよく憶えています。

佐藤:国会議員にしても官僚にしても、成功は自分の努力によるものだと思い込んでいる。だから、社会の構造がどれだけ悲惨な状況であっても直視することなく、個人でがんばればどうにかなると思っているんです。

(中略)

磯野:仕事でも子育てでも、みんな自分ががんばったと思いたい。でもその考え方って、うまくいかなかった人は努力や能力が足りなかったんじゃないか、性格や行動に問題があったんじゃないかといった、個人還元主義的な発想につながりやすいんですよね。だからこそ偶然の要素を意識して、自分にも他人にも理由付けしないようにすることが大事なのかなと思いました。それに人生が面白いほうに動くときって、自分の力で動いてないと思うんです。私が人類学を始めたきっかけもたまたまですし。

佐藤:出来事の幸不幸もわからないですね。もし私が檻の中に入ることなく外務省を定年退職し、大宅壮一ノンフィクション賞をもらった『自壊する帝国』と全く同じ原稿を整えても、どの出版社も相手にしてくれないですよ。数百万持ち出しの自費出版ならできたかもしれないけど。
 それに不遇と言われる状況下でこそ続いた人間関係は何より貴重です。仕事相手でも、友人も、当時恋人だった今の奥さんもそう。

磯野:なんといいお話。私も全く同じです。

佐藤:だから良くも悪くも自分で何もかもコントロールできるなんて考えず、偶然性を大事に、くじ引き感覚を楽しんだほうがいいんでしょうね。

最後に、哲学者の大澤真幸さんです。以前、大学生の時に、大澤先生の授業を受講した経験がありますが、まさに、天才という感じが漂う方です。

大澤さんのおかげで、日本の知力が底上げされていると思います。

大澤さんや佐藤さんのような、責任ある知識人が出現した時代背景がわかりました。

大澤:若い人たちを見ていると、勉強意欲はあっても何から勉強していいかわからないという意見が結構あります。それって自分の問題とつながっていないからなんだよね。学んだことが身につくかどうかは、個人のスペックや学習時間の問題ではなくて、究極的には自分の問題だと思えるかどうかだから。

佐藤:知識欲は興味関心の強さに比例しますよね。突然「ビットコインの現在価格は?」と尋ねられて答えられる人は、まず間違いなくビットコインを持っている。

(中略)

大澤:佐藤さんは70~80年代半ばにヨーロッパやロシアに行き、決定的な歴史の転換点にあたるときにソ連にいたわけですから、もう肌感覚で世界と接していると思うんですよ。そういう経験はなかなかできるものではないけれど、誰でもできることといえば、自分にとって一番重要な問題を深掘りしていくのがいいと思う。
 例えば求職中だけど仕事が見つからない、恋人ともうまくいってない、という悩みがあったら、その人生の問題と向き合って解決のための情報を集め、それらの関係を徹底的に探求する。雇用の問題も、個人的な付き合いもー例えばデートでどんな店を選ぶかだって、社会情勢や景気と大きな関わりがある。すると、自分の生活には関係ないと思っていた戦争も、実は大きなところでつながっていることがわかってくる。

佐藤:大澤さんが世界から呼びかけていると感じたのはいつですか。何かきっかけが?

大澤:中学1年生の3学期でした。当時読んでいた本の影響もあるんだけど、やはり社会の空気の変化とも関係があって。一番印象的だったのが連合赤軍事件。1972年2月の「あさま山荘事件」では、共産主義革命をかかげた若者が武装し、10日間にわたって軽井沢のあさま山荘に立てこもりました。警察機動隊との攻撃戦はテレビでも中継されて、最高視聴率は89.7%にも上ったそうです。その頃は連合赤軍を応援する雰囲気もあったんですよ。当時日本の3割くらいのリベラルな人はそうだったんじゃないかな。ベトナム戦争のさなか、反戦運動やベトナム人民支援の運動も起きていた。理想の社会を求める若者たちの変革への意志に共感していた。僕もそうでした。
 ところがその後、連合赤軍のアジトで仲間同士の悲惨なリンチ殺人が行われていた事実が発覚したとき、子どもながらに救いようのない暗い気持ちになったんです。と同時に自分が世界と接していく感覚が芽生えたのを、わりとクリアに覚えていますね。そこから知的好奇心というか、自分のいるこの世界でまだ知らないことを知りたい、知らなければ、という感覚が強くなりました

佐藤:知識人としての使命感の強さが大澤さんの説得力にも魅力にもなっているんだなと改めて思いますね。

大澤:いやいや。ただそういう感覚を今の若い人は持ちにくくなっているとは思います。世界に接したい気持ちがあっても難しいから、何かのオタクになっているんじゃないかと。

佐藤:代償行為のような形で。

大澤:ええ。セカイ系の物語が流行るのも同じ理由ですよね。フィクションを媒介にして現実の中核にある構造を知るというのであればいいだけど、フィクションの中で閉じて完結してしまうと、どうしても、何か満たされないものが出てくるんじゃないかと。人生を豊かに満たすには、やはり自分の井戸を掘り進めて、現実の世界である地下水脈まで掘りつくす覚悟がいると思うんです。

手元の本が増えすぎているため、今回紹介した2冊(「組織を生き抜く極意」、「天才たちのインテリジェンス」)は、買おうか迷いました。

読み終わった結果、自分の考え方や思考に影響を与えてくれて、このような形で紹介するに至ったため、買って正解でした。


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