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【書評/音声コンテンツstand.fm】子育て×読書 第1回_「嫌われる勇気」アドラー心理学について

先日、stand.fmで第1回目の配信として選んだ書籍、岸見一郎さんの「嫌われる勇気」について配信内容を絡めて子育て・日々の人間関係にどう活かして行くか?を書いていこうと思います。

全ての悩みは対人関係にあると書籍の中で喝破されているのがとても印象的です。

人間は他者との関係の中で自分を認識するし、少し難しい言い方をすると社会的動物な訳で、他社がなければ自分を認識することはできませんよね。他者との関係の中での自己な訳で。

コロナウィルスの世界的なパンデミックの状況下で日々関わる周囲の人々や家族のことを考えてみるのも良いのかもしれません。

stand.fmの配信の中でも触れましたが、嫌われる勇気を読んでいくと、下記の3点が個人的にとても影響を受けました。子育てでもビジネスの現場でも人間関係全般で活用出来て非常に刺さりました。

①他者と私の関係
②目的論
③共同体感覚

特に③の共同体感覚はすぐには理解できないですし、アドラー曰く自分の生きた人生の倍以上を要すると言われており、私も正直完全に理解したとは言い難いです。ただ、その思想が日々の具体的な事象から1、2段高いレイヤーでの話しであることは良くわかります。

例えば・・・幸せとは?とか、生きるとは?とか、働くとは?というような抽象度の高い問いです。一方で、具体的にベンツや大きな家に住んでいれば幸せなのか? 海外旅行にたくさん行ったり、おしゃれ自宅に住んでいれば幸せなのか? という足元の具体的な問いというものを持ちつつ、具体と中書の往復運動という思考を回して行くことが今度、一層、重要になってくると思います。

余談ですが、ジャン・ボードリヤール著「消費社会の神話と構造」という書籍を読むと消費という行動の真相が良く書かれています。ジャン・ボードリヤールというのは、フランスを代表する現代思想家で、社会という虚構を鋭い洞察で語った書籍が印象的です。

嫌われる勇気に出てくる様に他者の存在が消費には密接に関わっている部分が多分にあります。他者と比較したときのギャップや自分の理想とのギャップなどを埋める手段として消費がある訳で、決してそのモノに心から興味がある方は少ないというのがジャン・ボードリヤールの洞察です。

結局はブランドモノや高級車などは記号という側面があり・・・例えばLOUIS VUITTONやCHANELなどのスーパーブランドを持っている人は、その鞄が作成される迄のヒストリーやストーリーあるいはブランドのマーケティングや宣伝活動に自分がハマっていることなどはあまり関係がないでしょうね。LOUIS VUITTONであればマークジェイコブスやキム・ジョーンズなどの歴代のデザイナーのデザインやデザイン思想にもあまり興味がないはずです。中にはがっつりブランドの思想、歴史も含めてエンゲージしている方もいると思いますが。

シャネルについてもココ・シャネルの目指したモードという概念についてや、最近お亡くなりになられた、カール・ラガーフェルドの交友関係や好きな音楽についてやそのシーズンのショーの世界観を理解するという事もあまりないと思います。

あくまでも社会的権威や幸福感を他者との際を示す記号として現れるのが消費だというスタンスをジャン・ボードリヤールは提唱しているわけです。

やはり、他人との比較というのは現代に生きている人であれば、競争に晒される場面もあるわけで、感情としてどうしても優越感や劣等感というものを感じる事もあると思います。私はあまりこの手の感情は気にならなくなってきましたが、子どもたちもいずれは経験するであろう感情ですので、今のうちにどう伝えたり、実際にポジティブやネガティブな感情に陥った時に、父親としてどう伝えるべきかは考えておかないといけないかもしれませんが・・・

ただ・・・この「嫌われる勇気」を読み進めていくと・・・子育てについての考え方はだいぶ進んだ考え方の様に感じました。アドラーという人は1800年~1900年初頭に活躍した人ですので、だいぶ進んだ考え方を持っていたんだな~と改めて関心させられます。

オーストリア出身ですので、第一次世界大戦も経験されたでしょうし、言論封殺などの時代にも滅気ずに言いたいことを主張するという態度は、コロナウィルスの現在の我々の状況下に置いても見習うべきスタンスだと思います。

余談が長くなりましたが・・・
早速、本題に入りたいと思います。


①他者と私の関係
他者がいることが感じられて自己を認識すると思ってますが、もしその他者が存在しなければ、自己も認識出来ない訳で、他者というのは非常に有難い存在だということをまずは、素直に認めて感謝すべきだと思います。

ただ、日々の子育てやビジネスの現場に置いては子供は子供の所属するコミュニティ(学校やクラブ、習い事など)、大人は仕事を通じてコミュニティ(主に職場)での競争に晒される場面も当然ありますよね。

職場であれば同期との熾烈?な出世競争などは典型的な話なのかもしれないですが、どうしても戦略的に競争に打ち勝とうと思う方も多いと思います。

アドラーの提唱する個人心理学ではあなたと私ではなく、あなたと私を一つの単位として考えて、「わたしたち」「われわれ」と考えるようにするということを言ってますね。あなたと私を分断させないということです。

分断思考は少し前にベストセラーになりましたが、ハンス・ロスリング著、「FACT FULNESS」でも出てくる概念ですが、世界を見るときの考え方、見え方を教えてくれます。ネガティブな情報を脳がついついキャッチしてしまったり、アンコンシャス・バイアスで物事も見てしまったりと、真実ではないことも結構われわれは情報としてキャッチしている事が多いです。

しかし、世界はだんだん良くなって行っているという事が豊富なエビデンスによって語られている名著ですね。また世の中の一つの問題が一つの原因に起因しているという考え方=「単純化本能」という様なことも書かれています。

やはり我々の世界の見方はバイアスでかちかちに凝り固まっていて、起きていることの本日を見極めることが非常に困難な文脈に置かれているのかもしれません。

先日公開した「読書の効用」という記事をお読み頂いた方もいるかもしれませんが、この本日を見極める力を鍛える為には古典・原点を何度も読み込むという事が必要不可欠だと私は考えています。

まだお読みいただいていない方は、是非、読書術含めて書いておりますので、ご参照下さい。
【読書の効用】

話がだいぶ横道に入りましたが・・・

あなたと私だと確かに見ている世界は各々違いますが・・・あなたと私を一つの単位で見ていくと少なくとも目線は合うわけですよね。

それは他者を優先して自己を妥協させているに過ぎないという考えもあるかもしれません。

この辺りは③の共同体感覚に繋がりますが、やはり他者貢献をどれだけ自分自身で感じ取れるのかに尽きるのだと思います。

②目的論とは?

アドラーは、『人間の行動には全て目的がある』と言います。目的を成就させる為に理由をこしらえている事です。

例えば学校に行きたくない子供の例が出ていました。
私も親なので学校に行きたく無いのは何が原因なのか?と考えてしまいます。体調が悪いのか、お腹が痛い熱がある、友達とうまく行っていないのか?などです。

原因に立脚している(原因を探すので)原因論という事ですが、ジークムント•フロイトが提唱しています。

一方でアルフレッド・アドラーは原因論を明確に否定しています。

アドラーの立場で今の学校に行きたくない子供の事例を考えると、学校に行きたく無いという目的を達成する為にわざわざお腹が痛いという理由を持ってくるという印象でしょうか。

フロイトは我々は何かしらの原因があって現在を規定している、すなわち結果があると主張。

一方でアドラーは我々は何かしらの目的があって現在の結果を作り出している。

フロイトとアドラーは同じ時代の学者です。行動も共にしていたそうですが、最終的には意見の違いから分かれたそうです。

このアドラーの目的論はどうでしょうか?
個人的にはかなり衝撃的でした。
結構言い訳をしていた部分が完全に言い訳出来なくなる訳ですから非常に厳しい内容ですよね。逃げれなくなる一方で真摯に人生のタスクや愛のタスクに向き合う事なるので。

自分の置かれている文脈でも言い訳をせずに、そもそもなぜ自分は拒否反応を示しているのか?や出来ない理由を並べてチャレンジを恐れているだけではないのか?など問いが浮かんで苦しくてなる為、なかなか日々の日常生活で実践するにも自分自身に納得感の醸成が必要になる為、葛藤と友達になりいつ日か葛藤すら超越して、ごく当たり前の感覚になるのかもしれません。

ただ加えて置きたいのは原因論を否定する訳ではなく、時として原因を探ることで見えて来る世界もある為、二刀流で多様な考え方を持っておくことが大切だと思います。

③共同体感覚

この書籍以外のアドラー関連の書籍を読みましたが、共同体感覚はアドラー心理学を理解する上で鍵概念と呼ばれる最も重要な考え方にして最も難解な部分の一つであると考えます。

共同体感覚(英語:social interest, 独語:Gemeinschaftsgefuel)とは、「人間は皆互いを支え合う仲間である」という感覚を意味します

コモンセンスと言えば、トーマス・ペインですが共同体人と人が繋がる或いは連関する構造身体と言うことも出来ると思います。

結構、難解ですよね。

やはり人間は他者が存在することで自己を認識するという社会的動物ですから、他者はかけがいない仲間だと言うことです。隣人愛の話を書籍では青年が持ち出しておりましたが、言葉では書いてありますが実際は理解出来ない部分もありまあす。

これまで、怒ってはいけない、褒めてもいけないなど子供への尊敬の念を示す子で同じ目線で物事を見ると言う話がしばしば登場していましたが、つまり他者への関心を示す事で他者と共同し他者と一体になって生きていくと言う意味なのだと理解致しました。

所属する共同体から得られる安心感みたいな感覚をアドラーは幸福感とも言ったそうですが、究極的な部分ではないでしょうか?

オットー・シャーマーのU理論で言えば、プレゼンシングに値する自己の深い部分まで降りて行った感覚が致します。深い部分で自分を理解して同時に他者の存在と他者と自分を取り巻く大きな共同体の存在を意識して行く必要があるので、相当ハードル高いですよね。

他者や所属コミュニティ(会社、チーム、クラス等)への貢献感を如何に自分が持てるかが鍵ですし、貢献感を持つことで幸福を感じつことができるということですね。この辺りは組織論とも絡んでくるかな~と個人的には思いますが、例えばある組織のリーダーがフォロワーに一方的に圧力を掛けている状況ではフォロワーはチームに対して貢献感はとても持てませんよね。

目の前の仕事で一杯になってしまいますし。サーヴァント型のリーダーであればフォロワーとの対話重視路線でしょうし、フォロワーの実力が最大限発揮出来るように動機付を行って行くと思います。圧力型のリーダーには実際に何度も遭遇しましたが・・・対処法は相手の土俵で闘わないことですね。相手にするだけ消耗するし、相手もどんどん要求をエスカレートさせて来ると思いますが・・・

アドラーの共同体感覚の対象は宇宙にも達してしまい、過去も否定し、今ここにいる自分が全力でダンスすることで周りと共働したり助け合ったりすることで貢献感を感じて結果、幸福感に満ち満ちるという事の様です。

これを100年も前の人が語るということは危険もあったでしょうし、非常に勇気のある思想だと思います。難解ではありますが、ぜひ、自分も人生の中で自己肯定感を持ちつつ、誰かの為に役に立つ様なコンテンツの配信や仕事に置き換えても良質なアウトプットを出して行きたいですね。

子育てや人間関係に非常に示唆の得られる本ですので、読んだことの無い方には是非、ご一読をオススメ致します。

長々とありがとうございました!

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