見出し画像

【書評/音声コンテンツstand.fm】子育て×読書 第3回 「才能の正体」について

みなさん、如何お過ごしでしょうか。コロナショック~安宅和人さん的に言えばwithコロナという事になりましょうか。何かで読んだのですが、コロナウィルスと人類の付き合いは割と長く8,000年前?から地球上に存在したんだとかで・・・やはり狩猟採集生活から農耕牧畜生活に入ったあたりから、動物との接触も多くなり、いつしか人間の体内へ入って行ったのかもしれません。

今回も引き続き自主研究テーマの「才能」「努力」「勇気づけ」「動機づけ」あたりから・・・才能の正体/坪田信貴著を音声コンテンツstand.fmの内容+肉付けバージョンでお届けして参ります。

さて、才能とは誠に厄介な言葉ですね。才能がある!とか良く聞きますし、言ったりもしますが・・・才能があるという状態はどのような状態を指すのでしょうか?

我々はいつも結果ばかりに着目してあまりプロセス(究極の鍛錬を含む、努力・・・例えばアイススケートの荒川静香さんの2万回の尻もちなど。。)を見ませんよね。子育てしてますと、一生懸命打ち込んでいる姿を何度も見かけます。失敗してもくじけずに、何度も。

これ、非常に大切だと感じますし、前回のnote&stand.fmでも配信の通り、繰り返し、繰り返し続けることが脳内のミエリンが増えて(すぐにはたくさん増えないらしい)、達人への階段を登ることができるんだそうです。何度も繰り返すことで電気信号が送られますので神経線維も強化されるわけですね。


◯才能とは?

我ながらいきなり、抽象度の高い問を・・・・設定してしまいましたが、才能って聞くと、先天的なものとか、もともと持っているもの(遺伝?)みたな話になりがちですよね。

しかし・・・この書籍はさすが、たくさんの生徒さんを相手に苦悩を続けた坪田先生の考察が綴られている通り・・・しっくりきます。しっくりとはまた抽象的ですが、具体的に申し上げますと・・・正しい方法論で正しい努力を続けるという事に尽きるのだと思います。

どこかで聞きましたね・・・前回のnote&stand.fmでも書きましたが・・・やはり続けることには変わりはありませんが、正しい方法論というところが肝だと思います。ただ、正しい方法って意外とよくわかりませんよね。何が正しいのか?そもそも正解なんてあるのか?という問いも浮かんできます。。

この書籍では明確に才能=能力ではない!!と否定してますね。またまた出てきました。今度は能力というやや抽象度の高い言葉。能力とは・・・

能力とは・・・物事をしとげることのできる力。

と検索すると出てきますね。

つまり、何事かをなしとげる力が高まっていくと、それはやがて人より飛び出したり尖ったりして、その尖った部分を「才能」と認められるようようになるという主張が坪田さんが言いたいことみたいです。

◯IQと才能の関係

IQが高い事は才能とどう関係があるんでしょうか!?才能を数値化できる指標の様に語られますが、実際は才能と関係がない気も致します。

才能がある。才能がない。
頭が良い。頭が悪い。
地頭が良い。地頭が悪い。

こんな言い方は良く聞きますが・・・才能の話は既に前回のnoteでも書きましたし、音声コンテンツのstand.fmでも語りましたが、「努力」が必ず関係します。

「才能があると言われている人は必ず努力している一方で、「努力している人には才能がある」とはなるのでしょうか?

必ずしもそうとは限りませんが、才能には努力というエッセンスが必要不可欠であるということは言えますよね。

◯才能とナラティブ

人は何でも意味づけ、理由付けする動物ですが・・・まさにこの才能という抽象度の高い問にも意味付けしてナラティブするということだと思います。

先程も書きましたが、やはり結果を見て「才能がある」「頭が良い」という言い方をしますが、著者は「地頭信仰」をやめるべきだと主張しています。

どうしても今回のコロナウィルスもそうですが、何かと因果関係を結ぶことで人類自身が意味づけをして、安心したいのだと思います。この因果関係を結んで安心するという文脈で思い出されるのがネガティブ・ケイパビリティの話です。

ネガティブ・ケイパビリティとは帚木蓬生さんの書籍でネガティブ・ケイパビリティという本があります。これはvoicyでおなじみのの荒木博行さんもかたってましたが、何か、0、1でバイナリーに解決できない様な問を抱え込んでおく力(ケイパビリティ)だと表現されていました。

結構、苦しいですが、現在の環境だとどうしてもすぐにググって検索したり質の悪い情報を鵜呑みにしてしまったりすることも多分にありますが・・・解決せずに寝かし付けておくというリテラシーも現在のVUCA時代にはフューチャーズ・リテラシーとして必要なスキルになってきています。

人類史でもそうですが、過去の古い書籍もそうですが、結構権力者によって自分の都合の良い内容に書き換えられていたり、どうしても語りたいという欲求があるのだと思います。人は語る動物だと思いますが、語る事によってそれは伝播していきますが、その途中で様々解釈(まるで東洋思想)が生まれて人々に馴染んでいくわけですが、大きなフレームでは分かっていても(例えばビックデータやフィンテック、働き方改革などのビックワードやバズワードなど)、各々の捉え方があり、結局は各人が自分自身の評価軸(クレイトン・クリステンセン教授の言う所の尺度)を持つことが必須になりますよね。

◯やる気は幻想

やる気・・・やる気スイッチ・・・なんて言い方もされますよね。実はスイッチなんて無いんだということですが、スイッチという表現は一種のメタファーなんだとも受け取れます。

やる気=動機づけ

これが本質ではないしょうか?アドラー心理学でも勇気づけという言葉が出て来ましたし、究極の鍛錬(前回の記事)でも粘り強く見守るという言葉がありましたが、この動機とういう抽象度の高い言葉に非常に私自身興味があります。

ここで、マクレランド欲求理論を紹介しておきます。ただ、理論ですのでシステム1やU理論のいつもの思考をダウンローディングしてもいつもの思考になってしまうので、少し自身を俯瞰して余白を取り、場合によってはシステム2の援護を待ってから意思決定して頂いても遅くはないと思います。

デイビッド・マクレランドはアメリカの心理学者で欲求理論の提唱者として非常に有名です。ハーバード大学でも教鞭を執っていたそうです。

この人の提唱した欲求理論とは・・・

とある作業場(工場でもいいかもしれません)での作業員(従業員)を注意深く観察していく中で得られた洞察の様です。

動機には下記の3つがあるということです。

①達成動機(欲求):ある一定の標準に達成し成功しようとする努力の事
②権力動機(欲求):他の人々に、何らからの働き掛けがなければ起こらない行動を起こさせたいという欲求の事
③親和動機(欲求):有効的かつ密接な人間関係を結びたいという欲求の事

はい。書くとこんな感じになってしまいます。

①の達成動機がピンときますよね。目標を達成しようとして努力する動機の事ですが、ここに何らかの働き掛けをすることが重要ということはわかりますよね。ただ、どの様にアプローチするかが難しい。人間なんてみんなそれぞれ違いますしね。達成したい成功したいという想いはみんな等しく持っているはずですが、環境や本人の気質などで挫かれてしまうこともあるのだと想いますが、他者や環境のせいにしても自分を苦しめるだけですので、意味はないですね。

この才能の正体の著者はやる気スイッチなどはなく、「認知」「情動」「欲求」の3つがあると言っています。

まず認知からですが、例題が出ておりまし。500ページの書籍を20日間で読むというお題が出たとします。ただ読書経験があまりない人がいきなり500ページを読むというのはハードルが高い気が致します。よほど、問題意識のあるイシューがあるという人なら別ですが。

このお題には1日25ページずつ読めば20日間でクリアできると計算できますが、問題はこれをやってみようと思えることですよね。

「これなら自分にできそう」とか「これは自分の人生に示唆を与えてくれる経験なのかも」と思えたら行動に移せると思うのですが。

情動は・・・もうテンションが上がるようなわくわくすることなのか?ということですよね。ビジネスでもそうですが、これを読んでいる方で管理職や経営者の方もおられると思いますが、動機がない従業員へいくら圧力を掛けたところで、その時は動くのかもしれません・・・本人は完全に腹落ちしてませんよね・・・これは非常に悩みどころですね。動機も情動もない従業員に期待通りの成果をあげて頂くには・・・

欲求・・・これは、とにかくやりたい!こうなりたい!という想いでしょうね・・・欲求がないと動機に結びつかないと思うんですよね。

この動機、情動、欲求がないと才能は育たないということです。栄養素みたいなイメージでしょうか。

◯やれば伸びる!

やれば出来る!とは私も部活などでも散々言われてきましたが・・・やれば伸びるとは言われた事がなかったな・・・と振り返りました。w

やれば出来るはは結果至上主義であり、才能を伸ばそう、才能の芽を育てようという考え方の立場に立つと、やれば伸びるという言い方がしっくりきますね。

ただここがポイントですよね。継続的に粘り強くやる!!
やはり継続は力なりは本当でした・・・

問題は「自分にはできないと認知した段階」で丸ごと諦めてしまうということですね。そう認知させないようにするのは、周りの大人であり、ビジネスの現場であればリーダーの条件でもあるわけです。

リーダーはフォロワーに対して適切なアジェンダ設定を行うことや環境整備に全力を尽くすべきだと個人的にはいつも感じます。

◯本当の成功とは!?

成功とは何なんでしょうか?これまた抽象度の高い問の設定になりましたが、成功も結果ですよね。みんな、結果をみて、「◯◯さんは成功したね」などと言うわけですが・・・

成功までの道のりであるプロセスにあまり着目する人は少ない様な気が致します。何をもって成功なのか?これはひとそれぞれ違いますよね?

欲しい物が手に入れば成功なのか?
結婚できれば成功なのか?
〇〇大学、◯◯社に入社すれば成功なのか・・・

どれも結果にばかり着目していますが、本当の成功とはアドラー心理学的に言えば自己受容感を持ち世界に対して貢献感を持てた時だと思います。私利私欲に走っても、欲はどんどん膨れ上がりますし、他者と自分を区別したり比較しても得られるものと言えば、少々の優越感・・・

自分が立てた目標にエンゲージ出来ているな~と感じられた瞬間とか、没頭して居るときなどに感じるフィット感は爽快ですし、成功出来るかも!?と一瞬脳裏を過ぎったりもします。

成功も他人からの称賛で自分は成功したという感覚を持つのではなく、自ら積極的に今の状況を俯瞰して見る、または信頼の置ける方から適切な時期に適切なフォードバックをもらうことで、成功への階段に一歩前進するのだと思いますね。。。

◯才能は本質的には自分のなかにしかない

自分が成長出来ているな~とか貢献出来ているな~とか感じられる瞬間って必ずありますよね。そういう感覚があれば持続的に努力を続けることが出来ると感じます。

しかし、努力をしても実らない事もあるし、それを「周囲のせい」にしたり他責することで自分の可能性の芽を潰している事になり、ネガティブな思考に陥ってしまいますよね。せっかくの才能の芽が枯れ果ててしまいます。

才能の芽は自分自身の中にしか存在しておらず、誰かが運んできてくれる訳でもないということが、ようやく分かってきました(笑)

自分を変える事は自分にしかできませんし、きっかけが他者や外界からの刺激であっても変わろうと決心するのは自分自身ですので、自分のモチベーションやクレイトン・クリステンセンの言うように自画像をしっかり描くことでようやく先を見れるのだと思います。

当然ですが、自画像を描き、その自画像に自分自身がコミットしていく(持続的な努力)ことで成果が少しずつ現れて(辛い/つまらないことも多い)気づいた時に才能といずれ呼ばれる芽の部分が出てくるわけですね。芽は自身に献身的に向き合うことで伸びて行き、どう時に世の中や環境を正しく観ていく尺度が養われるのだと思います。

◯才能の正体=洞察

核心に迫ってきました。才能という言葉を調べたり書籍をいろいろ見ていると洞察という言葉が出来てます。究極の鍛錬でも洞察という言葉が良く出てきました。

この書籍の中に剣豪の鹿島神流第十八代宗家の國井善弥という人の例が出ていました。

國井善弥↓
以下・・Wiki先生に聞いてみました。

幾多の他流試合を相手の望む通りの条件で受けながらも勝ち続け、生涯不敗であったという。その圧倒的な武の実力から、「今武蔵」(昭和の宮本武蔵という意味)という異名で呼ばれた。剣や棒など武器を取らせても、武器を持たない柔道家や空手家[誰?]から挑戦を受けても、國井は戦う前から勝負が決しているかのごとく一本を取るのが常であった。武道界からは異端視されたが、日本古武道の強さを体現した武人だった。弟子に、關文威(第十九代師範家)がいる。なお、國井善弥は武名であり、本名は國井道之である。墓所はいわき市常磐関船町にある勝蔵院に埋葬され、葬式は神葬祭で行われた。

だそです。
この國井さんが若い時に師匠がいつも雑用ばかり言いつけて、全然技を教えてくれないことに腹を立てて、師匠に文句を言ってしまったことがあるんだそうです。師匠は自分に目隠しをして、木刀を國井さんに渡したんだそうです。それで國井さんに思いっきり打ち込んでこいと言ったんだそうです・・・

最終的には國井さんは師匠を打ち付けたりしなかったんですが、師匠の方はそれを最初から見抜いていた。要は洞察を巡らせて國井さんの考えていることや所作を把握していたといく事になります。

心眼とも言える洞察・・・これは個人的な見解なので他に洞察を鍛える方法をご存知の方、是非教えて頂きたいです。

読書体験って洞察を鍛えられるようになると思うんですよね。小説とかトレーニングには最適ではないかと思います。主人公に感情移入して成り切る。小説の舞台設定から登場人物の心の動きまで読み取ることができますよね。

子育てでもビジネスでもこの洞察力は必要です。
想像し、観察し、察知する。これは出来ない人はほんとに出来ない。出来ないという言い方で良いのか他者に想像が及ばない人、自分の事で精一杯という状態だとなかなか他者への想像や観察して察知するなんてことは難しい場合もありますよね。

才能がある人は結果を出す人です。結果はどういう人が出せるのか。洞察力がある人に他ならない・・・

◯守破離

メタファーとして茶道について書いてあります・・・

守:師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階破:他の師や流派の教えについても学び、良い子のを取り入れ、心技を発展させる段階離:一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階

真似をする・・・学ぶは真似る・・・

徹底的に真似る。真似るのは行動です。出来る人の話も参考程度にはなりますが、出来る人はなぜ自分が出来るのか自然に出来るため言語化出来ていないことがあります。

つまり悩まなくても出来てしまうわけです。出来る人に取っては当たり前なので、なぜ周囲の人は出来ないんだ?なんて疑問に思うわけですよね。

◯行動を完コピせよ!

はい。この守破離を理解しつつ・・・頭の良い人?や仕事の出来る人の行動を完コピしろと著者は語ってますね。普段どんなふうに勉強をしているのか?何時間勉強しているのか?

同じ行動を完コピすることで成績も上昇するんだそうです。それには動画が有効とも書いてありますね。今はデジタル時代ですのでYoutubeなどでも気軽に動画検索できますね。娘も一輪車の動画を見て練習していた時期がありましたが、動画を見ることで自分ができた時のイメージが出来上がるのだと思います。イメージが湧くことで練習にも熱が入ったのだと思います。

◯シニフィアンとシニフィエ

シニフィアン:意味しているもの、表しているもの
シニフィエ:意味されているもの、表されているもの

シニフィアンは、フランス語で動詞 signifierの現在分詞形で、「意味しているもの」「表しているもの」という意味を持つ。 それに対して、シニフィエは、同じ動詞の過去分詞形で、「意味されているもの」「表されているもの」という意味を持つ。

元々はフェルディナン・ド・ソシュールというスイスの言語学者が提唱した考え方の様です。

抽象的なので例を・・・例えば、あなたの目の前にいる「犬」そのものは物理的な存在ですよね。それで・・・あなたが思い浮かべている犬の映像や鳴き声、つまり頭の中の犬のイメージが「シニフィエ」です。

これが「犬」「dog」といった言葉(文字・音声)になると「シニフィアン」と呼ばれます。「犬」のイメージは変わらなくても、犬を見る人によってその呼び名は、「犬」「dog」「ワンワン」と変わりますよね。

言葉というのは便利です。現実の海や犬が存在しない場所でも、言葉を使えば、「昨日、海で犬と遊んだ」という思い出話ができます。それだけ、言葉というのは重要なのです。

このシニフィアンとシニフィエの例は要はシニフィアンとシニフィエにはズレが生じることがあるので、動画を取っておけばわかりやすでしょ!?というメッセージの様です。

ここら辺りで・・・まとめに入りますが・・最後に・・・エジソンの逸話を・・・

◯エジソンは失敗の天才

発明の父、トーマス・エジソンは「私は失敗などしていない、うまくいかない方法を1万通りみつけただけだ」、「私達の最大の弱点は諦めることにある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ」という言葉を語ったとされています。

この言葉からも分かるようにタイガー・ウッズもモーツアルトもエジソンも何度も、何度も、来る日も来る日も鍛錬した事が分かります。そして周囲には暖かく見守る人々支えがあったことでしょう。適格に適度なフィードバックを与えてくれた恩師がいたのかもしれませんし。ひたすらに努力を続けた結果として才能の芽が出はじめてその芽を育てていくように、更に正しい方法で努力を重ねたということに尽きるのだと思いました。

複数の書籍で語られている真理だと思いますので、ご興味のある方は才能や天才といった書籍のタイトルを読んでみれば何らかの示唆がえられる事と思います。

長々となりましたが、読んで頂きありがとうございました。

#子育て #人間関係 #才能 #努力 #ネガティブ・ケイパビリティ #洞察 #國井善弥 #達成 #自己肯定感 #自己受容 #リベラル・アーツ





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?