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許さなくていいーミニ読書感想『毒になる親』(スーザン・フォワードさん)
いわゆる「毒親」の原典にあたる、スーザン・フォワードさんの『毒になる親』(講談社プラスアルファ文庫、2001年10月20日初版、玉木悟さん訳)が勉強になりました。一番目を引いたのは、「毒親を許す必要はない」と指摘した部分でした。
回復は許すことから始まる。定型句として語られるこのテーゼに、著者は異論を唱えます。
人間の感情は理屈に合わないことを無条件で納得できるようにはできていない。許さないといけないからという理由で無理やり許したことにしてしまっても、それは自分をだましているだけなのである。そのもっとも危険な点は、閉じ込められた感情がそのままになってしまうということだ。それで怒りが本当に消えたわけではもちろんなく、心の奥に押し込まれているのである。しかし「許した」と言っている以上、その怒りを認識することなどできるわけがない。
原著が出版されたのは1989年。しかし、ここで語られていることは古びていません。
毒親とは、「親が毒になるはずがない」という神話に隠れた害悪と言えます。その意味で、「毒親を許すべきだ」という言説も、あるべき像に被害者を押し込める別の形の神話と言えそうです。
本書では、親から心理的な虐待を含む不適切な養育を受けた子どもが、成長してうつ病などさまざまな形でそのダメージを発露する事例がいくつも紹介される。「許すべきだ」による抑圧は、同じように怒りの感情を抑え付け、マグマのように心の内側に溜め込むことになるというのが著者の洞察です。
許さなくていい。だからこそ、このメッセージは意味を持つ。回復するために、生き直すために、許さなくていい。加害者を許さないというありようを、認めてあげること。
親になった者の観点から考えると、虐待などは「一生許されない罪」になる可能性がある。そう肝に銘じれば、より適切な養育への模索が始まる気がします。
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