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AIで夫婦関係を再演する実験小説ーミニ読書感想『代替伴侶』(白石一文さん)
◎白石一文さん『代替伴侶』(筑摩書房、2024年10月10日初版発行)
突然パートナーに別れを告げられた場合、相手の記憶を転写したアンドロイド(AI)=「代替伴侶」が与えられる。その奇抜な設定に惹かれましたが、読み心地は予想と異なりました。これは技術を問うSFじゃなくて、夫婦関係の本質を問う恋愛小説だった。
最初にイメージしたのは平野啓一郎さんの『本心』。あの作品は、亡くなった家族をAIで再現し、対話を試みるものでした。AIを通して「再現できないもの」をあぶり出す物語。
対して本書『代替伴侶』は、主題となっている別れが死別ではなく、不倫・不貞となっている。舞台は人口爆発が止まらない設定で、不妊治療が制限されている。自然妊娠以外に子をもうける手段がなくなり、不妊を抱えるパートナがいる場合、妻・夫以外との関係を持ち、子を授かることのハードルが下がってしまった。
そのショックを和らげるための、代替伴侶なのです。だから、代替伴侶の役割は、死によって叶わなくなった対話の再現ではない。「子がいない」ことを通じて崩壊した夫婦関係の「再演」です。
そこで問いかけられるのは、果たして夫婦関係に子どもは必須だったのか?ということ。こんなセリフが出てきます。
みんな最初は良い夫婦でいたいと思って結婚するのに、いつの間にか良い家庭を待ちたいと望むようになる。子どもという存在がそうさせてしまうんだ。でも、それって夫婦にとっては一つの大きな挫折なんじゃないだろうか。子どもを持つことによって、結局、僕たちは夫婦であることの意味と価値を見失ってしまうような気がするよ
いい夫婦を持ちたいから、いい家庭を持ちたいに願望が変わる。いや、すり替わってしまう。それを本書では「挫折」と表現する。なるほど、挫折か。この挫折は挫折と認識されないからこそ、やっかいです。
アンドロイドは、挫折を生まないパートナーとも言える。だって、アンドロイドが子どもを産むことは不可能だから。つまり、代替伴侶は出産を抜きにした、挫折する前の、挫折することのない夫婦関係を提示してくれる。
代替伴侶と生活を新たにした登場人物の一人は、こんな風に語ります。
彼女以外のことなんて、どうでもいいとは言わないけど、でも、心の底ではどうでもいいって思っていたよ。もちろん仕事はちゃんとやらなきゃいけない。暮らしを守るのは僕の役目だったからね。健康にも気をつけた。僕が病気になったら一番悲しむのは彼女だから。むかし何かの本でこういう言葉を知ったんだ。〝今日の晴れを喜び、明日の雨を嘆くなかれ〟それを日々、実践しようと思ったよ。ただ、ひたすら今日だけをふたりで生きていこうってね。
幸い、彼女の方には病気の心配も事故の不安もない。それは本当にありがたかったよ。僕は彼女のこころの安らぎや日々の喜びに集中すればよかったから
アンドロイドは、病にかからない。プログラムされている以上、自分から離れない。ただひとつ、子どもだけは産まない。だけどそれは、夫婦関係を何も損なわない。
今日の晴れを喜び、明日の雨を嘆かない。それができたらどんなにいいか。でも冷静になれば、アンドロイドとの子ども抜きの夫婦関係は、アンドロイドとじゃないとできないものではない。
本当は、目の前の妻と、夫と、アンドロイドではない相手を思いやる関係は築けるのではないか。たしかに病にもなるし、寿命もわからない。愛が尽きないとも約束できない、けれど。
生身の人間を信頼することは、アンドロイドを安心して愛することよりも難しい。シンプルではない。その難しさを越えるには、ただただ信頼しかない。なんとも人間臭い真実が浮かぶのでした。
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