亡くなった人を本当にAIで復活できるのかーミニ読書感想『本心』(平野啓一郎さん)
平野啓一郎さんの『本心』(文春文庫、2023年12月10日初版発行)は、読み終わった後に頭がグルグルするほど濃厚な作品でした。さまざまなモチーフが詰め込まれていますが、中でも心に残ったのは故人を仮想現実として再現した「ヴァーチャル・フィギュア(VF)」でした。
主人公は、事故で母を亡くした30歳の青年。母は生前、「自由死」を希望していた。自由死とは、現実社会で言う尊厳死(この小説世界では尊厳死が法制化されている)。母はなぜ自由死を望んでいたのか?もはや知ることができない「本心」を知るために、青年は母のVFをつくることを決意します。
VFは、膨大な母の「ログ」が元になる。メールやSNS、読んだ本など、膨大な過去の痕跡です。それらを元に、統語論的に、「母がやりそうな受け答え」を高度に再現できるAIが出来上がる。
VFの業者は「VFには心はない」と最初に断言します。心はない。しかし、VFの〈母〉を前にした主人公は、そこに心を感じてしまう。あまりのリアリティに崩れ落ちてしまいます。
心がないはずのAIに心を感じる。そのとき、そこに心はあるのでしょうか、ないのでしょうか。
これだけでも、しばらく頭を悩ます問いです。こうした哲学的モチーフが、本書にはこれでもかと詰め込まれています。前述の「自由死」もそう。また、主人公は仮想現実を通じて富裕層に身体を貸してさまざまな雑務をこなす「リアルアバター」の仕事をしている。それぞれのモチーフを通じて考えさせられる人間の実存があります。
VFをめぐるやり取りで印象に残ったシーン。主人公の友人がテロ事件の容疑者として逮捕され、ニュースを学習した〈母〉がそれに同情を示します。主人公は反射的に、「お母さんはそんなこと言わない」と否定する。このフレーズは、VFが本物とズレがある時に修正するセリフです。そしてはっとする。
人間はもちろん、過去の延長にある存在です。だけれど人間は時に、過去の姿と大きく変わる。周囲にいる人間からすれば、予想外の振る舞いをする。そうやって自己のコントロールが及ばないからこそ「他者」なのです。
しかしVFは、主人公の予想と違うときは消去できる。矯正できる。「誰かから言ってほしい言葉を言わせる」存在なのです。他者は決してそんな風にはならない。むしろ、言ってほしい言葉を言わせる強要は、一種の暴力とすら言えるはずです。
平野啓一郎さんはたびたび「過去」をテーマにする。『マチネの終わりに』がそうでした。今回は、過去の積み重ねだけが人間ではないこと、そして過去の積み重ねだけで人間を「生成」することの暴力性を、物語の中で活写してくれたように思います。