存在すら知らなかった本を買う
先日、書店で本を買いました。仕事などで時間が見つけられず、久しぶりの来店、まとめ買い。SNSや新聞広告を通じて以前から「狙っていた」本を買うつもりが、ついつい違う本にも手を出してしまう。中には存在すら知らなかった本もありました。
たとえば、井奥陽子さんの『近代美学入門』(ちくま新書)。美術入門ではなく、美学入門というのに惹かれました。新書の新刊のようで、面陳列(表紙を前にする形での陳列)で店頭でプッシュされていて、つい手に取ってしまいました。
『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』(文春新書)もそう。松岡正剛さんと津田一郎さんの対談本で、新書にしては異様な分厚さに目を奪われました。陳列の量からして話題本のようですが、私はキャッチできていなかった。
佐藤信夫さん『レトリック認識』(講談社学術文庫)は、『レトリック感覚』がめっぽう面白くて、だけど続編というか姉妹編の本書があることは知らなかったので、目付けもんでした。
旧刊になってしまうと、どうしても「欲しい本リスト」からこぼれ落ちてしまいがち。『みんなが手話で話した島』(ノーラ・エレン・グロースさん、ハヤカワ文庫)も、以前は気になっていた記憶があるけれど、すっかり忘れていた一冊でした。なぜかたまたま、棚の中から見つけ出せた。我が子が発達障害の疑いが指摘されるようになったのも大きいかもしれない。
すると近くにある、『金星の蟲』(酉島伝法さん、ハヤカワ文庫)という小説が目に入る。『オクトローグ』という作品集で聞いたことのある作家さんでしたが、未読。新刊のようで、手に取ることにしました。
こうやって、欲しい本とは別の本、ある意味「欲しくなかった本」を買ってしまうのが、書店の醍醐味だと改めて感じます。欲しい本しか買わない、買えないのであれば、知的関心の範囲は広がらない。急に風穴を開けてくれるのが本屋さんですね。