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学びと憂鬱(1)

はじめに

先日のnoteにも書いたが、私が今興味があることの一つに「人はどのように学び成長するのか」ということがある。
少年団でサッカーのコーチを始めてから、早いもので12年目。これまでの知見について整理してみたい。

学びとは?

経験によって動物(人間を含め)の行動が変容すること

webilio辞書より

語源は確か「真似ぶ」だったと思う。
誰かの真似をしていく中で新しいスキルを獲得していく。
言葉や文字から始まり、ひらがな、カタカナ、漢字、英語、数学、などなど。
人間が長い歴史の中で紡いできた結晶を、ありがたいことに「義務教育」というシステムの中で、教師というメッセンジャーを通して学んできた。

自分は学んでいるのか?

主観としては、「Yes」だ。
主たる方法としては、読書。
気になるテーマについて本を購入し、理解を深める。
それをNoteや仕事でアウトプットし、自分の糧にしていく。

現在関心のあるテーマは先日のNoteでも書いたが、下記の通り。

《知りたいこと》

①自分は何者なのか?また、何を成し遂げたいのか?
②「わかる」とは何か?
③なぜ自分は走っているのか?

世の中では学んでいる人は少ないらしい

【リスキリングブームの落とし穴】/pivotチャンネルより

https://www.youtube.com/watch?v=LFyiI7IPGD4&t=1112s

先日観たYoutubeの内容が非常に興味深かった。
日本人の半分が全く学んでおらず、平均すると13分。
また、企業の人材への投資額は他国と比べると著しく低い。

15歳時点の学力は世界トップクラスにもかかわらず
なぜそうなってしまうのか?
上記の動画では「7つのバイアス」があると解説しているが
個人的には大きくは3つの要因に集約できると考えている。

①『学び』を頭でっかちに考えすぎ

私自身も大学に入るまでは学校の勉強で精一杯。
部活やアルバイトに時間を優先して使いたいと考えていた。読んでいた本といえば『Boon』などファッション誌と、『サッカーストライカー』というサッカーの技術を解説している雑誌だった。

左:サッカーストライカー  右:Boon

サッカーやファッションの雑誌を読むことは『学び』ではない、という人も読者の周りにもいらっしゃるのではないか。学校の勉強や受験に直結しないことは『学び』ではないと。社会人でいえば、仕事で役に立たないことは学ぶ必要がないだろうと。

さらに、学ぶときの姿勢もかかわっているように感じる。
新型感染症のおかげで様々なものがオンライン化され、学び方も大きく変わった。それまでの『学んでいる』姿のイメージといえば、机に座って参考書を片手に問題を解いたり、先生の講義を聴いたりするのが一般的なように感じる。

つまり、学ぶ内容、姿勢ともに頭でっかちに考えすぎた結果、「自分には学びたいことはない」「学ぶには時間がないと無理」という思考を招くのではないだろうか?

②『学び』の価値の低下

PCが一人一台ない時代は、何か分からないことがあれば百科事典や辞書を引いたり、先生や専門家などその領域について知見のある人間に聞くことが一般的だった。
それが、インターネットの検索で調べられるようになり、Wikipediaでは関係する物事まで一回の検索でたどり着く。さらに昨今の生成AIは、より抽象度の高い疑問についても回答を得ることができる。

簡単に調べられる環境を手にした私たちは、「調べれば何でも分かる」という安心感のもとに生きているのではないか?さらに危険なのは、「調べて分かったことは全て自分の知識になっている」という全能感を感じてしまうことだ。その結果が何か分からないことに直面した時に、検索すればいいか、ChatGPTに聞いてみようと考えることを止めてしまう。「調べなくても知っている」知識の価値が相対的に低下しているように感じる。

③コンテンツ渋滞

ここについては、自戒の念も込めて。
最近では、本だけでなくラジオやYoutube、Podcastでも学ぶコンテンツが沢山あることに気づいてしまった。更新されるコンテンツを抜け漏れなくチェックしているだけで時間がすぎてしまう。その中で「これ気になるな」「ここは深堀りしたいな」と思っていても、波のように日々押し寄せてくる新しい情報に、自分の心の声はどこかへさらわれてしまう。

仮にその場で気になった本を買ったとしても、他にも気になっていることがありすぎて、積読状態。興味があることが多すぎて、渋滞してしまう。渋滞した結果、膨大な情報を前に自分の思考回路は停止してしまう。これを「コンテンツ渋滞」と個人的に呼んでいる。

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか?』

最近話題のベストセラーだ。
積読状態の私の本棚において、優先して読むべきか購入に迷うこと1か月。
一気読みしようと思い切って購入。

筆者がこの本を書くきっかけになったのが、映画『花束みたいな恋をした』を観たことだと知り、まず映画を見るところから始めた。

この映画を通して、麦と絹は対照的に描かれている。
二人に共通しているのは、音楽や映画、芸術が大好きであるということ。
ある時、麦の父からの仕送りが止まり、イラストの仕事だけでは生活ができない状況になった。それをきっかけに就職活動を始める。就職してからは会社の仕事についていくことに精一杯。筆者の言葉を借りれば「全身全霊」で働いている状態。

これ以上あらすじを書くと、本も映画も面白くなくなってしまうので
一旦こんなところで。

この本・映画で主張されていることは、まさに現代人が学ぶことを忘れてしまった姿なのではないか。
まとめると、

【学ばない理由】
・目の前のこと(仕事)に全身全霊 → それ以外のことに興味がなくなる
・コンテンツ渋滞 → 思考回路が停止
・調べたら直ぐに答えにたどり着く → 学びの価値の低下

大雑把すぎるかも。

そんな自分も最近忙しく、更新が遅れてしまった。猛省。
最後まで読んでいただき有難うございました。