自分探しと憂鬱(1)
「自分は何のために生きているんだろう」
「自分は何がしたいんだろう」
最近、転職を考えている中でこの問いに久しぶりに正面から向き合うことになった。思えば、この問いは大学時代から常に自分の傍にずっと存在している。直近1か月ほど考えたが、答えはまだ見つかっていない。
久々に自分探しの旅へ
そもそも、上記の問い=「自分探し」と考えるようになったきっかけは、『日常に侵入する自己啓発』という本を読んだことだ。
著者の牧野さんは、自己啓発本という題材から、日本人はどういう理想像を追いかけてきたのかを歴史を振り返りながらまとめている。
成功者は、無駄なく効率的に時間を使うことで成功を手にしている。
そのために、スケジュール帳をつけ自分の1日、1時間単位のスケジュールを管理する。日記をつけ、今日は無駄はなかったか内省する。
自己啓発本は、あくまで手段として上記のことをすれば成功するかのように説く。
かなり乱暴な要約だが、牧野さんは著書の中でこう主張している。
ここ数年の自分はまさにこの状態になっていた。
自分はこのままでいいのだろうか?「目指していた自分」はこんな感じだったのか?と考えるようになり、自分探しの旅に再び出ることにした。
自分探しとの出会い
「自分探し」というものをはっきり意識するようになったのは、冒頭にも書いた通り大学生の時だ。生まれて初めて人間関係に悩んでいた時だった。
高校生までの自分は、クラスや部活、アルバイト先ではいじられキャラだった。明確に人に嫌われたり、嫌がらせをされたような経験はほとんどない。
(自分が感じていなかっただけかもしれないが・・・)
大学は第一志望の大学で、専攻は小さいころから大好きだった歴史学。
文学部は女子が多いと聞いていたので、人生でモテた経験のない自分はワクワクした気持ちを胸に、入学式に参加したのを覚えている。
学科全体は40名ほどだったと記憶している。そのうち、男子は10名ほど。
中心的な人物はSくん。入学当初はかなり仲良くしていたが、ある日突然一切口を聞いてもらえなくなった。Sくんだけではない。他の男子もだ。
Sくんは女子とも仲が良い。
初めて味わった疎外感。人間関係で味わう初めての挫折。
憧れてたキャンパスライフがどんどん遠のいていく。
当時の自分は憂鬱に支配されていた。
学校には授業がある時間にしか行かなくなり、授業がない時間は千駄ヶ谷のカフェで時間を潰していた。
「どうすればもっといい男になれるのか」
「どうすれば好きな女性に振り向いてもらえるか」
当時はそれを追い求めていた。
この頃から本を読むことに魅力を感じるようになる。
当時は辻仁成や江國香織などの恋愛小説を好んで読んでいた。
つまらない現実に対してのアンチテーゼとしての読書。
憂鬱な気持ちに支配されいた自分を、違う世界に連れて行ってくれる、読書の虜になっていた。
現実逃避をしながら、「自分はどうしたいのか」を一生懸命ノートに考えを書きながら思考していていた。それが自分探しを意識的に始めた瞬間だった。
尾崎豊、Mr.children
同時に音楽にも傾倒していく。
両親の影響もあり、中学生からMr.childrenにハマっていた。
当時からカラオケでは、Mr.childrenばかり歌っていた。
ボーカルの櫻井和寿さんが作詞をしているのは言うまでもないかもしれないが、青春の1ページごとにMr.childrenがテーマ曲のようにセットで結びついている。
個人的に櫻井さんは自分探しの達人だと思っている。
先ほど挙げた『日常に侵入する自己啓発』の著者である牧野智和さんのインタビューの内容も参照しながら、自分なりにまとめてみる。
牧野さんは上記のように指摘しているが、私がMr.childrenと自分探しの関係性を意識し始めたのは『名もなき詩』。
自分は「自分らしさ」の檻から抜け出せていないからダメなのではないか?
抜けだして変わらなきゃ!と思ったのと同時に「自分らしさ」って何だ?と感じたのを覚えている。
また、『終わりなき旅』では
自分は、今よりももっと大きなものなんだ。
高い壁や困難を乗り越えたらもっと大きな「自分」に出会える。
それを追い求めるのが人生なんだ、と。
前掲した牧野さんの記事は最近見つけたのだが、偶然にも私はMr.childrenの次に好きになったのは、尾崎豊さん。
尾崎さんの存在を知ったのは『学校へ行こう』の尾崎豆さん。
替え歌面白かったな~。(一応リンク貼っておきます)
『I love you』や『oh my little girl』などのラブバラードと同じくらい有名なのが、『15の夜』や『卒業』などのロック調の曲たち。
Mr.childrenのカバーがきっかけで聞き始めた『僕が僕であるために』。
「勝ち続けなくちゃならない」の一言を信じ、ひたむきに自己研鑽に向き合ったのを覚えている。
長くなってしまったが、私は、櫻井さんや尾崎豊さんの中に「自分探し」という行為に崇高さを見出し、その思考を模倣しているうちに「自分探しをしている自分」に陶酔していた推測できる。いわゆる意識高い系。
手段と目的を完全にはき違えている。
今回はここまで。次回続く。