
自分を世界で一番愛してくれる人探し
「もっと自分を愛してくれる相手がいるはずだ」ってキリなく期待して
世界で一番自分を愛してくれる人間を
際限なく物色し続けるつもりですか?
『窮鼠はチーズの夢を見る』
これは前に映画化されたのを知ってはいたんですが、映像が私には刺激が強くて?断念してしまったんです。
ただ、何かのきっかけにこの漫画を手に取りびっくり。
ずっと先輩に恋焦がれて、叶わない恋に苦しんでいた今ヶ瀬の口から出る言葉は、恋愛のどうしようもない側面を露わにする。(本当に水城せとな先生は、こういう部分にスポットを当てるのが上手ですよね!)
今ヶ瀬は先輩に厳しく追求する。
あなたは、見た目が綺麗で、人間ができてて、自分に良い思いをしてくれる人しか好きにならないのかと。
本当の恋を知らないのかと。
なんで恋愛というものが、こうもややこしくなるのかなあと最近考えていた。
あるドラマのワンシーンで、『愛って元々は普遍的なんだ』っていうセリフがあって、それは本当にそうだと思う。愛は普遍的だと思う。
人が人を想うこと、愛すること、慈しむこと、そういうものは言葉を超えて世界共通だ。なのになんでこうも恋愛ですれ違うのか。
その理由の一つは、この漫画でも描かれているように、それぞれ“愛し方”が違うからだと思う。
先輩は他人に愛されることで、情が生まれてお返しのように愛する。基本受け身で、どれだけ愛されているかがとても重要。対して今ヶ瀬は、相手がどれだけ自分に関心がなくても、自分がどれだけ好きで愛しているかが重要。とても能動的。
どっちが良い、悪い、というのはないんだと思う。ただ“愛”の概念がとても明らかで、共通で私たちが持ってるのにも関わらず、“愛し方”のバリエーションが多すぎて、私たちは自分以外の“愛し方”を理解できないんだと思う。
自分の“愛し方”はどうだろう。自分が好きな相手の“愛し方”はどんなだろう。
どこまでいっても私たちは自分とおんなじ“愛し方”の人には出会えないと思う。
それは悲観的とかじゃなくて、私たちがそれぞれ自分というものを持って生まれてきた以上、おんなじにはならない。
だからこそ最低限、相手が自分を想ってくれている、そして相手も自分に想われていることを理解している、という共通認識が必要なんだと思う。
恋愛の初歩の初歩を、やっと知り始めたアラサーです。
それにしても、自分が普段触れない世界(今回はBL漫画!)に一歩入ると
こんなにも良い出会いがあるんだな〜と、冒険する大切さも学びました。
Written by あかり
アラサー女