なんでもかんでも「正解」を求めてしまうあなたへ。
いつもご覧いただいている皆様、本当にありがとうございます。久しぶりに、「毎日読書日記」以外の投稿をします。というのも、ちょっと価値観を根底から覆されるような絵画と出会ったもので・・・
突然ですが、皆さんはこちらの絵画をご存知でしょうか。
またしても突然ですが、ここで問題です。この絵画は、いったい何を描いているでしょうか。
正解は・・・・
わかりません。
騙しているわけではないです。何が描いてあるのかわからない。それこそがこの作品の特徴なんです。
「は?なんだよそれ。」って思ってしまった方、ごめんなさい。ただ、私はこの作品にたまたま今日読んでいたほんとであって、衝撃を受けました。
時は1909年。ロシアの画家であるワシリー・カンディンスキーはモスクワ大学で法学部の助手をしていたという異色の経歴を持っており、30歳にして画家を志したという。
そんなカンディンスキーがシェーンベルクという前衛的な作曲家のコンサートを鑑賞した時のこと。そこで感じた鮮烈な感動、記憶、イメージを、鮮やかな色彩で表現したのがこちらの作品です。
作品の名前は『印象Ⅲ(コンサート)』。1911年に描かれた油絵である本作品は、現在はドイツのミュンヘンにある「レンバッハハウス美術館」に展示されています。
改めてよーく観察してみると、黒い部分はピアノで、色は観客に見えなくもないです。
ただ、それすらも真意はわかりません。問題はそこではないのです。作者であるカンディンスキーが感じた、「音楽への感動」がこの作品の真の魅力なのだと個人的には思います。
この絵は、見れば見るほど虜になってしまいます。そして、ありとあらゆる想像力を掻き立ててくれて、気が付いたら他の作業が手につかなくなってしまうくらい衝撃を受けていました。
この記事の冒頭では、あえてクイズのように出題させていただきました。(不快になられた方ごめんなさい)ただ、私がそのように聞いていなかったとして大半の方は「これ、いったい何が描いてあるの?」と思ったのではないでしょうか。
そこから、自然に「何が描いてあるか教えてくれ!」と思ってここまで読んでいただいている方、私と同じお考えの方です。私も、いろんな記事を検索していました。ただ、結果正解には至りませんでした。
それと同時に、なぜか私の中でまた違った角度で疑念が生じました。
「あれ、なんで正解を求めているんだろう?」と。
いろいろなご意見があると思いますが、絵画に関しては「何でこんな風に描いたのか?」という問いに対して究極描いた本人にしか正解できません。というか、正解する事すら必要としていないのかもしれません。
問題なのは、自分自身が「常に正解を求めたがっている」思考ムーブに入ってしまっていて、純粋にこの作品をはじめ目の前の物事を心から楽しめなくなっているということにあると私は自己分析しました。
そして、そんな自分はまだまだ「今を楽しむ」思考には至れていないんだな。と。
これはあくまでも自分自身の分析にすぎませんが、意外と同じように感じた方も多いのではないでしょうか。だって、日本の教育って、そういう教え方になっているのですもん。
これだけを判断材料にして良し悪しを決めるつもりは一切ないですが、こういった正解を求めてしまう思考ムーブに入っている方にはこの絵は絶対に描けないのは確かです。
凝り固まって正解ばかり求めるのではなくて、単純に「どういう気持ちでこの絵を描いたんだろう・・・」「何を表現しているのだろう・・・」と思いを巡らせることで、この絵の魅力を最大限愉しめる。私はそう感じました。そして、この絵だけでなく絵画や芸術は、こういった面があるんだなと20代半ばにして初めて実感しました。
そんなこんなで、日々正しさをもとめて生活されている方には、たまにこういった芸術と触れ合うことで想像力を広げることをお勧めします。もちろん、私も。明日は一人で上野に行ってきます!!
・・・ちなみに、こういった具体的に何かを描くのではなく、色彩や線などだけで作品を作り上げようとする絵画を「抽象絵画」と呼び、カディンスキーは、このジャンルを開拓した「抽象絵画の父」と呼ばれているそうです。
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