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親になってはダメな毒親13…私のあだ名は不潔女またはふけ女

私を励ましてくれた高橋先生は翌年には
別の学校へ転任になりそれ以来会う事はなかった!

四年生のクラスは六年生までクラス替えなしで持ち上がった。

母は学校、地域、バイオリン教室でもヒソヒソと話題の人になったようで、
買い物も誰もいない時を見計らってコソコソ行く姿を見ていた。
相変わらず父には怒鳴られる毎日で、私に対しての八つ当たりは更にエスカレートしていった。

それに伴い私もクラスでは完全に浮いてしまった。

男子からばい菌扱いをされ、私に触れると「ばい菌がうつる!」「汚い」と私から1メートル四方離れたり、机を離したり、私の着ていたカーディガンを投げては間違えて触れてしまった人はばい菌扱いをされるなど男子の中で盛り上がり・・・
女子はそんなことはしないまでも、避けられていたことは解った!
そんな学校生活が卒業まで続いた!

そんな様子を担任の先生は見て見ぬふりをしていた。

バイオリン教室は個人レッスンだった。
長期休みの時はどこかで借り切って集団で練習したり、発表会などもあった。
父兄の前で児童が十数名でバイオリンの演奏をしていた時だった。

バイオリンを弾きながらも、何となく険悪な雰囲気を感じずにいられず・・・
突然!母親は鬼のような形相で、みんなが見ている中、演奏中、私の手首を掴んで
その場から外へ引きずり、そのままタクシーで家に帰ったことがあった。
そして、バイオリン教室は辞めてしまった。

父兄の座席からどこからともなく、私と母の噂をコソコソ話していたのが聞こえてしまい、母はそこにいたたまれず起こした行動!

それでもバイオリンを辞める羽目になったのも私が原因という事になり、
あれだけ私のバイオリンに入れ込んでいた父に対して、どんな言い訳をしたらよいの?また怒られるんじゃないの?どうしてくれるの?と
母は私に怒鳴った。。

私はバカだからと納得して聞いていた。

四年生の時に入った塾、クラスの大半は放課後遊んだ後に行った。

先生は私を「恩師の孫」という特別扱いなどはしなかった。

むしろ、東北大学の教授というご立派な方の娘であり、大変お世話になった大先生の孫なのに・・・と一番言われたくない事をぶつぶつ言われることが多かった。
ある日、分母の違う分数の足し算、引き算の問題を解いていた時の事!
なかなか理解できない私に先生は感情的になりその場で泣いてしまった事があった。
学年の違う子も混ざっていて、その中でも私は頭の悪いレッテルを張る事になった。

五年生の二学期の秋が深まったある日、
私にあだ名が付けられた!!「ふけ女」「不潔女」だ。

髪の毛がやたら痒くて痒くて・・・ぼりぼり搔いていた!
机の上にフケが溜まり白くなっていた!!
そのフケをかき集めて指でこねて団子にして一人で遊んでた。

それを目ざとく見つけたとある男子!

汚ねぇー・・・何なんだ~この女・・・それになんか匂うぜ~・・臭せぇ~

どんなこと言われても頭がかゆくて仕方ない・・・
先生は相変わらず何も注意をしない・・・

しかし、この様子を母には何度も連絡は行ったらしい・・・
何度も忠告をしても私の母は改善しないので、放置したようだ!!

家に帰って母に「髪がフケだらけで汚いって言われた」と報告したら
そんなこと言う人はバカなんだから相手にしなければ良いの!
と先のとんがった櫛で私の頭の痒い所をこすっていた。

そんなことより、風呂に入ってシャンプーをすれば早いのに・・・
風呂に入りたい!と要求する事が出来なかった。
バカの癖に要求ばかりして!!何様のつもり?って言われるのがおちだから・・・


仕事が忙しくて不在な事が多かった父が久々に家にいたある日、
「ちょっと来い」と呼ばれた。

父のそばに行ったら、「臭い!おまえ風呂入っているのか?」と聞かれたが、私はうつむいたまま黙った!!

お風呂入っているのか?と再度聞いたら、首を横に振った!
いつから入っていないんだ?と聞かれたら、

8月以来入っていない!

8月?お前三か月も風呂に入っていないのか?汚いなぁ~

すぐ風呂沸かして入ってこい!と言われ母は父の指示に従い
急いで風呂を沸かした!

垢だらけの身体をゴシゴシこすったら、消しゴムのカスみたいなのがどんどん出てきてタライの縁にこびりついた。

三か月振りに髪を洗ったらなかなか泡が立たなかった。

母曰くは戦争中はなかなか風呂なんか入れなかったよ
風呂に何か月も入らなかったくらいでガタガタいう方がおかしい!!

今は戦争などやっていない平和な時代!
毎日風呂に入るなんて当たり前ではないかと思い、ずれた考えの母!!

私のふけ女、不潔女は卒業まで続いた。



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