倍速批評Ver0.1 「葬送のフリーレン」と倍速視聴についての覚書
フリーレン、最近周囲で聞いたのだが、物語が「わからない」という人が結構いるらしいことが判明。しかも年齢問わず。傾向としては、いわゆるキャラ萌えで作品を消費しているタイプの反応らしい。もしあのぐらいの物語が「わからない」となると、古今東西の世にある物語の大半がわからないのではないか
— ノルノル (@nolnolnol) January 13, 2024
先日の日記にも書いたが、「葬送のフリーレン」の物語を理解できない人が少なくないという内容のツイートがバズっていた。私は、なにか作品の物語を理解するという行為が実際にどのようなことか自明でないという批判を考えた。そもそも、そのような人が実在するのかも怪しいし、「古今東西の世にある物語」と教養主義的な価値観が見え隠れしているのも個人的に好ましくない。
フリーレンのストーリが理解できない話。実をいうと倍速視聴だったので改めて等速で視聴した。
— リアル農夫houmei@【JCU】マイクラ城郭再現【BE勢】 (@nouhuhoumei) January 14, 2024
確かに間延びというのはあるかもしれない。けれどもそれ以上に指摘の「萌えアニメの消費」との対比(検索するとけいおんやゆるゆりリゼロなどが入るようだ)の方が大きいと思った。1/7
さらに、「フリーレン」を倍速視聴したので理解できていなかったというツイートも議論になっていた。私は「倍速批評」を掲げておきながら、「倍速視聴」は一度もしたことがないフェイクだ(逆にリアル?)。しかし、もちろん素朴な「倍速視聴」批判をする気もない。「倍速視聴」とフリーレンというキャラクターの親和性は興味深いなと感じた。
そう言えば「エルフたち長寿族が時間の流れに鈍感なのは短命族の一生は倍速みたいにあっという間だから」って誰か言ってな。フリーレンからするとヒンメルは倍速視聴みたいにいつの間にか老いて死んだということか。 https://t.co/DIz9GD75iJ
— 璱翀猇閄 (@mount_low) January 15, 2024
むしろ倍速視聴者は「そんな単純なことさえ早すぎる時間の経過で気づくことができなかった」という体験を経験しているので、フリーレンへ感情移入するどころかフリーレンそのものみたいになっている可能性ある https://t.co/l8juApDZAy
— ソロクリア済み (@HABURAREte) January 16, 2024
素朴な「倍速視聴」批判でなく、それ自体について考え始めると、そもそも速度に限らず、私たちは異なる視聴体験をしていたと理解できるだろう。サブスクリプションサービスが普及するずっと以前から。どの時代の、どの視聴環境が正しいか、そんなことはどうだって良い。それは言語の用法のように進化していくものだろう。再現不可能な、極めて個人的な文脈と作品がどう関わっているのか、これこそが少なくとも私の批評には重要なのである。
先日、Twitterのスペースでも話したが、美術館女子・エコテロリスト的批評というものを久しく考えている。詳細は省略するが、美術品をある種の背景とし二重の鑑賞物を立ち顕せるアイドルや「若者」の在り方、または美術品に接着剤で自らの手を貼りつける活動家の在り方を再考したい。
4枚のキャプ画と140文字で構成されるTwitterにおける広義の批評に主体は存在しない。それは良くて早押しクイズ、悪くて百人一首だろう。彼らは「線」に注目する。しかし、実際には、どこに「線」が引かれているのだろう。彼らは「鏡」に注目する。しかし、実際には、誰がそこに映っているのだろう。