自己肯定感と自尊心を取り違える、悲しい人たち
最近、こんな悩み相談を受けました。
企業や、なんらかの組織で働く人にとっては、もしかしたら日常の景色かもしれません。
この記事では、この相談の何が問題なのかについて解説をしていきます。
1.「ミスをしたらすぐ説教をされる環境で、自己肯定感を失くした」は、どこに問題があるのか?
相談者が伝えてくれた情報はとても多いので、事実や現象を一つずつ分解して整理しつつ、何が起こっているのかを掘り下げていくことにします。
分解するにあたって重要なことは、まず「人」を分けることですね。この場合は「説教する側」である上司と、「説教を受ける側」である相談者とで分けてみると、きれいに整理できる気がします。
そして状況ですね。相談者の文面を呼んでいると、どうやら「何度も」「分かりきっていること」での説教を受けているようです。ですので、話を分かりやすくするためにも、この先では「初めてではない」「何度目かの」説教をしていることについて、誰が何を考えて、どう問題なのかと深掘りしていきましょう。
2.説教をする側の心理
― 組織内で起こるミスは、減らさなければならない
会社や組織での「上司」の役割は、基本的にはすごくシンプルです。
「組織全体を成長させることと、成長の邪魔になるミスを取り除くこと」
この2点に尽きます。
相談者の書かれている「ファイルの置き場所を間違えた」というミスは、組織全体の目線で見ると、他の誰かの時間を無駄にする行為です。すぐ見つかればいいのですが、もし、置き間違えたファイルが重要なもので中々見つからないような場合には、1日2日ほど、他の人の仕事の手を止めてしまう可能性もありました。
また、工場ではこういった備品の管理は非常に徹底されていますよね。特に食品工場では、中小企業でも異物混入が起こるだけで多額の損害が発生します。そのため、置き場所間違えなど「気を付けさえすれば防止できるミス」に対して、会社や組織は厳しく当たらなければなりません。
― 説教は、「成長できない人」を炙り出すとても効率的な手段
では、ミスをなくすための手段として、なぜ「説教」を行うのでしょうか?単純に考えると、ファイルの置き場所を間違えないような工夫を施すような「作業上の対策」をすれば良さそうなものです。
しかし、実は、説教と言うのはミス防止に対して非常に効果的なのです。その理由は、ミスの種類にあります。
ミスは大きく2つに分類できます。
1.ヒューマンエラーは「ついつい、うっかり」や「改善しようとした意図的なルール無視」などが当てはまります。一方、2.作業または設備環境要因は「そもそもルールが決まっていなかった」などが当てはまります。
相談者の事例に当てはめると、以下のように整理することができます。
・ファイルの置き場所が決まっていなかったため、ファイルを紛失した=作業または設備環境要因
・ファイルの置き場所は決まっていたが、ついつい、うっかり、置き間違えてしまった=ヒューマンエラー
今回のケースは、置き間違え=もとは正しい置き場所が決まっていたということなので、ヒューマンエラーに該当すると考えるのが自然でしょう。
では、ヒューマンエラーをどのようにして防ぐかを考えていきましょう。あなたならどうしますか?
優しい人は「ファイルの場所をもっと分かりやすくしよう、色別に分けるとか、保管場所に番号を振って決めるとか」と、作業手順やルールで対応しようとします。
これは一面では正しいですが、重要なことを見落としています。
「そもそも、ルールを守るつもりのない人は、どれだけ考えられたルールを決めても、守る努力をしない」ということです。
相談者のケースをよく読むと、何度も同じようなミスをしていることに対する説教であることに気づきます。つまり、相談者は、何度も同じようなミスを繰り返しながらも、「自分がミスをしているかも」と警戒して一度ファイルを置いた時に正しいかを確かめるといった工夫すら行えていないことが推察できるのです。
さて、困りました。ルールの整備でなんとかしようとしても、そもそも相手はルールを守る努力をしません。つまり、成長しないのです。成長しないので、上司がどのような工夫をしても、同じミスをいつまでも繰り返してしまう。
では、どうするのか。
その答えは「成長できない人を組織から取り除いていく」しかありません。そして、その成長できない人を特定する方法が、「説教」なのです。
とてもシンプルに、説教はイヤなことです。なので、説教を避けるような工夫や努力を行うのかを確認することで、その人が「成長できる人」なのか「成長できない人」なのかをハッキリと炙り出すことができるのです。
ー 説教なんて、してる側も面倒くさくて、やりたくない
上司にとっても説教は決して楽しい仕事ではありません。多忙な業務の合間に部下を叱ることは、精神的なエネルギーを消耗させますし、部下との関係が悪化するリスクもあります。
実は、上司自身も「できれば説教なんてしたくない」と感じていることが多いのです。しかし、組織の中でミスを放置するわけにはいかず、結果的に厳しい態度を取らざるを得ない状況に追い込まれているケースも少なくありません。
説教をしている人の顔をよく見てください。とても、嫌そうな(楽しくはなさそうな)顔をしていませんか?それだけ、説教なんていうものは、そもそもやりたくないことなのです。
3.相談者=「自己肯定感が低い」と自分で言えてしまう側の心理
― 「できていた自分」を手放せない
学生時代や過去の経験で「自分はうまくやれていた」という成功体験があると、「うまくやれている自分」が、自分にとっての当たり前になります。しかし、社会人として新しい環境に入ったときに、これまでのスキルや知識が通用しない場面に直面し、自分が「できない存在」に感じてしまいます。このギャップが、自己否定の感情を生みやすくします。
「過去の自分はできたのに、今の自分はダメだ」と感じることで自己肯定感が下がるのは、過去の自分に執着し、新たなステージでの成長を受け入れられていないからです。もっとシンプルに言えば、自己肯定感というのもを誤解して、自分にとって都合の良い言い訳にしています。「自己肯定感を下げられている私はかわいそうな人だ」と被害者になり、相手を攻撃するための武器として利用しようとしているのです。
ー 自己肯定感と”過大な自尊心”を取り違えている
では、そもそも自己肯定感とは何でしょうか。
とても重要な事実として、「自己肯定感」には厳密な定義がありません。wikipediaによれば、少なくとも13通りもの定義が提唱され、現在も議論されています。その中でも共通していることは、成果や他者の評価に関係なく自分を認めようとする態度をよしとすることです。
では、相談者は、いったいどのような意味で「自己肯定感」を使っているのでしょうか?改めて読み、以下の部分に注目してみます。
自信をなくし、自己肯定感が低下した、という語り口になっていることに気づきます。自信があり、自分を肯定的に受け止める態度のことを、心理学では自尊心(self-esteem)と定義しています。
自尊心は、自分が有能であるといういわゆる自信と、自分に価値があるという自尊の2つの要素から成り立っているとされています。他者との比較や成果によって得られる「プライド」や「メンツ」の要素も含みます。このうち、特に「自信」については、相談者の言葉選びとも合致していますね。
また、自尊心の欠如は、不安・憂鬱・恐れ、アルコールなどの乱用、成績不振、暴力や虐待(他者への攻撃的な態度)として現れます。一方、自尊心が過剰になると、みずからが過ちを犯したり勝負において敗れたりしてもそれを認めることがなかなかできなかったり、この結果を相手方の不当性に求めたりするようになります。
自分のミスを「単なるミス」であると軽く評価し、相手の説教は「高圧的である」と断じる相談者の態度は、私には、過剰な自尊心に見えてしまいますね。
この前提を置くと、私には、相談者が抱えている悩みは、「自分は価値のない人間なのだという不安」ではなく、「本来価値のあるはずの自分が、上司から些細なミスについて理不尽に叱責され、不当に低く評価されているという怒り」なのだろうと感じました。(事実、対面で会話をした相談者は、失意や落胆というにはほど遠いほど強い語気と表情で、話してくれていました)
4.もし、この状況に遭遇してしまったら
― 説教をしなければならなくなったら
いざ説教をしなければならなくなった場合、部下や後輩にどのように伝えるかが大きな課題になります。
感情に任せて叱責するのは、相手に不信感を与え、関係を悪化させた結果パワハラなどを人事部に訴えられ、思いもよらない敵が現れるリスクがあります。
重要なことは、相手に過剰に期待しないことです。より正確に言えば、「適切な指導をすれば、相手も心を開いて聞き、改善行動をとってくれるハズだ」という期待をしすぎないことです。
これまで書いてきたように、そもそも「成長できない人」は存在します。その時、説教をしなければならないあなたがとるべき行動は「目的に叶った」「社内での理解が得られる方法で」説教をすることです。
説教の目的はなんでしょうか?
そうです、「成長できない人」を炙り出し、適切に排除することで、組織全体を成長させることです。
上司として、預かった部下は全員なんとかしてやりたい!と強く願うものです。しかし、腐ったミカンの法則(あるいは、方程式)という言葉が存在するように、一部の人に関わり過ぎることで、その他の大多数の真面目な人が割を食うような事態を避けることのほうが重要です。
なぜなら、あなたの部下は、その困った人1人だけではないのですから。
成長できない人の特徴は様々ありますが、例えば…
・ふてくされたような態度をとる
・謝れない。もしくは、謝るが口先だけで「だから、どうする」が出てこない
・叱られた返事が「なるほど」
この辺りが代表的ですね。こういった傾向が見られたら、育成は早々に諦め、これらの行動を記録にとり、上長や人事部門などへ早めに相談をするようにしましょう。
また、社内での理解が得られる方法にも、いつくかシンプルなポイントがあります。
例えば…
・説教をするに至った事実を記録しておく
・感情ではなく、行動に焦点を当てて指摘する
・相手がしゃべらない場合でも、こちらから「どうすれば改善できるか」を伝えておく
・なるべく短時間で終わらせる
この辺りが代表的です。注意すべきことは、「こいつを何とかしてやりたい」という情熱をかけるべき相手を見誤らないことです。熱い情熱は、大きな声量、緊張した表情として現れます。それは、成長する気のない相手からすれば「威圧的」で「高圧的」、「押しつけがましい」態度に移ってしまうのです。残念なことに。
― 自分に自信をなくしたら/組織の一員になりたいか?なりたくないか?
目線を変えて、自信を無くしてしまった人が再び自信を取り戻すには、どうすればよいのでしょうか?
実は、選択肢はシンプルに2つしかありません。
1.組織の一員として認められるべく、成長できる人間であることを周囲に示す
2.自分を価値ある人間だと扱ってくれる場所を探して、旅に出る
この2つです。
考え方は非常にシンプルで、「他者からの評価によって喪失した自信は、他者からの評価によってしか取り戻せない」からです。
ひとつずつ、具体的にみていきましょう。
組織の一員として認められる方法は、とてもシンプルです。説教されている内容を積極的に好意的に読み解き、同じようなミスをしない工夫を自ら行うこと… つまり、成長してみせることです。
例えば、この相談者のような「ファイルの置き場所を間違える」場合には、「もしかしたら、OKだと思ってやっているが、実はミスをしているのではないか」と常に自分に問いかけ、常に、警戒モードに自分を置くことです。
そして、「自分はミスをする人間なのだ」「自分のいう”些細”は、この組織にとっては重要なことなのだ」という、自分との向き合い方を確立する。
これによって、ミスを減らしたという実績を残し、上司や同僚から「あいつは変わった」と言ってもらうというアプローチです。
もう一つの選択は、純粋に、場所を変えることです。能力の高低というのは、環境によって大きく異なります。例えば、運動の苦手な高校生でも、運動神経の良い小学生にスポーツで勝つことはそれほど難しいことではありません。評価は基本的に相対評価ですので、比較する相手や状況を変えることで優位に立つことは不可能ではありません。
ただし、「そんな場所や環境は、どこにもない」ということも忘れてはいけません。そんな素敵な場所には、きっと、先客がたくさんいるでしょうから。
まとめ
説教する人、説教される人の目線を行き来しながら、自己肯定感を中心に掘り下げていきました。
あなたは、どちらの立場でしたか?
こういう人に出会ってしまった場合には、仕方ない・そういう人だと割り切ることが必要です。あなたの前向きな情熱は、同じく前向きで成長できる人に向けられるべきですから。
もし、相談者と同じような悩みを持っていて、苦しみながらもここまで読んでくれたあなたは、まだ変われる可能性を秘めていると思います。決して自分に諦めずに、そして自分を過大評価せずに、目の前のことを一つずつ良くしていくことができると信じています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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