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「横の人は違う人」を描いた『シビル・ウォー アメリカ最後の日』

CMを見た時からずっと見て見たかった『シビル・ウォー』が
Amzon Primeで公開されていたので、早速見てみました。
今回はそんな映画のレビュー/感想noteです!


あらすじ

19の州が合衆国から離脱しテキサス州とカリフォルニア州からなる「西部勢力」と連邦政府による内戦が勃発した近未来の米国を舞台に、ニューヨークから首都ワシントンD.C.へと向かう4人のジャーナリストを描くスリラー映画

wikipedia

感想

そもそも何で戦争が起きたの?

映画冒頭で大統領が演説をするシーンを皮切りに西部勢力と政府軍の対立が描かれます。しかし、なんで対立が起こっているのかがよくわからん。

途中でFBIの解体とか言われてますが、それが理由?w
納得いかなさすぎて、映画鑑賞後にネットで見ると、
・大統領が憲法で禁じられているはずの3期目に突入
・FBIの解散
とのこと。
まぁ禁じ手をつかっているのはわかるんですけど、政治の腐敗まで描かれてないので、戦争をする程の理由ある?という疑問符がずっとありました。

1860年代に起こったCivil War(南北戦争)は、アメリカの奴隷制度に対する思想の違いから起こっているので背景は明確。がしかし、本作は理由が弱い。
けど、それは意図的なのかと思ったのが、次のトピックの「個の闘争」。

描きたかったのは「二項対立」ではなく「個の闘争」

戦争と聞くと、二項対立を思い浮かべます。
国同士もあれば、人種もあればですが、大体二項対立だなと。

今回も、テキサス・カリフォルニアが連合する「西部勢力(WF〈Western Forces〉)」と、フロリダ~オクラホマにかけて広がる「フロリダ同盟」と政府軍の3つぐらいが大きな勢力として描かれています。その中で主人公たちは西部勢力と同行する事で、西部勢力×政府軍の構図がメインになっていました。

そういった戦争=対立と捉えていた自分の頭からすると、映画を見終わった後はなーんかしっくりこなかったんですよね。お互い何のために戦っているのよ?と。

振り返ってみると、ガソリンスタンドを守る地元民と、死刑を受け晒されている瀕死の略奪者。政府軍の捕虜を処刑する民兵。内戦に不干渉を貫いて安穏とした生活を続ける村。敵の正体も判らぬまま睨み合う狙撃兵たち。民家で一般人の大量の死体を遺棄している所属不明の兵士達など。
描かれているのは、個人でした。

印象的だった、2つのシーン。
敵の正体も判らぬまま睨み合う狙撃兵に「どこの勢力か?」と問うと
「目の前の敵が俺たちを殺そうとしているから、俺たちも彼らを殺そうとしている」

また、映画で最も人間の怖さを感じる戦慄シーンの
「お前はどの種類のアメリカ人だ?」

この2つのシーンからも、どこの勢力やどこに住んでいるから戦うグループ同士の戦いではなく、目の前の思想の異なる個人と個人の対立を描いているなと思いました。

社会がグローバル化やソーシャルメディアの発達でつながった事で
情報が増え、より幅広く信条や思想の違いを作りました。

この映画の副題は「アメリカ最後の日」。
アメリカ留学をした時、社会学の授業で「白人として生まれたが、黒人コミュニティで生まれて文化や言葉の話し方は黒人風だから、自分は黒人だ。と考える人がいる。」と知りました。
ここまで個人主義が行き過ぎると、どうやって社会をコントロールするんでしょうか。それが今のアメリカ社会であり、政治の腐敗だけではなく、行き過ぎた個人主義がアメリカを崩壊させる事を描きたいのかなと思いました。

日本人でも横の人も違うよ

これは対岸の火事ではないと思います。
日本社会は単一民族国家で「横の人は違う人」の感覚が薄いと言われています。人種のサラダボウルと呼ばれるアメリカと比較すると、肌の色や宗教、政治思想に違いがなかったり、そもそもないのが日本人です。

とはいえ、ソーシャルメディアの発達や経済・経験格差などが叫ばれる事で
自分の周りでも考え方に大きな差が産まれていると感じます。

自身の両親の時代は異性で結婚して子供や家を持つことがゴールでした。
しかし、今は自分の友達でも子供を持ちたくない人、同性が好きな人、海外に行きたい人など、それぞれの考え方を持って行動しています。

アンミカさんが白は200色あると言っていますが
まさに、白と思っていた人達が、様々な考え方の違いにより、異なる色を持っている事がより分かりやすくなってきているのかなと思います。

社会を安定させる為には、色は統一の方がわかりやすい。
だけど現代は単一の色だけでは制御が効かなくなっている。
その中で、どのように国を維持するのか、はたまた、国という概念がなくなっていくのか。そういった未来は近くに迫ってきているのかもしれません。

半径5mの外に出る

そんな社会だからこそ、やはり半径5mの外に出て、自分自身を客観視することは大事だなと思います。

何も考えなければ無意識に、同じ場所にいてしまいがちですが
一歩外に出て、外の世界を知り、自分を改めて振り返る。

この繰り返しをし続ける事が、他者と争いではなく、良い関係を築いていく一歩になると、感じた次第です。

最近は同じコミュニティの中で収まりがち。
今日は住んでいるシャアハウスのあまり喋らない友達に声をかけて
みようと思います。

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