テレビゲームの衰亡について考える
以下は、とある動画配信者のアップロード動画一覧であり、そのスクリーンショットだ。ささやかながら紹介にもなると思うので晒したって悪い事はないだろう。
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この人は、ロールプレイングゲームを日々プレイし、相当な頻度で更新してくれる。見て分かると思うが、2日おきに動画を上げているのだから驚きだ。しかも、プレイ時間は毎度1時間近くに及び、かつ全てに編集が加えられている。自分も見習いたいものだ。
最近のお題は「ff9」と「ドラゴンボールz 超サイヤ伝説」。まさかと思うが、同時並行で話を進めているのだろうか。この人の睡眠時間が心配である。
それはさて置き、再生回数に注目して欲しい。圧倒的にドラゴンボールの方が人気である。過去、ff9が280万本以上(国内のみ)、超サイヤ伝説が70万本以上売れたらしいが、YouTubeの中の局所的視聴者を対象にした場合はどうやら話は違ってくるらしい。これより以前、ファミコン版ドラゴンボールを継続的に投稿してきた配信者さんの成果だろうか。そのような直近の前振りが効いているのだろう。ただ、ffシリーズにおいても様々投稿してきた筈なのでffファンが居付いていても可怪しくないのだが…。
ffファンは性格が真面目なのだろうか。この配信者さんがウリとするコント形式を受け付けていない、或いはff9とコントの相性が元々悪いという可能性も考えられる。
恐らくその線が多分に影響しているのだろう。余計なお世話が好きな自分は、「ffの人気に陰りが差しているのでは?」とまで考え至ってしまった。最新作は売上を落としているらしいが無理もないだろう。ナンバリングで言えば16まで出ており、リメイク迄拡げれば作品は枚挙にいとまがない為であって、ここまでくると飽きてしまっても仕方がない。現在居付いている層は、ゲームの中身が余程破綻でもしない限り今後も人気を支えてくれるだろう。
僕の心が離れ始めたのは、ちょうど9くらいであった。しかし前作の8は、物語をウリにしている作品で元を辿るとこれが良くなかった。大恋愛を物語の全面に押し出してきたのであり、これに当時青少年であった自分は惹かれたのであったが、強烈な物語を一度ゲームに組み込んでしまったら最後、これを超えるのは中々難しい。
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物語は麻薬みたいなもので、これに惹かれた人達は「次はどうするの?」とくる。ff7は自分探しで、ff8は大恋愛。日本人が一般的に喰い付きそうなテーマ(難しくなくて共感を得られやすいもの)を一旦打ち出してしまうと、ある程度畳み掛けなければそのうち禁断症状を引き起こし、最終的に飽きがくるのも無理はない。もう一つの大ヒットロールプレイングゲームであるドラクエはここまでやらなかった。キャラクターデザインに鳥山明の絵を採用する事によって、グラフィックにおける技術的進化(映画的現実路線)に(敢えて?)歩調を合わせなかったし、ストーリーも「魔王を倒しに行く」みたいな漫画的単純さを維持し続けた印象だ。
自分探しも大恋愛も、小説や映画ドラマであればありふれたテーマなのだが、ゲームであればそれが斬新だった。ゲームは自分が操作しているぶん、より物語の中へと入って行けるのである。逆に、魔王がどうのと騒いでいるドラクエは、ある種の閉め出しをプレイヤーに対してやっているのだ。慎重に距離感をとっているとも言えそうだ。
9のテーマは「原点回帰」。9以降、夢を見せ続ける手法が後々ネックになると思ったのかもしれない。麻薬断ちのフェーズに立たされてしまったのだろう(しかし一方ではff10で大恋愛路線に戻ったりもしている)。僕のようなライト層を切り捨てていく段階に入ったのだ。しかし、そもそも原点とは何なのか。仮に原点があったとして、それを皆んなが理解出来るのか。
「最近のff(ファイナルファンタジーの略)はファンタジーではない」
と言った友達が嘗ていた。自分探しも大恋愛も確かにファンタジーっぽくないのである。ある意味ファンタジーだと思っているが、まあその話は止めにしよう。俗世間における生活人が興味深いとするテーマなのだ。しかし、友達のように否定は出来ても正解を示すのは難しいし、仮に示せたとしても分かりにくいので大ヒットに繋がらないだろう。スクウェア・エニックスは迷路に迷い込んでしまったのだ。
ファンタジー≒非現実と仮に意訳したとしよう。80, 90, 00年代はまだ、非現実を求めるゲームの競争相手はテレビだけであった。しかもこっちは観るだけで歯応えが足りない。種類も地上波だけと限られている。「えっ、テレビが非現実?」と思うかもしれないが、僕はそう思っている。そもそもSNSから流れてくる情報全般が非現実だと思っているのだが、話をゲームが置かれている状況に戻すと、メーカーはより熾烈な環境に晒されていると言えよう。何と言っても携帯という存在が厄介だ。今となっては、誰もが肌身離さず持っているし、僕を含めて皆、YouTubeであろうがXであろうがTikTok、インスタであろうとも自分の好きな世界へいつでもどこでもである。
なんだか批評っぽくて詰まらなくなってきた。次があったら、ffや超サイヤ伝説の詳細にもっと踏み込んでみたい。