ff7をリメイクと比較し現実と非現実、小難しく語る
僕は前回の記事でテレビゲームがファンタジーであり、非現実だと言及した訳だが、勿論否定的な意味で言ったのではない。
「これは非現実な世界ですから仮にえげつなく表現しちゃっても大丈夫ですよね?」
といったエクスキューズを、制作者とプレイヤーの間で暗黙の了解の内にいつの間にか成立させる事が出来るのだ。
僕の記事を鼻持ちならない気持ちで眺めている人がいたなら、原因はそこにある。僕は小説ではなくおおよそエッセイという型を用い現実世界を表現している時点で、その表現の幅が限られているにも拘らず、不文律を犯し続けてきたのだ。ここまで書いちゃうと読者から受け入れられないだろうと、分からないでもないのだが、「ここまではなんとか許容頂きたい」との上から目線と思われかねない気持ちで普段書いていた旨を思わず開陳してみたくなったのは、今日の話題を想定しているからであり、しかしそれは余談でもあった。
ゲームメーカーであるスクウェア・エニックスは、ff(ファイナルファンタジー)シリーズの内の一つであるff7の後半をリメイクとして現在制作中である。ff7は自分探しをモチーフとした、僕にとっても思い出の一作で、まず第一に主人公クラウドの性格設定が大変好ましい。
真ん中の人物がクラウドとプレイヤーに対して、物語を今後冒険する為の理由“星の危機”について説明してくれる重要なワンシーンなのだが、それにも拘らずこの態度である。このどうしようもなく捻くれたセリフに両手を拡げて見せるジェスチャー。現実に見かけたら張り倒してやりたいくらいだ。
既に発売済みのリメイクになるとどうなるか。「興味ないな」で終わりとなるところが、それに枝葉が加えられ、会話がある程度それなりに成立してしまっているのだ。僕のイメージだと、真ん中の人物がクラウドからプレイヤー側(画面外)に向き直って、クラウドを背にした上で拳を握り無言でそれを震わせるという、当作品においては一種お決まりのジェスチャーを拝める場面なのだが、リメイクはキャラクターのセリフ、表情、詳細なリアクション込みの表現へ変更されている。要素が多すぎ、プレイヤーの目が散って注意が散漫になってしまうのだ。クラウドの捻くれ具合を落ち着いて堪能出来ないという面もある。
リメイクされて画面がより写実的になって、洗練され綺麗になったとの印象だ。それは間違いない。より現実的な目の前に広がる世界を表現するようになったとも言える。反対に、ポリゴンの世界、「興味ないな」で途絶える会話、後ろを向いて拳を震わせる態度なんてまず現実ではお目にかかれない。しかしリメイクにおける、言葉の多すぎる会話、歌舞伎のような表情(はまだマシか)、身体全体を使った過度な身のこなしも、実際にはあまり見かけないのである。
なんていうのか、会話が増えた事によってクラウドの中2病がよりマイルドにされて、多少は話せる奴に改変されてしまっているのである。“星の危機”を救うという荒唐無稽な物語、一般的に言えばあまりに子供っぽい性格をした登場人物、ポリゴンを中心とした視覚的要素、どれもが安心安定の非現実世界だからこそある意味落ち着いてプレイ出来るのだが、リメイクはハーフ&ハーフの無自覚を脳内に作り上げてしまう働きがあるのではないか。しかも、ハーフ&ハーフの世界だからこそえげつない事は出来ないし、やってもプレイヤー側から心理的拒否を受ける。リメイク後半がこの先販売される事になっているが、このぶんでは、自分探しというある意味“非現実”なモチーフも充分に表現出来ないのではないか。
非現実だと思えるからこそ、一回自分の外においてみてジロジロ眺め吟味出来る。えげつない事も許容出来るし、評価分析も可能だ。悪い事ばかりではないのだ。代わりに半々の世界は、テレビゲームというニッチな界隈以外からの衆目を集めるに寄与するが、それこそ混濁した錯覚を呼び起こす可能性を秘めているのである。
ただし、原作が全て良いと言っている訳でもない。捻くれた性格をしたクラウドさんが作中“自分探し”をした結果どの様に変わったかと言うと、極めて従順な収まりの良い仲間想いの生徒会長を連想させる人物へと“成長”したのだ。これは意見の分かれるところだろうが、今迄散々非現実路線を踏襲してきたのに、現実的な、おおよその日本人に良しとされる感性に擦り寄ってきたみたいで嫌な気がしたのは確かだ。昔暴走族をやっていた人間が今はちゃんとサラリーマンをやっているのをみると、「きっと良い人に違いない」と思う発想だ。確かに良い人なんだろうが、昔暴走族をやって今はヤクザをやっていたって良いものを持っているかもしれないし、日頃立派な事を言っている人が実はろくでもなかったというのはよくある話である。
正直ちょっと安直だったと思う。もっと分かりにくくしても良かった。
しかしなんにせよ、星の生命を地下から吸い上げ続けている神羅カンパニーに立ち向かう姿は子供ごころにカッコ良かった。対決相手が魔王から大国際企業に変わった辺り、ファンタジーではなくなったと批判される所以なんだろうが、今の時代、そんな大物に歯向かおうって事自体が充分にファンタジー(非現実)と成り得るのだ。相手がいかに強大で悪どかろうが、“混濁した頭”で自分がちっぽけだと察っしようものならさっと後ろを向く。それは画像のクラウドさんとは反対の方向を示している。捨てゼリフは恐らく「興味ないね」であろう。この点を指摘するなら正しい。確かに現実だ。