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ぽっくりの壁

 明けましておめでとうございます。お正月、楽しく過ごせましたか? 私は年末に壁に激突しました。今年もよろしくな。

 比喩じゃないんだよ。解けない難問にぶち当たったとか、人生の岐路に立たされたとか、そういうナルシスト的なやつじゃなくてね、文字通り、自室を歩いていてシンプルに壁に激突したんです。気絶寸前。痛いとか痛くないとか、一瞬ものすごい怒りが込み上げる。「なんでこんなとこに壁があるんだよチクショー!」
ーーそりゃあるでしょうね、家だもの。

「痛み」と「怒り」ってたぶん神経が同じなんじゃないかな。いや、よくわかんないけど、仕組みが一緒なんだと思うよ。反射的にカッとなるでしょ。怒りってのは結局どこかしらの痛みなんだね。例えば誰かに嫉妬して、勝手に傷ついて、誹謗中傷とか繰り返したりして。怒りをコントロール出来ない人というのは、自分で自分の傷口をえぐっているのだね。どひゃー。


 とにかくまぁ、壁にゴツン!と頭をひどく打ち付けまして。ちょっと怖いなと思ったのが、おでこに痛みはあるものの、表面には一切、傷がないのよね。たんこぶにもならないし、ほんのちょっとの赤味さえも出ない。これはつまり、かなり深いところで内出血を起こしているのでは? 脳の血管が詰まったり破れたりして、数日後に死んじゃうやつでは? ーーと気が気ではなく、汚れ物を残したまま死にたくはないと、掃除や洗濯ばかりしていた正月であった。(幸い、無事に生き延びたようであるが)


 高齢になると、そういうことってよくあるでしょ。誰も見てないところで転んじゃったりして、それこそ頭から出血でもしていたなら周りが気付けるんだけど、見た目にはなんともなくて、微妙に認知機能が怪しくなってきて・・・病院へ連れていったら「脳梗塞を起こしてますね。どこかで頭打ったかな」っていう。

 取り返しのつかない事故はたいがい自宅で起こるのだそうですよ。自宅というのは究極の閉鎖空間だからね。周囲の目がなくて、誰にも助けてもらえない、ということでしょうよね。


 私は独りだし、果ては「そういう死に方」をする可能性が非常に高い。そのことを私は常日頃から「ぽっくり逝けてラッキー」ぐらいに考えているのだが、きのう読んだ医者の記事によると、「ガンで死ぬのがいちばん楽」ということであった。

 ぽっくり(突然死)とはいわば、なんの準備もないままに突然、死に至るほどの究極の痛みに襲われ、誰にも知られずたった一人で死という未知の恐怖に向き合わなくてはいけない、とても恐ろしい死に方だという。
 それに比べて最近では、自身がガンを宣告されて「ラッキー」と考える医者もいるのだそうだ。適切な終末医療を受け、家族に囲まれながら、穏やかに死んでいけるのだとーー。
 なるほどねぇ。苦しまずに死ねるならそれに越したことはないやね。


 しかし実際のところ、「死に方」の保証は出来ない。自分もガンになって穏やかに死にたいと言ったって、人生は思い通りになるものでは全くないし、あるいはがんばって病気を克服しても、明日には車にひかれて死ぬかも知れないのだ。それは死神の仕事で、我々にはどうしようもない。我々の仕事は、「どう生きるか」それだけだ。
 ーーまぁ、壁に激突しないようには気を付けた方がいいね。痛い痛いだよ。


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