軽犯罪とは?
毎晩、寝落ちするまで読書を楽しむのが私の習慣であるが、昨夜は何か感銘を受けるような文章に出くわしたのだろうね、目を覚ますと、枕元のメモ帳に自分の字で走り書きがしてあった。
「自由を求めてきたのなら私は不平を言ってはいけない」
ーーまったくもってそのとおりだなと反省する。人との関わりを拒み、税金を払う以外になんの社会貢献も出来ていない私が、気に入らないことがあったとてそれを訴える資格があるだろうか。
それに、だいたいがこの世は軽犯罪者の集合体なのだ。みんなズル賢くやっている。理不尽を目撃するたびにいちいち不平を言っていては自分の人生が滞る。因果応報、罪に応じて本人がツケを支払う、それでいいではないか。
ところが、早朝の散歩から戻ってきた私は、早くも不平たらたらなのである。朝食前にあんな汚いモノを見せられてどうして黙っていられよう。日曜の、清々しい朝の散歩の帰り道に、突然、男に性器を見せられたのだ。吐き気がする、どころではない。あわてて目を伏せ、足早に立ち去る。しかしなぜ私がそんな態度を取らねばならぬのか。逃げ隠れしなくてはいけないのは犯罪者のほうではないかーー。
言っておくが、通報はしていない。目の前に女性が一人でいるのを確認して、ズボンから自分の性器を引っ張り出す男に遭遇しておきながら、通報しないとはどういうわけか。なぜならそれが、「立ちション」だからであるーー。
人前で用を足すことを犯罪だと認識していない人間はたくさんいるのかも知れない。普通なら人前でしたいことではないからだ。
排泄というのは生理現象であって、突然お腹の調子が悪くなったり、公衆トイレが見つからなかったり、緊急事態は誰にでも起こりうる。それが罰せられるべきでないのは当然だ。むしろプライバシーに配慮すべきである。
昔、ネットでひどい画像が出まわっていた。元はGoogleマップの映像で、山奥の国道沿いで女性が物陰に隠れて排泄している様子である。まさに緊急事態であり、その画像がばらまかれるのはこの女性に対する立派な性犯罪である。
中学生の頃、クラスでお漏らしをしてしまった女子がいた。「トイレに行きたい」と言い出せずに限界まで我慢したのだろう。ダムの決壊のごとくバシャバシャと尿が流れ出るなか、彼女は椅子から立ち上がることもせず、じっと黒板を見つめたままだった。翌日から不登校になった彼女は、1ヶ月後には髪を染め、地元の不良とつるみ、すっかり闇落ちしていた。乗り越えがたい失敗をしてしまった時に、さらに大胆なことをやってのけることで「忘れよう」とするのは、悲しくも自然な防御反応である。
女性にとって排泄は一大事だ。男性のそれとは比べ物にならない。身体機能だけを見ても、女性より男性のほうがずっと我慢が出来る構造になっているそうである。
にも関わらず、外で用を足すのは男ばかりである。一見、緊急事態なのだなとは思う。公衆トイレに駆け込んで、例えばそこが故障中だったりして、「まぁいっか、外でしちゃえ」というわけだ。そんなふうに男性は容易にピンチを切り抜けられるが、女性はそうはいかない。
ましてや立ちション常習男である。自分の家からわざわざ出てきて外でするのだ。朝の目覚めの一発に、酒を飲んだ夕涼みに、気持ちよさのためにするのである。目の前にお偉いさんがいたらそんなこと出来るはずがない。しかし今朝の男も、私の存在に気付いていてやったことなのだ。立ちションは「軽犯罪法」に触れるということよりも、「公然わいせつ罪」である部分が大きい。それでもなお、生理現象である限り、やはり通報はためらってしまう。罪に応じて本人が支払うしかない。
さぁ、明日からは不平は言わないぞ。誰が何をしようが、徹底的にシカトだ。
誰の悪事が明るみに出ようが、近所で殺人事件が起ころうが、総理大臣になりたいだけのおぼっちゃんが当選しようが、知ったこっちゃない。See how it goes.