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駐車場サッカー事件

現在は底辺のゴミクズこと大麻シャブだが、
幼少期はそれなりに夢も希望も溢れた無邪気なアホガキだった。

父方の祖父母の家では毎日楽しく過ごしていた。今では時々それらを思い出してはしみじみしてしまう。

眠剤のODで、この大切な思い出を忘れる前にnoteに書き留めておく。

シャブの祖父母とガキの頃の思い出

共働きの両親を持つシャブは、幼稚園に入学する前と、小学校高学年に上がって鍵っ子になるまでの数十年間、親不在の時は父方の祖父母に預けられていた。
〝祖父母〟と書いてはいるものの、世話を焼いていたのは100%と祖母であり、祖父に遊んでもらった記憶は全くと言っていいほど皆無だ。

孫を溺愛してくれた母方の祖父とは違い、父方の祖父は子供嫌いというより興味関心が無いタイプのジジイだった。
祖父との思い出で1番覚えているものは、たこ焼きを食べている祖父に1つねだった結果、うるさいから出て行けと怒鳴られて部屋からつまみ出されるというなんとも悲しいものである。

反対に祖母は甲斐甲斐しくシャブの世話を焼き家事を全くしない祖父のせいで毎日とても忙しそうだった。

シャブの周りには、祖父母に預けられて寂しかったと漏らすやつもいるが、シャブは全く感じたことがない。

シャブの祖父母の家は校区外だったため周囲に同じ幼稚園に通っているやつもいなかったし、小学校に上がってもそれは同様だった。
だけど、斜向かいにも似たような境遇のワルガキ兄弟がいたし、公園に行けば他校のヤツらがシャブと遊んでくれた。

シャブの家には大きな車庫があって、よくガキのたまり場にされた。
拾ってきた虫や蝙蝠を持ってきてはお世話をしたり、寝転がって絵を描いたりして遊んでたためシャブに寂しいと考える暇はなかった。

シャブには2人いとこがいたが、叔父の再婚によりさらに一人増え、その後そいつの妹が産まれ、合計6人の大所帯となっていた。

普段の祖母は4人の面倒を見ていたが、
夏休みには叔父の前妻との子供+再婚して増えた連れ子に加え、その後産まれた女の子+シャブ&妹という6人の大所帯を世話していた。

みんなで映画を見たり、サーカスに行ったり夏休みは本当に楽しかった。
シャブはのろまで頭が悪かったのでよく年上のいとこ達に虐められていたが、それでも毎日楽しかった。(たまに思い出してムカつくが)

しかし、保母の免許もない素人なのによくこんな大人数を面倒見ていたと祖母をシャブは尊敬している。
孫が目を離した隙に、用水路に落ちて死んだとか、誘拐されたとかいうニュースを年に二回は見るし、実際に祖父と川に遊びに行ってそのまま亡くなってしまった妹の同級生がいるが、シャブ家でそんな一大事は一回も起きたことはない。

  〝駐車場サッカー事件〟


とはいえ全く事件がなかった訳では無い。
いとこ姉妹が喧嘩で包丁を持ち出して、祖母が必死にそれを止めてたのを見たし、家の塀にイタズラしたいとこを走って捕まえて逆エビ固めにしているのも見た。小5男子なんて足も早いし力もあるだろうに、元々武道をやっていた人は歳を重ねても強いなぁと思う。

シャブも癇癪を起こした時祖母に噛み付こうとしたが、反対に自分の手を曲げられ、結果自分で自分を噛んだ事もある。
まぁそんな強い祖母だが、6人にはほとほと手を焼いていた。
シャブ家のガキがやった一番の悪事は

〝駐車場サッカー事件〟だろう。

近所の駐車場は、昼間は利用者全員が仕事に出る。ボコボコの土でできた公園と違い、真っ平らでコンクリート製。子供達にとって最高の遊び場だった。
ある日ダチの男勝りなNが「ここでサッカー出来たら最高なんだけどなぁ。」と漏らした。
そこから話が大きくなり、シャブ家+近所の悪ガキ兄弟3人に合わせてNの友達+2人という合計11人で駐車場サッカー対決をする事になった。

サッカーに何人必要かすら知らないシャブは
〝ひたすらゴールに来る敵をボコれ〟と言われたためとりあえずそれに従った。
ルールが分からないため、相手を掴んで押したり突進したりしていたら、見かねた悪ガキ兄が、〝お前それはラグビーだろ。もうFWはいいからキーパーやれ、身体デケェし〟と言われ、開始五分でジョブチェンジさせられた。

ひたすらゴールに入りそうなボールをブロックしたが、ワイワイやっている他のヤツらが楽しそうでかなり不貞腐れていた。
突然シャブの横にあった民家の窓があいた。

              「「何しとるんだお前ら!!!」」

近所のおっさんだった。ガチギレのおっさんは窓から爆音でガキ共に説教をはじめ、その声で近隣住民数名とシャブ祖母が表に出てきた。
サッカーは当然中止となり、ワルガキ兄弟はワルガキ家祖父に死ぬほど怒鳴られていた。
Nとそのダチは家に返され、シャブ家6人はお通夜モードで家に戻った。
いとこが叔父に死ぬほど説教されていた事とか、母には少し怒られて、父には大爆笑されたことは覚えているが、祖母が誰かを怒っていた記憶はない。

後々祖母から聞いた話だが、サッカー事件の後、祖母1人で怒鳴ってきたおっさんの家に頭を下げに行ったそうだ。

孫に対しては怒りより、車の来る場所で轢かれでもしたら息子夫婦やNの親にとてもじゃないが顔向けできないし、死んでいたらと考えると、とても怖かったと語っていた。

本当に馬鹿なことをしたと思う。

怒鳴られる覚悟で謝罪に向かったそうだが、
おっさんは元々教員で、謝りに来た保護者はシャブ祖母だけだったと逆に褒めてくれたそうだ。

その後すぐおっさんは亡くなったし、祖母の家近辺の子供たちは皆大きくなり、今ではすっかり閑静な住宅街になってしまった。

あんなに綺麗だった駐車場も、10年以上の時を経てすっかりボロッちくなっている。

自転車で暴走したり、野良猫を捕まえて飼おうとしたり、蚊取り線香でティッシュを燃やして遊んだり(これはかなり怒られた) 毎日騒々しく過ごしていた日々が、
もう二度と味わえないと思うと時々すごく寂しくなる。

祖父母は今も現在だが、祖父は持病の糖尿が悪化して人工透析になった。
この前、部屋に挨拶しにいったら機嫌を損ねたみたいで、うるさいと怒鳴られた。
しかし、たこ焼きの時みたいな声の張りは無くなっていて、かなり弱っていると感じた。

パワフルだった祖母も、この頃は足の痺れが辛いと漏らしている。

しかし、テレビで殺人事件のニュースがながれる度に、「私の孫がこんなんされたら、犯人が大男でも絶対に殺したる!」と息巻いている。

シャブは今100kg越えの巨デブだし、30キロの荷物を軽々運べる立派な肉体労働だが、祖母の中ではまだ守るべき可愛い孫のようだ。


最近残業続きでロクに顔を見せていないが、この文章を書いていたら祖母に強烈に会いたくなってしまった。少し涙も出た。

次の休日でもふらっと会いに行こうと思う。祖父にはキレられそうだが、それも悪くない。

だって2人と過ごせる時間は確実に、今この時も減り続けているのだから。




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