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(加筆修正)エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」 第21回 シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団   &  エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団    来日公演1989年


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エッセイ

「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」

第21回

シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団

エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団

来日公演1989年


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今回は、ちょっと趣向を変えて、同じ年の同じ時期に、世界で人気の指揮者とオーケストラが日本に来て、ほぼ並行して公演ツアーを繰り広げていたことを記録しておきたい。現在の日本で、この豪華なメンバーによるツアーの同時並行がはたしてありうるだろうか? いかにもバブル期ならでは、という感じがするのだ。


⒈ シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団



公演スケジュール


1989年
11月
7、8日 東京
9日 厚木
10日 松戸
11日
大阪
ザ・シンフォニーホール
シューベルト 交響曲第3番ニ長調
R.シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
ストラヴィンスキー バレエ音楽「火の鳥」(1910年全曲版)

13日 仙台
14、15日 東京


前回に書いたインバルについては、同じ年に別のオーケストラを率いて2度も来日ツアーをするというエネルギッシュぶりに驚くが、ほぼ同じ時期に、並んで来日ツアーをやっているデュトワ&モントリール交響楽団も、この当時まさに飛ぶ鳥をおとす勢いだった。

デュトワは、その後NHK交響楽団の指揮者になって、日本の聴衆にはもっともおなじみの指揮者となったが、インバルも今でも頻繁に来日し、特に東京都交響楽団との演奏は次々と録音がリリースされ、健在ぶりを見せつけている。
インバルとデュトワには共通点があり、どちらも無名だった楽団を見事に育て上げて、実力派として世界的な人気を勝ち取った指揮者だ。つまり、どちらも優れたオケ・トレーナーなのだ。
さらに、どちらも録音で特定の作曲家の全集にまず取り組み、その全集盤が世界的に高く評価されて、指揮者としての地位を磐石なものとした点でも似通っている。インバルの場合はブルックナーとマーラーの全集、デュトワの場合はラヴェルの管弦楽曲全集が代名詞となった。おまけに両者とも、その全集盤の録音の音質が特筆されたことも、共通点だ。
インバルの場合、前回書いたように、日本のDENONが新しい録音方式で見事なマーラー全集を録音し、ブルックナーではテルデックが実に鮮明な録音のブルックナー全集を完成している。

デュトワの場合、昔から録音に定評のあるデッカの表看板として、ラヴェルの後もフランス近代ものを中心に、次々と良質な録音盤を出し続けた。
興味深いのは、それまでドイツ音楽専門のようにみえたインバルが、まるでデュトワに挑戦するかのように、フランスものの代表であるラヴェルとベルリオーズの全集に取り組んだことだ。デュトワ&モントリオールのキャッチフレーズである「最もフランス的」な響きに対抗して、インバルは全く異なるアプローチのフランスものを真正面からぶつけてきた。
その聴き比べは、おそらく一般的にはデュトワに軍配があがるだろう。けれど、インバルのチャレンジした分析的なラヴェルへのアプローチも、今聴き直すと、なかなかに説得力がある。特にベルリオーズの場合は、デュトワの洗練を極めた演奏よりも、インバルの精神分析的な演奏の方がよりスリリングに聴こえるのだ。
一口に同じフランスものといっても、作曲家によってそれぞれにアプローチの仕方が違う、ということを実感させられる。


※参考CD
http://www.hmv.co.jp/artist_ラヴェル(1875-1937)_000000000021254/item_管弦楽作品全集%E3%80%80インバル指揮フランス国立管弦楽団_336899

ラヴェル:管弦楽作品全集(4CD)
インバル指揮フランス国立管弦楽団



http://www.hmv.co.jp/artist_ラヴェル(1875-1937)_000000000021254/item_ボレロ〜ラヴェル:管弦楽曲集%E3%80%80デュトワ&モントリオール交響楽団_3536295



http://www.hmv.co.jp/news/article/1308010001/

ベルリオーズ・マスターワークス(17CD)
トロイ人、レクィエム、ファウストの劫罰、キリストの幼時、幻想交響曲、レリオ、トリスティア、ロメオとジュリエット、イタリアのハロルド、葬送と勝利の大交響曲、ラ・マルセイエーズ、序曲、声楽曲集
デュトワ&モントリオール交響楽団




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インバルとデュトワはなぜかレパートリーの重なることが多く、その後も、ショスタコーヴィチやチャイコフスキーで興味深い比較ができるような演奏を、それぞれに録音している。指揮者としての行き方が似た者同士なため、かえって対立点が明確になりやすい、ということかもしれない。聴く側からすると、同じ作曲家を全く別のアプローチで聴き比べられるのは、実にありがたいといえる。

ところで、
この時のコンサートだが、デュトワ&モントリール響の方は、ストラヴィンスキーの『火の鳥』全曲だった。
実をいうと、この時までストラヴィンスキー『火の鳥』の全曲は聴いたことがなかった。「火の鳥」自体は大好きな曲だが、組曲版しか聴いたことがないので、この演奏会で全曲を聴こうと思ったのだ。
だが正直、『火の鳥』は組曲版の方がまとまっているように思った。組曲で聴いてよく知っている曲が出てくるまでの前半が冗長で、いささか退屈してしまった。バレエ音楽だから、舞踊を観る前提で作ってあるのだろうから、それは言っても仕方がないのだが。
けれど演奏自体は、以前の来日公演で聴いた同コンビの演奏よりも、今回の方が印象的だった。自分がデュトワの指揮ぶりに慣れてきたこともあり、オーケストラのまとめ方の妙技に酔わされた。
一つ気になったのは、のちにCDで同全曲盤を聴いたとき、終曲のコーダでトランペットが高音で長く吹き続ける部分だ。実演では、あそこまで目立っていなかったのだが、CDでは、トランペットのそのロングトーンがやたら大きく目立っていた。
これはデュトワの解釈なのか、それとも録音バランスの失敗なのか? もし録音の編集ミスだとすると、名だたる名録音を誇ったデッカも、この頃にはレベルダウンしていたということになるのだろうか。あるいは、デュトワ自身が、録音の仕上げにさほど頓着していなかったのだろうか? 
いずれにせよ、あのトランペットのハイトーンの異様な大きさは、疑問が残る。『火の鳥』は有名曲だから、他の指揮者の演奏と聴き比べてもみたが、あの解釈は他に例がなかった。



⒉ エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団


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公演スケジュール


1989年
11月
8、9日 東京
11日 近江八幡
12日 
大阪
ザ・シンフォニーホール
マーラー 交響曲第6番イ短調「悲劇的」

13日 広島
14日 名古屋
17、18、19日 東京


一方のインバルの方は、前回、ベルリン放送交響楽団との来日公演で聴いたマーラーの交響曲第7番に続いて、今回はマーラーの第6番を聴いた。マーラーの実演に接することで、インバル&フランクフルト放送響が偽物ではない、おそるべき演奏家集団だということを確認できた。
インバルのマーラーは、全集録音のCDで聴くと、いささか素っ気なく感じるところもある。それはあまりに音がそろいすぎているせいだということも、実演で聴くとよくわかった。
CDでは音がそろいすぎていて物足りなく感じる、というのは、デュトワ&モントリール響の場合も同じことが言えるのだが、インバルの場合は特にマーラーの演奏で、実演とCDは雲泥の差があった。もちろん、基本的な解釈は変わらないのだが、演奏の燃焼度がすごいのだ。マーラーの6番を実演で聴くのは、今回が初めてだったのだが、CDでいろんな指揮者の演奏を聴いていた印象が、すっかり塗り替えられてしまうぐらいの衝撃だった。
インバルは、要所要所でアンサンブルを引き締めながら、第6番の持つ錯綜した曲想を終楽章の悲劇に向けて着々と高めていく。終楽章に出てくる、例のハンマーの一撃がもたらす効果には絶大なものがあった。
朝比奈隆がインタビューで語っていたように、マーラーの6番では終楽章のハンマーが有名すぎて、その箇所が近づいてくると聴衆の視線もついついハンマーの方に吸い寄せられてしまう。この時の筆者も、ハンマーが叩かれるのを今か今かと待っていた。実演で聴いた終楽章を通して、見せ場としてのハンマーの大音響よりも、オケの熱狂的演奏がもたらす悲劇そのものが、聴き手に深刻な影響を及ぼす、ということがわかった。

ところで、この公演のパンフレットには、いろいろな文化人がインバルとマーラーについて書いている。中でも注目すべきは、当時まだ健在だった作家の辻邦生までがコメントを寄せていることだ。
この小文の中では、いかにも辻らしく皮肉めいた論調で、当時のマーラーブームに警鐘を鳴らしているのが面白い。


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