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(秋山和憲追悼)【関西オーケストラ演奏会事情〜20世紀末から21世紀初頭まで】 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代 第2回 朝比奈隆と他の客演指揮者たちとの大阪フィル〜渡辺暁雄、秋山和慶、山田一雄など(期間限定無料公開)

【関西オーケストラ演奏会事情〜20世紀末から21世紀初頭まで】 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代 第2回 朝比奈隆と他の客演指揮者たちとの大阪フィル〜渡辺暁雄、秋山和慶、山田一雄など



※写真は、土居豊所蔵のパンフレットなど


旧・大阪フェスティバルホール外観


1 朝比奈隆以外の指揮者たちとの大阪フィル、80年代前半



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 1980年代前半、朝比奈隆の指揮する大阪フィルを、高校生優待券で500円で聴くことができた当時は、その演奏のありがたみというか値打ちが、まだわかっていなかった。それに、朝比奈以外の客演指揮者の振る回を何度か聴いて、むしろそちらの方がよい演奏だったように思えたこともあり、朝比奈&大阪フィルの存在感は、当時の筆者にとっては大きくはなかった。
 その客演指揮者というのも、また今から振り返ると、豪華きわまる布陣で、共演するソリストたちも名手ばかりだった。当時、高校生だった自分が、ほとんど意識せずに聞き流していたのが、実にもったいないといえるのだが、まだクラシック音楽、オーケストラ音楽を聴き始めて数年のビギナーだったのだから、無理もないというしかない。
 今回取り上げる定期演奏会に客演指揮した渡邉暁雄、秋山和慶、山田一雄の3名は、いずれも戦後の日本音楽史上に残るべき名指揮者たちだ。大阪フィルを指揮して、それぞれが異なる持ち味の曲目をひっさげ、常任の朝比奈以上ともいえる名演を繰り広げた。
 秋山和慶は、当時、大阪フィルの首席客演指揮者でもあったので、オケの魅力を巧みに引き出していたのは当然と言えるだろう。
 渡邉暁雄も、大阪フィルの定期演奏会記録を調べると、意外にも数多く共演し続けている。最初は、早くも第3回の定期に登場(昭和35年9月28日毎日ホール)し、十八番といえるシベリウスの交響曲第1番を演奏しているのが興味深い。
 また、山田一雄は文字通り日本楽壇を代表する指揮者の一人であり、大阪フィルへの登場回数は多くはないが、客演した際には得意のロマン派交響曲を披露している。
 これらの客演指揮による定期演奏会を順番にみていくが、その前に、この当時高校生だった筆者が、クラシック音楽をどのように受容していたか、80年代高校生リスナー事情も語っておこうと思う。


 当時の筆者もそうだったように、吹奏楽部などで音楽をやっている公立高校の学生にとって、音楽を聴く音源といえばFMラジオのエアチェックと、レンタルレコード屋だった。あとは、友達同士でレコードやカセットテープの貸し借りを盛んにやっていた。自分でレコードを買うときは、よほど厳選して、できればラジオで流れるのを待って聞いてから買ったり、レコード屋で視聴させてもらってから買ったものだ。80年代前半、クラシックのLPレコードは、新譜なら2500円、廉価盤なら1000円程度だった。それでも、お小遣いを貯めて、ここぞというときに買っていた。
 例えば、大阪フィルの定期演奏会の演奏曲目に上がっているような有名なクラシック曲は、レコードで聴く以前に、たいていはFMでエアチェックする方が多かった。当時、NHK-FMで毎週、平日の夜にクラシックリクエストのような番組があった。演奏会の録音を流しているか、あるいはリクエストに応じてLPレコードを丸々全部、流してくれた。DJは、よく音楽雑誌に執筆していた名だたる音楽評論家たちがかわりばんこに話していた。
 特に海外オケの来日公演は、たいていは収録されてこの番組で流してくれた。だから、筆者が高校生になって本格的にクラシック音楽を聞き始めてから、80年代に来日した海外の有名オケの公演は、ほぼFMでその一部を聴くことができていた。FMラジオのついたラジカセで、カセットテープにエアチェックするのだが、悩みの種は、交響曲など演奏時間の長い楽曲の場合だ。カセットの片面に収まりきらないので、どうしても途中で裏返す必要がある。最大の長さのカセットテープでも120分だから、片面は60分しかない。60分におさまる長さの交響曲ならいいが、後期ロマン派の長大な交響曲になると、もうお手上げだ。特にマーラーやブルックナーはどうしても、楽章の途中でカセットを裏返すはめになる。
 こういう悩みは、学生クラシックファンにしかわからないだろう。また、性能のいいオーディオセットではなくラジカセで録音しているので、どうしても電波のノイズが入る。この苦労もまた、エアチェック派にしかわからないことだろう。ラジカセのアンテナは、FMの電波を捉えるコンディションがけっこう気まぐれで、外の道路を自動車が通ったりするとノイズが入った。交響曲の静かな箇所で、タイミング悪く自動車が通ったりすると、もう気が気ではなかった。
 そういう悪戦苦闘を繰り返しながら聴き入った曲は、現在CDで途切れなく聴いている時でも、昔カセットを裏返した箇所をちゃんと覚えているから不思議だ。
 当時の記録を見返すと、ロマン派の主な交響曲はほぼ、エアチェックで聴いていたようだ。チャイコフスキーの4番〜6番、ドヴォルザークの8、9番。ブルックナーの4、7、8、9番。マーラーは全交響曲をカセットに録音して聴いていたらしい。自分のことながら、よくそこまでまめなことをやっていたと感心する。



2 大阪フィルハーモニー交響楽団第201回定期演奏会 指揮:渡邉暁雄 独奏:ゲルハルト・オピッツ


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 さて、大阪フィルの定期演奏会に話を戻そう。
 前回書いた朝比奈隆の指揮によるマーラーの演奏にがっかりした後、しばらく大阪フィルの演奏会には行っていなかった。久しぶりに行ったのが第201回定期演奏会(1984年6月11日 大阪フェスティバルホール)で、指揮は渡邉暁雄、ピアノ独奏はゲルハルト・オピッツ。シューマンのピアノ協奏曲イ短調、シューベルトの交響曲第9番ハ長調「ザ・グレート」という演奏会だった。
 シューベルトのいわゆる大ハ長調、交響曲第9番(当時は、まだこの番号で呼ばれていた。現在は8番と呼ぶことが多い)を初めて聴いたのも、例によってFMのエアチェックだった。当時の自分の感想を引用してみる。

 「シューベルトのグレート。息の長いメロディと言われているように、たいそうどっしりとした曲。」

 とまあ、最初から、この曲は気に入ったようだ。例の「天国的な長さ」などという解説を、先に読んでいなかったのが幸いしたのだろう。あのテンプレート表現のせいでシューベルトの9番は、やたらと退屈な曲という色眼鏡で見られていた。しかし、当時すでにブルックナーの交響曲を聴いていたので、あのくらいの長さや同じ音形の繰り返しは大したことないと思えた。

 演奏会当日の感想を、筆者の記録から引用しておく。

 「大フィル、シューマンは今ひとつ。シノーポリの感じが頭にあるのでもっと狂気がほしかった。しかし、シューベルトの9番はベスト。トップのホルンソロもすごい。大フィル、今までで最高の演奏、グレートの名にふさわしかった。」

 このように、耳年増の高校生にも、この日の渡邉暁雄によるシューベルトは素晴らしい演奏だったようだ。高校の吹奏楽部でホルンを吹いていた筆者には、この交響曲の冒頭のホルン・ソロがとてもかっこよく聞こえた。簡単そうな音形なのに実はそれが第1主題で、続けていろんな楽器に受け渡されていくのがとても心地よく感じられた。そうして1楽章のコーダでは、冒頭の第1主題が再びホルンや金管群のフォルテで吹き鳴らされる箇所が、何ともいえずとても気に入っていた。
 シューベルトの9番といえば、4楽章でベートーヴェンの第9の歓喜の歌に似たメロディが出てくることでも有名だ。メロディが少し違うだけで、歓喜の歌にとても似ているからだ。これはブラームスの交響曲第1番4楽章のメロディにもいえることだが、ベートーヴェンに傾倒していた両者だからこその類似、といえるだろう。
 ちなみに、渡邉暁雄の実演を聴いたのは、この日の演奏会が最初で最後だった。のちになって、日本の楽壇を代表する偉大な指揮者だったことを知るのだが、高校生だった時は、そんなことは知る由もなかった。しかし先入観や予備知識なしでいきなり実演に接して、渡邉暁雄のシューベルトにとても感銘を受けたのだから、この日もその本領を発揮していたに違いない。
 この日の演奏会でシューマンを弾いたゲルハルト・オピッツ、今やドイツ・ピアノ界の巨匠だが、この当時はまだまだ若かったはず。この演奏会でのオピッツに、筆者は残念ながらもう一つのりきれなかったのだが、それもそのはずで高校生だったこの頃、筆者はピアノの演奏がちっともわからなかった。元々が、吹奏楽部の管楽器からオーケストラに興味を持って聴き始めたビギナーリスナーなので、ピアノの魅力がわかってくるのは、もっと後になってからだった。


※演奏会データ

大阪フィルハーモニー交響楽団
第201回定期演奏会


指揮:渡邉暁雄
独奏:ゲルハルト・オピッツ

シューマン ピアノ協奏曲イ短調

シューベルト 交響曲第9番ハ長調

1984年6月11日
大阪 フェスティバルホール

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※渡邉暁雄が指揮した大阪フィル定期演奏会の記録

第3回(昭和35年9月28日毎日ホール) シベリウス:交響曲第1番

第18回(37年4月24日毎日ホール) ベルリオーズ:幻想交響曲

第89回(46年2月17日フェスティバルホール) バルトーク:管弦楽のための協奏曲

第129回(51年1月23日フェスティバルホール) チャイコフスキー:交響曲5番

 ところで、この演奏会の当時、すでに大阪に日本初のクラシック専用ホールであるザ・シンフォニーホールが完成しており、大阪フィルもそちらでの演奏会をやっていた。だが、定期演奏会はフェスティバルホールだった。完成後数年のザ・シンフォニーホールのラインナップは、定期演奏会のプログラムの広告を見ると、京阪神のオケが変わりばんこに公演をしていることがわかって興味深い。


※シンフォニーホールの公演で、当時の気鋭の指揮者たちが大阪フィルや京都市交響楽団と演奏している。

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※当時の大阪フィルは、京阪神の公共ホールで実にまめに演奏会をやっている。


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3 大阪フィルハーモニー交響楽団第203回定期演奏会 指揮:秋山和慶 独奏:数住岸子


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 では次に、大阪フィルの首席客演指揮者だった秋山和慶による定期演奏会を取り上げる。
 秋山和慶の指揮ぶりは、クラシックリスナー初心者の筆者にもその的確さがよくわかった。何しろ、朝比奈隆の指揮ではアンサンブルがガタガタの大阪フィルなのに、秋山が振ると見事に揃うのだ。曲目がまたオケのアンサンブルを聴かせるようなものが多く、そういう演目を実に巧みにまとめ上げる手腕にすっかり感心してしまった。
 そのせいなのか、あるいは特定の曲目を聞きたかったからなのか、おそらくはその両方の動機で、珍しくも同じ秋山の振る定期演奏会に続けて足を運んでいる。
 一方はR.シュトラウスとベートーヴェン、もう一つはフランスものの演目だったが、いずれの場合も、これが同じ大阪フィル?という感想を抱いたほどの見事な演奏だったことを覚えている。

 再び、筆者の当時の記録を引用しよう。

 「ベートーヴェンの8番、4楽章のメロディに深く明るいやさしさを感じた。彼(ベートーヴェン)は子供の心を持っている。」

 ちなみに、ベートーヴェンの8番には、3楽章にホルンとクラリネットの難しいソロがあるのだが、それには触れていないところをみると、大阪フィルのホルン奏者のソロはやはりもう一つの出来だったのかもしれない。
 もう一方のフランス・プログラムの演奏会も実に意欲的な選曲で、エリック・ハイドシェックのラヴェルの左手コンチェルトなど、これはもう今ならぜひとも聴きたいところだ。残念ながら、当時の筆者はピアノ演奏の良し悪しがちっともわからなかったのが、惜しいことをしたと思う。
 ところで、秋山はこの頃すでに大阪フィルの首席客演指揮者だったが、それ以前から定期演奏会に頻繁に登場している常連指揮者だった。下記の記録を見てもわかる通り、昭和46年の場合など年に3回も出ているので、まるで常任のような扱いだ。大阪フィル側も、よほどこの若い(当時は)指揮者を気に入ったのだろう。
 秋山和慶といえば、小澤征爾が代表格の斎藤秀雄門下の指揮者たちの中で、この頃すでにめきめき頭角を現していた。今となっては伝説的な、サイトウキネン・オーケストラの原型となった斎藤秀雄メモリアル・コンサートの半分を指揮していたのも秋山だった。


※参考CD

https://www.fontec.co.jp/store/blog/2016/09/FOCD9068-9.html

ヴィオラ 今井信子
チェロ 堤 剛
桐朋学園齋藤秀雄メモリアルオーケストラ
指揮 秋山和慶
指揮 小澤征爾
録音/1984-09/18
発売日:1994年12月10日
商品番号:FOCD9068/9
価格:3,883円+税
収録内容
モーツァルト/ディヴェルティメント ニ長調 K. 136
シューマン/交響曲第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
R. シュトラウス/交響詩「ドン・キホーテ」作品35*
J. S. バッハ/シャコンヌ
パガニーニ/常動曲 作品11



 この当時、筆者はまだ、指揮のテクニックのことなどちっともわからないビギナーだったが、秋山の指揮ぶりは、朝比奈隆のあの無骨で力技の振り方とは全く異なる、キビキビした流麗な指揮だったことをおぼろげに覚えている。今にして思うと、それこそが斎藤門下の指揮テクニックだったのだ。大阪フィルも、斎藤メソッドの秋山の手にかかると、アンサンブルがすっきりと引き締まり、R.シュトラウスも、ラヴェルもドビュッシーも完璧に近い演奏ぶりだった。
 その後も、筆者は秋山和慶の指揮する大阪フィル定期演奏会を度々聴きに行くことになる。のちに触れる若杉弘とともに、大編成の管弦楽曲を実に巧みにまとめ上げ壮大な演奏を実現する手腕は、秋山も若杉も甲乙つけ難く、オーケストラと合唱の大曲を聴くなら秋山か若杉とその当時、思っていたものだ。大曲をすっきりと整理してまとめ上げる指揮の手腕というのが、斎藤メソッドのおかげであることを、のちに小澤征爾の伝記や解説書を読んで知ることになる。
 現在、すっかり円熟味を増した秋山が、日本センチュリー交響楽団の客演指揮者に就任して、再び大阪の地に数多く出演してくれそうなのは実に嬉しいことだ。


※演奏会データ

大阪フィルハーモニー交響楽団
第203回定期演奏会



指揮:秋山和慶
独奏:数住岸子

R.シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」

A・ベルク ヴァイオリン協奏曲

L・V・ベートーヴェン 交響曲第8番ヘ長調

1984年9月12日
大阪 フェスティバルホール


大阪フィルハーモニー交響楽団
第205回定期演奏会
指揮:秋山和慶(首席客演指揮者)
独奏:エリック・ハイドシェック

ドビュッシー 管弦楽のための「映像」より イベリア

ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲ニ長調

フランク 交響的変奏曲 

ラヴェル 「ダフニスとクロエ」組曲第2番

1985年1月25日
大阪 フェスティバルホール



※秋山和慶が指揮した大阪フィル定期演奏会の記録

第80回(昭和44年12月5日厚生年金会館大ホール)
ベートーヴェン 
交響曲第5番 
交響曲第6番 
悲劇「エグモント」の音楽より 序曲、喜びにみち悲しみにみち、太鼓はひびく

第91回(46年4月19日フェスティバルホール)
ウェーバー 歌劇「オベロン」序曲
ブラームス ヴァイオリン協奏曲
独奏:クリスチャン・フェラス
フランク 交響曲

第92回(46年5月24日フェスティバルホール)
メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」
モーツアルト クラリネット協奏曲
独奏:朝比奈千足
R.シュトラウス 「ばらの騎士」組曲

第95回(46年10月15日フェスティバルホール)
イベール 組曲「寄港地」
フォーレ 死者のためのレクイエム
サン=サーンス 交響曲第3番「オルガン付」

第99回(47年4月21日フェスティバルホール)
モーツアルト 交響曲第40番
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
独奏:野島稔
スクリャービン 交響曲第4番「法悦の詩」


※この当時の、大阪フィルの活動記録をみると、津々浦々で出張演奏会をやっているのがわかる。オケマンたちはさぞ大変だったことだろう。

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4 大阪フィルハーモニー交響楽団第206回定期演奏会 指揮:山田一雄 独奏:リン・ハレル


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 さて、当時もう一人、客演指揮者の演奏を聞いているのが、いわゆる日本の楽壇で揺るぎない存在だった山田一雄だ。この指揮者は、マーラーの交響曲を日本の聴衆に紹介するのをライフワークにしていたという点で、ブルックナー紹介における朝比奈隆と似通ったところがある。けれど、指揮ぶりは朝比奈とはまさに対極にあり、まるでバーンスタインのように情熱にまかせて激しく動く振り方をする。小さな身体を思い切り前後左右に動かして踊りまくる指揮姿は、生前のマーラー自身もかくや、と思わせた。
 笑い話として、山田一雄は指揮棒を飛ばしてしまうどころか自分が(勢い余って)客席に飛んで行ってしまう、などというジョークがよく話されていたぐらいだ。
 ただ、この激しい指揮が、大阪フィルにはプラスに働いたかどうか? 当日の演奏ではアンサンブル的にガタガタだったことを記憶している。ブラームスの交響曲第2番はマーラーなどよりずっと聴きやすい曲調なのだが、どうもこの日の大阪フィルは、山田のタクトにうまくついていってはいなかったようだ。とにかくアンサンブルの乱れが気になって、演奏に集中しにくかったことしか思い出せない。
 チェロのリン・ハレルは、ちょうどこの頃めきめき売れっ子になっていたソリストで、この人が弾くシューベルトのアルぺジョーネ・ソナタをFMで聴いてとても惹きつけられた。この日のドボルザークも、本当にしみじみと聴き惚れる演奏だったはずなのだが、これもやはり記憶が曖昧だ。よほど、オケの出来が悪かったのだろう。
 山田一雄の場合、大阪フィルへの客演はそれほど多くない。これ以前には、第121回定期演奏会のドボルザークの交響曲第8番があるだけだ。山田と大阪フィルはあまり相性がよくなかったのだろうか。それとも、やはり東京での仕事が多すぎて大阪での登場の機会は少なかったということなのだろうか。
 その後数年して、この名指揮者は亡くなってしまう。筆者はギリギリのタイミングで、その実演に接することができたので、これは幸運だったといえる。
 マーラーを愛好するリスナーとして、筆者はビギナーの頃からマーラーをよく聴いていた。だが山田一雄のマーラーは、この当時の筆者の好みには合わなかったに違いない。何しろ、最初に聴いたマーラーがアバドの指揮する交響曲第1番『巨人』だったので、精緻を極めたアンサンブルが、マーラーには不可欠だと思い込んでしまったのだ。その点、山田の指揮によるマーラーは、ダイナミックで情熱的ではあっても精緻なアンサンブルを実現できているとは言い難かった。もちろん、当時の日本のオケの実力による部分もあっただろうが、やはり指揮者の資質の違いが大きかったのだろう。
 筆者にとって、この当時、日本人指揮者の振るマーラーで満足いくものは、小澤征爾とボストン交響楽団の演奏と若杉弘の指揮した演奏ぐらいしかなかった。日本人指揮者と日本のオーケストラによる実演で、マーラーに満足したのは、こののち若杉弘が大阪フィルを指揮したマーラーの7番が初めてなのだった。


※引用
《1991年8月31日、日本楽壇の重鎮、山田一雄氏が急逝された。78歳だった。氏は亡くなるまで、新星日本交響楽団名誉指揮者、京都市交響楽団顧問、日本指揮者協会副会長、日本マーラー協会会長などの要職にあり、第二次大戦前から戦後まで、一環して日本楽壇とともにあった。いわば、日本のクラシック音楽受容史そのものを生きてきた音楽家だった。》(『クラシック辛口ノート ひらかれたリスナーのために』渡辺和彦 洋泉社)


※演奏会データ

大阪フィルハーモニー交響楽団
第206回定期演奏会



指揮:山田一雄
独奏:リン・ハレル

プロコフィエフ 組曲「キージェ中尉」より
キージェの誕生
ロマンス
キージェの結婚
トロイカ

ドボルザーク チェロ協奏曲ロ短調

ブラームス 交響曲第2番ニ長調


1985年2月18日
大阪 フェスティバルホール





 ともあれ、80年代前半の大阪フィルの定期演奏会で、筆者は朝比奈隆以外の指揮者が振った回の方に多く行っている。ビギナーリスナーだった筆者は、出来不出来の激しい朝比奈より安定した客演指揮の方を好んで聴いていたのだ。
 この前後の大阪フィル定期への客演指揮者は、秋山・山田のほか、岩城宏之、外山雄三、尾高忠明という、この当時の第一線級の名指揮者が登場している。大阪の聴衆は、ずいぶん恵まれた音楽状況にあったといっていいのではあるまいか。
 のちに在阪オケの常任となるトーマス・ザンデルリンク、ウリ・セガルも大阪フィルの定期に客演している。この両者とも、大阪フィルの指揮台で活躍したのちに、大阪シンフォニカーや大阪センチュリー交響楽団の常任指揮者になり、90年代の大阪のオーケストラ文化に大いに貢献してくれた。まさに大阪フィルの定期演奏会が奇縁を呼んだというべきだろう。


※定期演奏会での演奏ぶりはともかく、朝比奈隆&大阪フィルの録音によるレコードは、ベストセラーリストに顔を出していたようだ。

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※この年、85年には、名だたる海外有名オケが、人気指揮者たちとシンフォニーホールで公演している。

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※なんと、小澤征爾もこの当時、大阪フィルに客演して、しかも尼崎市のアルカイック・ホールなど地方公演までやっていたのだ。


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※小澤征爾が大阪フィルを率いて、高松市から徳島、和歌山、尼崎、徳山、と地方巡業をしていた時の演奏は、実に貴重なものだっただろう。聴いてみたかった。



次回

【関西オーケストラ演奏会事情 〜20世紀末から21世紀初頭まで】 朝比奈隆と大阪フィル、1980〜90年代 第3回 朝比奈隆と大阪フィルの成長、フルトヴェングラー交響曲第2番日本初演やチャイコフスキー、幻のバッハ

https://note.com/doiyutaka/n/n8e3e3f7b21a3#SZB37


※まとめ読みはこちら

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関西オーケストラ演奏会事情





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