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「音大&音楽現場取材」編 4  (2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)

「音大&音楽現場取材」編 4

(2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?)




2005年8月某日

 久しぶりに音大に来た。夏休み中は大学に来てもあまり知り合いがいないし、自分は自分で何かと忙しかったのだ。
 第2キャンパスに行くと、けっこう学生が大勢いる。今日は約束があって来たのだが、ロビーのソファに座っていると、2階から下りてきたオーボエの学生(木管五重奏を取材した人)が、私の前に腰を下ろして、しゃべりだした。
学生:「お久しぶりです。今ちょうど上で練習してたんですけど、今すっごいスランプで、煮詰まってて、気分転換に出てきたんです」
Q:「ドイツ行ってたんでしょ?」
学生:「いえ、ザルツブルグです。講習会があって」
Q:「前にコンクール受けたのとはまた違うとこ?」
学生:「それはドイツのデトモルトっていうところです」
Q:「みんな、夏は海外に行ってるみたいだね」
学生:「そうですね。4回生は多いですね。卒業後のこともあるし」

 このオーボエ学生のほかに、フルート学生はフランスで講習会に参加していたし、学生オーケストラのコンサート・ミストレスは、ロンドンで先生についてレッスンを受けていたという。音大生は、やはり海外で修行を積まないといけないのか。それなら、最初からヨーロッパの音楽大学に入ったほうが早いのかもしれない。
 いくら東京芸大に行っていても、それでも卒業後は海外でキャリアを積む人が多いらしい。いつまでたっても、日本は音楽の自給自足が成立しない後進国のままなのだろうか。親の立場で考えると、高い学費を払って音楽大学に行かせても、卒業後、さらに東京や海外に修行に行かなくては一人前になれないなんて、そんな大変な職業を子供が目指すとなれば、どれほどお金がかかるだろう。医者や弁護士のほうがまだましかもしれない。
 それでも、子供を音楽家にしたいという親は大勢いるのだろう。たとえ音楽家になれたとしても、ソリストとして世界の第一線で活躍するのは、ほんの一握りで、あとはその日ぐらしに近いような薄給で四苦八苦している現実を、どれだけの親たちがわかっているのだろうか。音楽の教師なんて、余りまくっているというのに。
 などとつい悲観的に考えてしまうのだが、目の前の音大生たちは、ごく普通に、自分のやりたい道を目指してがんばっているのだ。願わくば、実力をつけて、熾烈な競争を勝ち抜いて、晴れて有名なオーケストラの奏者やソリストとして活躍してほしいものだ。




2005年9月某日

 音大はまだ夏休み中だが、キャンパスはまるで授業が始まっているような活況を呈している。
 それもそのはず、9月にはいろんな講習やテストがあり、さらに10月初めに学生オペラの公演があって、その練習のために声楽やオーケストラは早くから準備している。
 正門脇の学生食堂で、顔なじみの声楽のテノール学生と少ししゃべった。
Q:「オペラ、今回はタミーノ(モーツァルト『魔笛』の配役名)でしたね。どうですか、前の『ラ・ボエーム』の時と比べて」
学生1:「いや、全然違う役ですし、王子役って、実際、本当らしくみせるのが難しいですよ」
Q:「あなたはイタリアの歌が専門でしょ? ドイツ語で歌うのは、どんな具合ですか」
学生1:「そりゃ、やっぱり、イタリア語に比べたらやりにくいですよ。でも、まあ、それも経験ですしね。モーツァルトは前にもやってるので」

 この学生オペラは毎年、附属のオペラハウスで秋に公演がある。授業の発表だが、この音大の声楽・管弦楽の総力を結集して行われる。数年前から、オペラの歌詞も台詞も原語でやるようになったという。監修している声楽の先生によると、実際にオペラ歌手として海外で仕事をするには、語学力は前提となっているからだという。オペラで、歌は歌えても台詞が言えないなどということは通用しない。
 歌手は、オーディションで選ばれる。オーケストラは、授業メンバーから選抜される。指揮はオーケストラ授業を指導しているプロ指揮者、演出はオペラハウスの独自公演でも活躍しているプロの演出家、舞台監督やスタッフもベテランのプロである。
 今年はモーツァルトの『魔笛』を、ダブルキャストで2日間やるという。全て原語で、本来のジングシュピールとして、ほとんどカットせず上演する。
 この日、指揮者先生に頼んでオーケストラ練習を見学させてもらった。いつもの第2キャンパスの大教室ではなく、附属の中ホールでの練習である。舞台にのっているメンバーは、モーツァルトのオペラなのでいつものブラームスより半分ぐらいの人数だ。弦楽器は3、4回生中心で、管楽器も金管はトランペットとホルンぐらい、木管もいつもの半分しかいない。
 指揮者先生が、練習を始める前に話をしてくれた。
Q:「仕上がりはいかがですか?」
先生:「そうですね、夏休みを挟んで、学生さんがなかなかモーツァルトの音を思い出してくれませんよ。それでも、昨日よりだいぶよくなってます」
Q:「オペラのピットに入ると、音響がぜんぜん違うといいますね」
先生:「そりゃ、聞こえ方が全く変わります。だから、実際にGPでやって、本番でやって、それでもまだ調整が必要です」
 さて、練習が始まった。いつものコンサートミストレスがチューニングして、序曲から通していく。有名な『魔笛』の序曲だが、この指揮者先生は、かなり早いテンポをとった。聞くと、音大の使っていたのは古い版の楽譜で、それを今回新しい版に変えたのだそうだ。
 オーケストラのインスペクターの学生に聞いてみた。
Q:「楽譜が変わると大変ですか?」
学生:「そりゃもう、えらいことなんです。まず、小節の数が違ってたり、微妙に音符が違うのを、全部訂正しないといけないんです」
Q:「自分たちで?」
学生:「ええ、パート譜まで新しくしてくれたらいいんですけどね。古いパート譜を書き直したんです。あと、ボーイングっていう、弦楽器の弓使いですけど、全然変わってしまうから、これも全部書き直して。ほんま大変でした」
 学生たちの苦労の甲斐あってか、序曲はなかなかしっかり演奏できていた。しかし、オペラ本編に入ると、そうはいかない。なにしろ、歌がないまま、伴奏の練習をするのだ。みんながちゃんとこのオペラを聴いたことがあればいいのだが、そうでもないらしく、しょっちゅう、指揮者が場面の説明をしながら曲を進めていく。はてさて、オペラを熟知している歌手たちと合わせたら、いったいどういうことになるだろうか。いささか心配になってきた。オーケストラは、まだやっとオペラの曲の予習をしているといった段階である。
 しかし、それも無理はないかもしれない。聞けば、例の楽譜の変更で、実際にこの曲の練習に取り掛かったのは、夏休みに入ってからだったらしい。その後、学生たちは自分の課題を休み中それぞれこなしていて、最近ようやくこの曲をまた取り出したという感じだ。学生オペラとはいえ、声楽は早くから授業で取り組んでいるが、オーケストラは、授業では自分たちの公演の練習をしていて、このオペラの演奏は、いわば課外活動のような扱いだからだ。それだけ、オーケストラはひっぱりだこだからいいとも言えるが、負担は大きいだろう。
 みていると、弦楽器はそうでもないが、管楽器のメンバーは、ほとんどどの公演の場合も、主要メンバーは同じなのだ。これでは、大忙しで大変だろうと察することができる。それだけ、オーケストラの管楽器は難しいのだろう。あるいは、管楽器の学生の人数は多いが、腕の立つ学生は一握りしかいない、ということなのだろうか。案外、それが真相かもしれない。
 とにかく、オペラ『魔笛』のオーケストラ練習は進んだ。しかし、なにしろオペラは長いし、練習時間は短い。全部通すことができないまま、練習は終わった。
 取材するうち気づいたのだが、声楽はオペラハウスに出ている歌手が音大の卒業生ばかりで、歌手の学生とプロの学生の間には、確固たる先輩・後輩関係があるようだ。プロ歌手の先輩たちの指導を受けることも、できるようである。
 ところが、オケの方は、そうはいかない。音大付属のオペラハウス専属の管弦楽団は、純然たるプロのオーケストラだが、メンバー自身はあまりここの音大と関係がないらしい。つまり、声楽の場合のように、オケ奏者が音大の学生の先輩だという関係性ではないのだ。
 せっかく同じオペラハウスを使って公演したり発表したりするのに、オーケストラの授業と、プロのオペラハウス管弦楽団の活動はリンクしていない。せっかくのプロ・オーケストラを、大学が授業に活用できるようにしないのが不思議である。これでは、何のための大学附属のオペラハウスだかわからないではないか。


※この間、筆者はこの1年の小説取材のメインディッシュというべき、オペラ『沈黙』(遠藤周作原作 松村禎一作曲)の東京公演の密着取材があった。

『2000年代物書き盛衰記〜 ゼロ年代真っ最中に小説家商業デビューした私だがなぜか干されてしまって怪しい評論家もどきライター兼講師に?』
その3 小説家として商業デビューしたとたんに転落が始まったこと


このオペラ『沈黙』の密着取材の前段階として、指揮者の山下一史氏が指揮するモーツァルトの歌劇『コジ・ファン・トゥッテ』の公演取材をしている。

(改訂2024年9月) 【関西オーケストラ演奏会事情〜20世紀末から21世紀初頭まで】第0回その1 《特集「モーツアルト生誕250年 モーツアルトのオペラ その制作現場」(文芸同人誌「関西文学」より転載)》


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関西オーケストラ演奏会事情






2005年9月23日

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/