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【関西オーケストラ演奏会事情〜20世紀末から21世紀初頭まで】1980〜90年代 第8回大阪フィルと若杉弘の名演 ファウストの劫罰&ペール・ギュント 他


【関西オーケストラ演奏会事情〜20世紀末から21世紀初頭まで】1980〜90年代
第8回 大阪フィルと若杉弘の名演 ファウストの劫罰&ペール・ギュント 他


※写真は土居豊所蔵のパンフレットなど

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1 若杉弘と大阪フィルの演奏


※若杉弘プロフィール 
〈2012年7月30日 (2017年6月27日更新) (CDジャーナルより)〉

《1935年5月31日、東京生まれの指揮者。1963年東京芸術大学卒業後、NHK交響楽団指揮研究員となり、カイルベルト、ロイブナー、マタチッチ、サヴァリッシュ、アンセルメなどの薫陶を受ける。1963年、東京交響楽団を指揮してデビュー、1965年、読売日本交響楽団常任指揮者に就任し、数々の20世紀音楽を初演する。1977年、ケルン放送交響楽団首席指揮者となり、ベルリン・フィルを初めとする欧米の主要なオーケストラに客演。1981年からライン・ドイツ・オペラ音楽総監督、ドレスデン国立歌劇場およびシュターツ・カペレ常任指揮者、バイエルン国立歌劇場指揮者を歴任するなど、オペラ指揮者としてもキャリアを積む。1986~95年、東京都交響楽団音楽監督、1987~91年、チューリヒ・トーンハレ協会芸術監督。1995年からNHK交響楽団正指揮者となり、東京芸術大学教授として後進の育成にも努めた。2007年には新国立劇場オペラ部門の芸術監督に就任し、日本を代表するオペラ指揮者として活躍。09年7月21日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去。74歳。》


 前回書いたように、若杉弘の実演は大阪フィルの定期演奏会で何度も聴いた。前回取り上げたマーラーの7番ののちも、1990年のベルリオーズ「ファウストの劫罰」、1995年のグリーグ「ペール・ギュント」全曲、1996年のモーツアルト3大交響曲、などだ。
 その度に感銘を深めていったのだが、若杉弘の演奏の一つの頂点というべきは、1997年に大阪国際フェスティバルに客演し、急逝したチェリビダッケの代役でマーラーの交響曲第9番を指揮した演奏だろう。



※演奏会データ

指揮:若杉弘
管弦楽:ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団


曲目
マーラー
交響曲第9番ニ長調

1997年4月4日
大阪 フェスティバルホール
大阪国際フェスティバル ガラ・プルミエール

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 この演奏会の前年、大阪フィル客演の定期演奏会の最高潮と言えるのが、96年のモーツアルト「3大」交響曲だった。
 そこへ至る、若杉の大阪フィル定期客演の流れを、順を追って書いていく。




2 ベルリオーズ 劇的物語「ファウストの劫罰」



※演奏会データ

ベルリオーズ
劇的物語「ファウストの劫罰」作品24
全4部 20場

指揮:若杉弘
ファウスト:林 誠
メフィストフェレス:木村俊光
マルグリート:松本美和子
ブランデル・地上の声:有川文雄
合唱:相愛大学音楽学部(指導:大森栄一)
関西学院グリークラブ
同志社グリークラブ
大阪フィルハーモニー合唱団(指導:岩城拓也)
大阪すみよし少年少女合唱団(指導:松前幸子)

大阪フィルハーモニー交響楽団

1990年11月26日
大阪
フェスティバルホール


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 筆者が「ファウスト」という名前を知ったきっかけは、五島勉『ノストラダムスの大予言』だった。小学生のころちょうど「ノストラダムス」ブームで、おそるおそる読んでみた。その本にノストラダムスという中世の医者についての信憑性の証拠として、かのゲーテが『ファウスト』の中に紹介している、とのくだりがあった。
 けれど、子どもだった筆者には、ゲーテや「ファウスト」よりもノストラダムスの方が身近だった。順序が逆になったが、大予言のことを紹介しているというのは、のちに『ファウスト』を読んだときに確認した。
 もちろん、ノストラダムスは五島勉氏の紹介したおどろおどろしいイメージより本当はもっとまともな人物なのだが、ゲーテが戯曲に描いた「ファウスト」の方も、実際は別におどろおどろしくはない。
 クラシック音楽を聴くようになって、まずゲーテに関連する曲を聴いたのは、「ファウスト」ではなく「ウェルテル」の方だ。といっても有名なマスネの歌劇「ウェルテル」ではなく、マーラーの交響曲第1番のことだ。
 この曲のレコードを買ったとき、解説に「これはマーラーにとっての〈ウェルテル〉だ」という説明がされていて、そこで「ウェルテル」の存在を知った。
 ゲーテの作品でまず読んだのは『若きウェルテルの悩み』だが、強く引きつけられたのは『ファウスト』の方だった。戯曲で、何しろやたら長いので、悲劇の第1部だけでも十分、読み終えるのに苦労した。物語自体はそう難しくないのだが、場面が多く、無関係な(と当時は思えた)人物が大勢登場して、ストーリーを追うのに苦労したのだ。
 だが、物語としては面白く読んだ。何より、思春期だった筆者自身、グレートヒェンが14歳だということでとても身近に感じられた。それで、14歳の女の子が、いくら悪魔の力で若返っているとはいえ、ファウストという老人に恋するなんて、と信じられない思いで読んでいた。
 もう1つ、ベルリオーズの『ファウストの劫罰』の曲名だけは、中学生のとき知った。それというのも、中学の吹奏楽部で『ラコッツィ行進曲』を演奏したのだ。この曲は、元はベルリオーズの『ファウストの劫罰』の一部分なのだ。元々の曲があんなに長い管弦楽と声楽つきの音楽だとは、そのころは全く知らなかった。



※参考音源

https://www.hmv.co.jp/artist_ベルリオーズ(1803-1869)_000000000021028/item_『ファウストの劫罰』-小澤征爾&ボストン響、バロウズ、マッキンタイア、マティス、他(2SHM%E2%88%92CD)_3920912

ミュンシュ同様、ベルリオーズ作品を積極的に採り上げていた小澤征爾。ソリスト、合唱、大編成オーケストラを見事に統率した名演です。単品としては7年ぶりの復活。(ユニバーサルミュージック)
【収録情報】
ベルリオーズ:劇的物語『ファウストの劫罰』op.24
ファウスト:スチュアート・バロウズ(テノール)
メフィストフェレス:ドナルド・マッキンタイア(バス)
マルグリート:エディット・マティス(ソプラノ)
ブランデル:トマス・ポール(バス)
「地上のエピローグ」のバス・ソロ:トマス・ポール
「天国にて」のソプラノ・ソロ:ジュディス・ディキスン
タングルウッド音楽祭合唱団
ボストン少年合唱団
ボストン交響楽団
小澤征爾(指揮)

録音時期:1973年10月
録音場所:ボストン、シンフォニー・ホール
録音方式:ステレオ(セッション)
歌詞対訳付き



 それで、肝心の若杉の指揮だが、下手するととりとめのないオペラもどきになってしまうこの大曲を、さすがのまとめ方、というべき演奏で聴かせた。とにかく楽曲の中で独唱とオケの絡みが多く、あのだだっ広い旧フェスティバルホールで、ソリストとオケのバランスを取るのは至難の技だったはずだ。
 若杉の指揮で聴くと、大曲であればあるほど、安心して聴ける。これは類稀なオケのコントロール力と共に、作品を誰よりも深く理解しているがゆえの、確信に満ちた指揮がなせる技であろう。
 若杉がゲーテを深く読み込み、ベルリオーズの超ロマン派というべき壮大な音楽を熟知しているため、演奏のどこかに様々な瑕疵やミスがあっても、そんなものは気にならないのだ。長大な1つの楽曲としての本作を、最後まで見通しよく進行させる手腕は、尋常なものではない。
 楽曲の見通しをつける、という点で、前回紹介したマーラーの交響曲第7番の場合と、同じ要素がある。一見、バラバラで整合性の取れないような楽曲の構成を、若杉は細部を疎かにしないのに1つの確かな見通しで貫き、リードする。その力量は、次に紹介する劇音楽「ペール・ギュント」の場合はもっと飛び抜けている。音楽作品の枠をこえて、劇全体の総合演出家に成り切っているようなのだ。




3 グリーグ「ペール・ギュント」全曲



演奏会データ

エドヴァルド・グリーグ
ヘンリック・イプセン 作
劇音楽「ペール・ギュント」全曲


指揮:若杉弘
ペール・ギュント:松本幸四郎
オーゼ、老いたソルヴェーグ:南 美江

ソルヴェーグ:岡坊久美子
アニトラ、山羊追いの女、魔法使いのトロル:藤川賀代子
緑衣の女、山羊追いの女、若いトロル:渡邊順子
イングリッド、山羊追いの女、トロルの少女:鹿崎弘美
式部官、盗品買い:伊藤正
ドヴレ山の魔王、闇の声、ボタン作り師、泥棒:木川田誠

合唱:オペラハウス合唱団(合唱指導:岩城拓也)
ハルダンゲル・フィーデル:岡田英治
副指揮:富岡健

大阪フィルハーモニー交響楽団

1995年7月14日
大阪
フェスティバルホール


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 『ペール・ギュント』は、おなじみの管弦楽組曲は知っていたし、有名な「朝」の曲は高校生の時に吹奏楽アレンジで演奏したので、好きな音楽の1つだった。けれど、この劇、物語は今ひとつよくわからなかった。
 そもそも、ペールが遍歴する意味がどうも納得がいかず、ノルウェー人というのは奇妙な伝説を愛しているのだなあ、と思っていた。いまでは、あれは祖先のヴァイキング譲りの生き様なのではないか、と納得している。
 この時の大阪フィルでの全曲演奏、対訳を読みながらの演奏会だったのだが、松本幸四郎の怪演もあって、非常に説得力ある上演となっていた。上記の演奏会データをみても、なんとも贅沢な配役で、まさに画期的な上演だったのだ。


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 若杉弘が客演するときの大阪フィルは、まるで別のオケのように精緻で多彩な響きを発していた。もちろん大阪フィルは、朝比奈隆のオケというイメージから、ドイツ的、という定評が確立していた。
 だが、フランス系の指揮者ジャン・フルネの客演で聴いた際、素晴らしい響きを聴かせたことからも、大阪フィルが意外に、ドイツ系のがっしりした構築感の音楽よりも、フランス系、ラテン系のふんわりした雰囲気をうまく奏でることに向いていたのではあるまいか?と思っている。そのことは、確かフルネ自身も何かで語っていたように記憶している。
 若杉の場合、もちろん音楽的ルーツはドイツ系にあるのだが、フランス系、ラテン系の楽曲も得意だし、現代曲の初演を数多くやってきた指揮者だ。何しろ多彩な響きと大編成の管弦楽を操る類稀なる指揮の技術を持っているため、大阪フィルから、かつてないほどの色彩感を引き出すことができたのだろう。


※参考音源

https://www.hmv.co.jp/artist_グリーグ(1843-1907)_000000000020483/item_『ペール・ギュント』全曲、『十字軍の兵士シグール』-ヤルヴィ&エーテボリ響_1500373

グリーグ:
①劇音楽「ペール・ギュント」全曲
②組曲「十字軍の兵士シーグル」
 バーバラ・ボニー(S)、他
 エーテボリ交響楽団&合唱団
 ネーメ・ヤルヴィ(指揮)




4 モーツアルト「3大」交響曲

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/