キリンジの『ナイーヴな人々』のようにnoteをみる
僕はひねくれている人間が大好きだ。そっちの方が味があるし、面白いからである。
また、そういう人たちが紡ぐ文章を読むのも好きだ。穿った視点から物事を捉えていて、こんな風に世界が見えているんだと少しうらやましくなる。
そして、そういう人たちは多くの場合何かしらを抱えている。それは病気であったり、社会に対する生きづらさであったりだ。
抱えているからひねくれたのか、ひねくれていたから抱えることになったのかは僕の知るところではないが、とにかくそういう人たちが多い気がしている。めちゃくちゃ偏見で申し訳ない。
ただ、そういう人たちの文章は、従来は作家になったりエッセイストになったりして出版されるか、小さいところでは新聞の投書くらいでしか見かける機会はなかった。
しかしどうだろう、今ではネットが発達してブログや掲示板にて様々な文章を読むことができるうえ、書き込まれる文章はひねくれもんのものばかりで最高である。
記事タイトルの曲の歌詞の中に、
『世界をそうっと 美しくしてくれるのは そういう人だ そうだろう?』
というものがある。これに僕はいたく同意する。そこに至るまでのアプローチは多分違っているのだろうが、結果的に僕はそういう人たちの見る世界の美しさに生かされている部分がある。
noteを暇つぶしがてら見ていると、プロフィール文にHSPであったり鬱であったり、そういう何かしらを抱えている人をよくお見掛けする。大抵、その人の書く文章はなんとなく人と違って面白く感じるのだ。
少し繊細で、ちょっと面倒くさく感じる人だけども、普段内に秘めてるものを思いっきりさらけ出している感じがしてすがすがしい。是非、これからもその目に映る世界の見え方を紡いだ文字で僕に伝えてほしい。(どこから目線だ
かく言う僕も大概ひねくれているので、もしかしたら誰かには面白く読んでもらえてるかもしれない。そう思いつつ、今週も暇なときに記事を書こうと思うのでした。おわり。
キリンジは最高なのでぜひ聴いてください。