「考えすぎ」と言われたことがあるあなたへ。
土門蘭さんの「死ぬまで生きる日記」を読みました。うつと診断された蘭さんが心理カウンセリングを受け、少しずつ変化していく2年間の記録を書いたエッセイです。蘭さんは自分の心のなかの声に向き合い、心理カウンセラーの本田さんと共に考え続け、それを言葉にして本を書きあげました。1対1のカウンセリング中、本田さんへ伝えることすら苦しかったことをこうして本にされていることになぜだか「ありがとう」と伝えたくなりました。
この本を読んで私自身も蘭さんと一緒に本田さんと対話し、いや、自分自身と対話して、心のどこかに開いた穴の形を確かめていたなぁと思います。穴を見つけてはなんでこの穴の形になったのか、この穴はどう変化していくのか知りたくなったのです。
例えば「なるほど〜」と感じたのは、母性愛と父性愛の話。
自分や自分の家族に当てはめて考えてみると、妙に納得できることがありました。私はおそらく父性愛が不足していて、自分自身の力で社会的な価値を見出すことができません。誰かの賞賛や判断を欲するあまり怖がったり、身を委ねたりしてしまうところがあります。専門的にこれが父性愛の不足と断定して良いのかはわかりませんし、もしかすると母性愛の方が不足しているかもしれない。(専門的な本を読みたいなぁと思っています)。
ただこうして母性愛、父性愛のことを知り、ほんの少し心理学の知識を借りるだけで自分の穴の形を知れた気持ちになれるのです。深く観察するとき、知識は私たちに「客観性」をもたらし、味方になってくれます。
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また、読み終わったとき「私が欲しかったのはこんな話し相手だ!」と思いました。私は時折、根暗トークをしてしまうのですが大抵の場合「ネガティブすぎる」「考えすぎだ」と一刀両断。ただ「自分はこういう性質がある!」という発見を伝えているつもりでも、「ネガティブ」というジャッジを下されることに「なんだかなぁ」と感じることもありました。
蘭さんにとっては本田さんがそうであったように、決してジャッジを下すのではなく、「なるほど、そう思うのですね」「それってどういうことなんだろうね」と一緒に考え、観察してくれる存在が欲しいのだと思いました。ネガティブだって性質ですから。立ち位置はポジティブと同じはずです。そして、これは本田さんに言わせれば「自分自身が”理想の話し相手”になってあげること」できっと解消されていく。私自身が違和感を無視せず一緒に考えてあげることで、また一つ穴を埋められるといいなと思えたのでした。
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「死ぬまで生きる日記」おすすめです。埋められない穴に苦しんでいる人、自分を知りたい人、言葉にしきれていない想いがある人…。そして「考えすぎだよ」と言われても、考えることをやめられない人にぜひ読んでほしいです。
蘭さんの個人的な体験や言葉のはずなのに、きっと共感できる言葉や問いに出会えると思います。