やる理由を探すか、やらない理由を探すか。
巷に溢れる性格診断を受けると、よく言われるのが「飽きっぽい」性質。やりたいことは多い方なので多趣味に思われがちですが、何か一つに熱中することはあまりなく、趣味を聞かれても困ってしまう。「今はこれが気になる」「最近ハマっているのはこれ」とかそういう生き方をしてきました。
そして何かを始めるとき、「今やっていることに飽きたから」という理由ではなく、「Aもやっていたいけれど、それよりもBにも興味があるから」と、興味が移ることを理由に新しいことに手を出してきました。よくよく考えればこれを飽き性というのですが、「飽きる」という過程があまりにも短いため自分が飽き性だと認識するまでに時間がかかったような気がします。
飽き性はあまり良くない印象があったので、そんな自分を「ダメなやつだ」と思うこともありました。だから、興味があっても「やらない理由」を考えてきました。これをやってもなんのプラスにもならない。これをやる時間があるならもっと今の仕事に生きることを…。あれが終わったら、これができたら。
でも、それで何が変わるのでしょうか。何が満たされ、何が得られるのか。飽き性が私の性質ならば、飽きることは前提として「やる理由」を考えてとりあえずやってみる方が自分らしさですらあるような。むしろやってみてから「続ける理由」を探せばいい。「続ける」ことへのハードルに邪魔されて始めることすら億劫になりがちですが、始めることに対してはもっと軽やかであっていいと思うのです。
とりあえず、行ってみる。やってみる。手をつけてみる。
ということで、密かに興味のあったプログラミングの勉強を始めてみました。なんのためかはわかりませんが興味があったからです。就活で最初に受かったのがエンジニア職でした。あのとき、あっちを選んでいたら?と思うと、一度も触れることなく人生を終えることがなんだかもったいないような気がしたのです。
続ける理由がなくなれば人知れず終わりそうですが、それでもやらない理由を考えず「始める」ができた自分のことは少し好きだなと思います。