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長夜の長兵衛 鴻雁来 (こうがんきたる)

青北風あおぎた

 つう、と赤とんぼが横切った。
 銀兵衛は立ち止まり、腰の手拭いを外して顔を拭う。
 風は澄んでいる。
 つう。
 はねは光に運ばれ、赤い竹のようなからだはやがて点になり、消える。
 雲一つない、ただ青いだけの空。まるで時が止まってしまったようだ。
 息をすることも忘れて、銀兵衛は吸われてゆく。ずっとこの青を辿っていったなら、くにへ、繋がるのか。
 つう。
 とんぼの残像だけが動く。

 どのくらい、そうしていたのであろうか。
 ひゅう、と北風に頬を打ち据えられ我にかえった。
 いつの間にか雲が生まれている。それは流れ、流れて銀兵衛を誘う韻律となり、足はおのずと前へ前へ。
 あたりは刻々と赤味を帯び、遠くの空を雁が連なる。来て、かえって。わたしも今日を巡り、ところを巡る。それだけのこと。

 今日は、青北風あおぎたに逢うたのだ。湯豆腐をつつきながら、銀兵衛は言う。
 長兵衛が怪訝な顔をする。青い、なんとな。
 ああ、くにの言葉だ。よう晴れて、気持ちの良い道中であったということよ。


<了>

青北風
九、十月頃の晴天の日に吹く北風で、もとは西日本の船言葉

夏井いつきのおウチde俳句くらぶ



 pixabay AC by dimitrisvetsikas1969

 本年の鴻雁来は、10月8日〜10月12日頃。遅れながらも続きます!


 鴻雁北が3月30日〜4月3日頃。七十二候は、季節の巡りが対になっているものがいくつかあります。


 こちらからは、ビューワー設定により縦書きでご覧いただけます。
 また、以前に執筆しました二十四節気の物語と、今回の七十二候が順に並んで出てまいります。
 長兵衛をお楽しみいただきやすくなっているかもしれません。



お気持ちありがとうございます。お犬に無添加のオヤツを買ってやります。