もう一度ドビッシー
ドビッシー(Claude Achille Debussy)の小品が好きで。
中学にあがるとき、習っていたピアノを止めたのだけれど、その頃に弾いていたのが「子供の領分(Petite suite pour piano seul)」の六つの組曲に、「アラベスク(Deux Arabesques)」。
久しぶりに譜面台に載せてみると、大切な宝物を取り出すような気がする。
あの頃子供心にも、美しいだけでなく面白い旋律と和音だなあ、と思った。
もっと記憶を遡ると、電子オルガンを弾いている少女の姿。床にまだつかない足が、ぶらぶら。幼稚園から帰ってきて、おゆうぎの曲を再現しようとしている。両手を使っているから、メロディーに伴奏をつけているのだろう。
おとがあつまると、こんなにもたのしい。
おうちにせんせいが来てくれていた。大学生のおねえさんの大きな手は、オクターブを超えて、ドから上のミまで届く。バイエルの下巻には連弾があって、せんせいと二人で音を重ねることが、ただただ心地良かった。
発表会で「人形の夢と目覚め(Theodor Oesten 作)」を弾く。ちいさな私は緊張なんてしない。
おねえさんが卒業して、後輩のおねえさんになって、さらにそのお二人を教えていた先生、のところへ通うことになった。確か小学四年生だった。
市のコンクールで「かっこう(Louis-Claude Daquin 作)」を弾く。出番までの間、病気になったのかと思うくらい気分が悪く、これが「あがる」という現象だと発見する。演奏は練習どおりにできて「金賞」をいただいた。五、六人いる金賞の中から一人か二人が選ばれて、県大会へ行けるというシステムなのだった。
おねえさんたちの先生は、思い出せる限りいつも同じ表情だ。きっと笑ったことだってあったろうに、記憶にあるのはいかめしい顔つきと口調。
寒い朝、手がかじかんでいてうまく弾けない、けれどもそう言えない。
「なんだ、手が冷たいんじゃないか、こっちへきてストーブにあたりなさい」
今思えば、オジサンの精一杯の心遣い。でも私の手も気持ちもかじかんだままで。あちらもまた、小さな女の子をどう扱ったらいいかわからず悪戦苦闘していたのだろうか。
何か指摘されるたび声にならない「ひっ」という思いで、胸が詰まってくる。レッスンの日が来ると、足が痛い。成長痛、というのだと言われても、痛いものは痛いよ行きたくないと泣く。
学校の休憩時間、同級生達がオルガンの周りで盛り上がっている。サビの旋律にうっとりして、連弾による音の広がりに心を掴まれる。ヤマハ音楽教室に通っているという二人は嬉しそうに教えてくれる。これは前に習った曲で、私たちもうすぐ次の級にあがるよ。
ヤマハに変わりたい、楽しそうだし曲も素敵だし、級がもらえるし。母にいうと一蹴される。
毎日の練習をうっかりサボれば、ゴールデンタイムのドラマの一番いいところでテレビのスイッチを切られた。
「一日休むと、取り戻すのに三日かかる。三日休めば一週間、一週間休めば一ヶ月」
練習しなさいともっと早い時間に言えばいいものを、母もなかなかに意地の悪いところがあった。
ピアノやめたい、というと。
「あんたからピアノとったら何が残るの」
そうかピアノを弾かない私は、居てはならないのかも。
六年生のある日、突然決意する、今度こそ県大会へ行く。今までになく練習に熱を入れ、いろんなピアノを弾いてみようと、学校の音楽室にも行く。
あれ、きれいな音がする。自分の出す音は、他の子と違う。音楽の先生とも違う。こういうふうに弾いたら、音を変えていくことができる、もっと心地良くなれる。
毎日練習するとはどういうことなのか、なぜ自分はピアノを弾いてきたのか、その意味合いが彗星のしっぽのように通り過ぎた瞬間だった。
コンクールで「『子供の領分』より、グラドゥス・アド・パルナッスム博士(Claude Achille Debussy 作)」を弾く。自分史上最高。金賞に名前が呼ばれる、よし。
県大会出場者は。
「あのとき小学生にして、自分の才能はここまでと見切りをつけたわけ」
大学生になってから、母にその話をしたことがあった。
私は中学にあがる直前に、持病のため療養を余儀なくされ、それをきっかけにピアノをやめた。続けるかどうするかと母に聞かれて、一も二もなく即答したものだ。
あの時ねえ。
ご挨拶に行ったら、先生はとても機嫌が悪かった。自分のところをやめて、先生の師匠につくんだろう、って勘繰ったみたい。
あんたが弾き終えたとき、先生は間違いなく県大会って思ったらしいよ。でもほら、師匠の生徒さんばかり選ばれるから。
本当にピアノはやめさせるんだ、ってわかってからはすごく惜しがってた。こんな子はなかなかいないんだ、って。
お母さんもお父さんも、本当に残念だった。あんなに上手だったのに。
はじめて褒められたのである、母から、そして先生からも。
その時に言ってよと思ったけれど、不思議と清々しい気持ちの方が強かった。そうだよね、私、いい音が出せてたもん。
褒められることもなく目にみえる級のようなステップアップの表示もなく、他人の評価に呑み込まれそうでいながら、音楽の扉のノブを掴んで入り口に立っていた。
あの時、とおり過ぎていった彗星のしっぽは、本物だった。
仕事も創作も惑いの真っ只中にあって、油断するとすぐ他人軸に振り回されそうになる。
向き合っているものに真摯であれ、と思う。納得できるまで探して、探しつくて、たのしいに戻ってゆけ。
だから、もう一度ドビッシーに向かう。
お気持ちありがとうございます。お犬に無添加のオヤツを買ってやります。