「ああ、今日も無意味な1日がはじまった」と目覚めた瞬間に思ったことから考えたこと
先日、朝目が覚めた瞬間に「ああ、今日も無意味な1日がはじまった」と思った。我ながらぞっとした。起きたまさにその瞬間にそんなこと思うなんて自分いかれとるなとぞっとした。
それをきっかけにその日1日考えたことを書く。ぐちゃぐちゃだけど。
そもそもなんでそんなことを、起きた瞬間の寝てるんだか起きてるんだかの状態で思ったのか。それは、疑う余地なく仕事の影響。上司の指示で仕事をするわけだが、その指示に対して「それまじ意味ねえっすよ」と言いたいことがこれまでもほぼ毎日あったが、その朝までの3日間くらいは、「まじ意味ねえっすよ」の濃度がかなり高かった。その指示通り動くのが嫌すぎて、トイレにこもって泣いたぐらいだ。ここでの「意味がない」は、それをやっても目標達成にはつながらないと思う、とか相手の気持ちを考えたらそれをやりたくないとかそんな感じだ。
「無意味な1日がはじまった」と思った理由は以上のように単純なものだが、私にとってこの「無意味な1日がはじまった」が衝撃だったのは、自分が無意識のうちに人生に「意味」を見出していて、それに従って生きることを求めているのだなということに気づいたからだ。
わたしは、ずっと「人生に意味などない」と思ってきた。ただ人間は遺伝子が運ばれてきて生まれて生きてる、それだけ、そう思って生きてきた。
大学生の時ドイツ哲学の授業で、「自分が生まれてきたことには何らかの意味があると思う」にYesかNoで答える場面があったが、Yesが8割ぐらいでとっても驚いたことを覚えている。多くの人がそんな風に考えているのかと。
でも、「意味がある」派にも共感できる部分はかなりある。人生はあまりに辛かったり悲しかったり不条理だったりする。それをどうにかやり過ごすためには、「この辛い人生にも意味がある」と思わないとやっていけないから。
でもやっぱり自分にとって人生に意味があるとしても、それは後付けに過ぎないとずっと思ってきたし、「意味」を深く追求しようとかはまったく意識したことがなかった。
それなのに、あの朝「無意味な1日がはじまった」と思った。そんなことそれまで思ったことがなかったのに。その1日が「無意味」であるなら、それまでの毎日は、自分にとって意味あるものであったということではないか。
このことに気づいて驚いた。
ずっと「意味なんかない」と思ってきたのに、ほんとは毎日知らず知らずのうちに人生に意味を見出し、それに従って生きてきたんだということに気づいた。
学生時代とか自分の好きなように過ごせる時間がたんまりあって、色んな行動を指図されずにできてた間には、気づかなかったけど。
「意味」っていうと大げさな感じがするけど「大切にしたいこと」というとよりしっくりくる。新しいことを学んだり、いろんなことをちゃんと深く考えたり、ごはん美味しいとか、ごはんめっちゃうまく作れたとか、風が気持ちいいなとか、花がきれいとか、星がいっぱいとか、犬がかわいいとか、そういうことが自分にとっての人生の「意味」なのか、と。自分なりに「意味」が形作られていて、それに従って生きてきたのだな、実は。
そしてその「意味」を大事に生きることが幸せなのかな、とか思う。けど、「無意味な1日がはじまった」と思ってしまうような日々でも別に不幸ではないのだけど。
仕事で「まじ意味ねえっすよ」が積み重なっても、自分なりに小さな「意味」をにぎって生きていこうと思う。