新自由主義に適応できないってことなのかもしれない。いつか自分らしく働けるように。
学生を卒業して、専業で働くようになってまだ日が浅いのだけど、「優秀な人材」とか「生産性が高い」とか「出世できるよ」とかそういうものに関心がないし、魅力を感じない私にとって、上司が、うわべでは私のやる気を出させるために、おそらく実際には私を上手くあやつって、会社の利益を拡大させるために、日々私にかける言葉が私にとっては、拷問である。
上司「今もっと主体的に動いて、結果出して、そしたら将来的にもっといい条件で、お給料いっぱいもらって働けるんですから。長く働いていく中で、どうやって自分の格をあげるのか。どんどん上げた方がいいでしょ。周りからヘッドハンティングされるぐらい、仕事できるようになった方がいいでしょ」
私の心の声「いやべつに給料上がらなくても田舎で細々暮らしていければそれで満足である。「仕事できる」とかそういうのより、のんびり穏やかに過ごしたいし、毎日お勧めできないものをお勧めする電話ばっかりかけてお金持ちになるくらいなら、正直に誠実に身の丈に合った生活を営みたい。あなたの言う「格」とは、どれだけ経済的な利益を生み出すか、というような意味のような気がするが、そんなことばかり考えて生きる、そんな「格」を上げるために生きることは私にとっては大変空虚なことである。」
上司「心理学の本を読んでください。どうしたら人ともっと仲良くなれるのか。あとは、成功した経営者の本とか。私は200冊ぐらい読んだんですよ。」
私の心の声「心理学の本を読むとしたら、私は自分の心や大事な人の心を知りたいから読むのであって、あなたが言うような「人と仲良くなる」ために、つまり私の言葉でいえば「人にとりる」ために読むということはありません。またあなたが言う「成功」は私の中にはない概念です。そういった「成功」に興味はないので読みません。」
上司「単純な仕事するより難しい仕事してスキルを付けた方がいいでしょ。将来のために」
私の心の声「仕事の「単純」とか「難しい」ってあるのか。私は仕事に卑賤はないと思う。だから、「スキル上げよう」「優秀な人材に」とかそういう言葉でやる気は出ません。ただ一生懸命誠実にやれば、はなまるです」
こんな風に日々「拷問」にあっている。
自分の価値観と、経営層との価値観とはまるで違っていて、だから「ありがたい言葉」は私にとっては「拷問」で。彼らが間違っているとは言わないけれど、私は違う考え、ものの見方、価値観をもっている。
どうしたってやっぱり私は、人間を「生産性」とか「仕事の能力」とかではかるようなことになじめない。
今はただ、こうしてもやもやむずむず泣きべそかきながら会社にいくしかないのだけど。自分なりにどうしたら楽に生きられるのか、どうしたら自分らしくのびのび過ごせるのか、まだ分からないから。
だけど、いつか自分が大切にしたいことを大切にして生きていける方法を見つけたい。あせらず、色々試したり、考えながら、これなら我慢できるかな、これなら納得して進めるなとか、色々試行錯誤していきたいと思ってる。