作業用BGMをめぐる冒険
音楽は表現
作曲者や演奏者にとって、音楽は表現活動である。まず表現したいことがあり、それを歌詞やメロディに託す形で作曲が行われる。そして、曲に込めたメッセージがより鮮明に伝わるように歌い、演奏し、時にはアレンジする。
聴き手はその表現をしっかり受けて止めているだろうか。それは人によるだろう。しっかりと歌詞カードを読み込んだり、アーティストの生きざまを補助線にさらに深く理解しようとする人がいて、一方でそうでない人もいる。
聞き流しという暴挙
今回のテーマは作業用BGMである。文章を書いていたり、excelで単純作業をしていたりするときに垂れ流すものだ。
本当に身勝手な聴き方で申し訳ない気持ちになる。しかし、何しろ自分は集中するのがヘタくそなのである。だから作業用BGMの選定は生活の重要な要素であり、試行錯誤の対象となるのだ。
作業用BGMについて、自分の中での考え方が少し固まってきたかなという感触がある。ちょっと書いてみようと思う。
良い作業用BGMの条件とは
まずは自分がたどりついた、良い作業用BGMの三大条件を示す。
①思考をさえぎってこないこと
これは言わずもがなである。歌詞に共感している場合ではないのだ。また、アルバム中で急に曲調が変わったりするのも困る。集中モードがブツ切りになり、twitterやnoteの更新をチェックしてしまい、気づけば1時間コースというオチが待っている。
②長時間であること
作業用BGMが5分で終わってしまっては話にならない。次の曲を探すために自分が動かなくてはいけないからだ。なので、基本的にアルバムをまるまる聞くか、「作業用BGM」を探すことになる。
③出だしはテンションの上がるものであること
作業の出だしは集中モードに入っていない。むしろ「面倒くさいなぁ」などと思ってしまっているものだ。そんな自分を鼓舞し、作業に向かわせるだけのパワーが必要である。
邦楽はバツ
まず邦楽が候補から消える。歌詞が思考に入ってくるためだ。集中に入りかけている状態から歌詞の解釈に持っていかれるとダメージが大きい。一度引き戻されたら最後、肉体が勝手にtwitterとnoteの更新を確認し始め、しばらく戻ってこれない。
洋楽は△
邦楽がダメとなると、候補にあがるのが洋楽だ。実際、一時期の主流は洋楽だった。よほど集中しない限り、歌詞の内容が頭に入ってこないことがポイントである。
洋楽を聴くとき、その楽曲の世界観やメッセージはどう受け止められるだろうか。きっと曲やアルバムのタイトル、聞き取れた単語、メロディラインなどを手掛かりに脳内でイメージを形成するのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。
この脳内イメージは極めて自分好みに形成される。だから、洋楽は心地よく聴ける。しかし、困ったことに歌詞カードを熟読すると、想像と全然違うということがよくある。この時、ねじれた現象が生じる。実際の歌詞よりも、勝手に作った脳内イメージの方が自分好みであるため、その曲に対してシラけてしまうのだ。本当に身勝手な聴き方である。
その傾向を自覚しているため、「気に入った洋楽を嫌いになりたくない」という恐れが存在する。そこで、気に入った曲が流れているとき、「歌詞を聴くまい」と思ってしまうのである。
これは完全に能動的な心の動きであり、作業への集中は断ち切られることになる。こうなってくると作業用BGMとしてはイマイチである。最近は、歌詞も含めて好みであることが判明済みの、馴染みのある曲しか聴いていない。
ゲーム曲は〇
邦楽、洋楽と歌詞が存在することに問題があることが分かってきた。つまり、自分にとっての解は歌詞の存在しない音楽になるわけだ。
かなり有力なのが、ゲームのBGMである。特にサガシリーズのBGMは秀逸で、ロマサガ3、サガフロンティア、サガフロンティア2のBGMは作業に最適だった。また、ごく最近オクトパストラベラーをプレイしたのだが、こちらも良曲が揃っていて素晴らしい。
考えてみると、ゲームの曲というのは繰り返し聴かれることを想定して作られているだろう。RPGの戦闘BGMなんて、幾度となく聞くことになる。聴き飽きないように工夫がされているはずだ。そして、程よい疾走感や盛り上がりも確保されている。かなりオススメである。
ちょっとした問題がある。プレイしたことのないゲーム曲には何か手の付けづらさを感じるのだ。そして困ったことに、自分のゲーム経験は貧しい。極端にゲームにハマりやすい性質を持っているため、高校2年ぐらいからほとんどゲームを絶って生きてきたのである。
なので、ゲーム音楽というジャンル自体はいいのだが、実際にはとても狭い選択肢からBGMを選ぶことになっている。お気に入りの作品についてはもう飽きるほど聴いてしまった。ある程度間隔をあけながら聞く必要が生じており、メインの作業用BGMとすることができない。
数年前、UNDERTALEの実況動画を観たことで、そのサントラを購入したがとてもよかった。プレイしないにせよ、未知のゲームの実況なども見て開拓しておくといいのかもしれない。
インストゥルメンタルは◎
ということで、最近たどり着いたのがインストゥルメンタルである。実のところ、インストゥルメンタルというジャンルは、音楽に詳しかったり、楽器を弾くような人たちのものだと思い込み、敬遠していた。
しかし、聞いてみるとこれが大変いいのである。思考をさえぎってこない。詩がなくてもイメージは明確だ。
意外な長所もあった。洋楽の時に悩みのタネになってしまった「脳内イメージが形成され、それを損ないたくないと思ってしまう」という問題が起こらないのである。作品をどう受け止めるのかが、ほぼ100%聴き手に任されている。自分の解釈が脅かされるリスクがないというのは存外心地いいもので、これがリラックスに一役買っているのだ。
最近のお気に入りはDE DE MOUSEである。人間の声をサンプリングして効果的に使っているので、厳密にはインストゥルメンタルとは分類されないのかもしれない。とはいえ、あくまでも声であり、言葉にはなっていない。
彼のアルバムは1枚1枚、明確にコンセプトが決まっており、アルバムのジャケット、楽曲のタイトル、そして音楽そのものから、かなりクッキリとしたイメージを得ることができる。
『sunset girls』というアルバムが特にお気に入りで、子ども時代の夏休みの帰り道をイメージする。極めてエモい。特に『day all stars』という曲はエモエモである。エモエモのエモである。
PVを貼れるものでいうと、『farewell holiday!』はオモチャの国に迷い込んだような感じ、『be yourself』はかわいい女の子とさわやかな日常を過ごしているというようなイメージだ。
コンセプトがハッキリしているため、アルバムが終わるまで世界から引きはがされることがないのも魅力である。
自然音は不安定
音楽でなく、自然音を垂れ流すという方法もある。焚火の音、小川のせせらぎ、雨音、小鳥のさえずりなど…
結論からいうと、これはうまく行く時とそうでないときの差が激しい。今気づいたのだが、これは「出だしはテンションの上がるものであること」という条件を満たしていないからだろう。だから、作業に取り組む初動の段階で躓いてしまうことが多いのだ。
一度集中できてしまえば、とても強いのだが。
なお、ヘッドホンをつけずに自然音を流すと、周辺の音が混ざってきてなかなか楽しいことが起こる。焚火の音、小川のせせらぎ、鳥のさえずり、PCファンの音、誰かの靴の音。
存在しえない情景はなかなか興味深いのだが、集中できるかといえば全くそんなことはない。
ということで、こんなテーマで3000文字を超えてしまった。本当に自分の思考の整理という感じだが、面白がってくれる人が一人でもいてくれたら本望である。