朝井リョウ『何者』はグサグサくる
「就活を題材にした、なんかメンタルに来るやつ。」
そんな前情報をもとに、オーディブルで聴いてみた。
うっすらとした予想として、「就活というシステムを批判的に描き、一石を投じたりするのかな」などと思っていた。
実際は違った。
主題は就活に翻弄されるなかでむき出しになっていく若者たちの自意識だ。恐ろしや。
意識高い系の3類型
まず本作で目立つのは、いわゆる「意識高い系」だ。主要人物がけっこう絞られているにも関わらず、実に3人が該当する。ただし、この3人には微妙な違いがある。
典型的な意識高い系:クリエイティブな界隈との交流を匂わせたり、成功者の思考に染まったり、難しそうな本を開いて見せたり。まさに意識高い系
自覚的な意識高い系:自分が何者でもないという自覚を持ちつつも、意識の高い言動で武装するしかないと悟っているタイプ。自身のカッコ悪さをわかっていても、他に選択肢がないのだと覚悟を決めている。
本当に意識が高い人:口先だけでなく、行動が伴っている人。表面的な言動は意識高い系と似ているのだが、本質的には別のタイプの人間。
自分も「本当に意識が高い人」と「意識高い系」は見分けるべき、ぐらいのことは思っていたが、さらに高い解像度での描写は勉強になった。
好感の持てない主人公
本作を聴いてて困るのは、主人公に全然好感が持てないことだった。場面場面でみると、主人公は友人たちに気を使いながら、冷静に周囲を見ているようにも見える。
だが、そうはいっても自分の意見を言わなすぎる。陽気な友人のカラミも受け流してばかりだし、好意を抱いている女友達が傷ついている場面でも、言葉を探し続けるだけで結局たいしたことを言わない。
とにかくあらゆる場面で、主体性というか、本人の意志が見えてこなくて、好きになれなかった。だが、終わってみれば「そのように設計されたキャラだった」と深く納得するしかない。
怒涛の終盤
終盤にたどり着くと、いよいよ主人公の位置づけが露わになる。彼はどんな意識高い系よりもカッコ悪い、「冷笑系の観察者」だった。
主人公の本性が暴かれ、一気に追い込まれるのと時を同じくして、本作の叙述トリックもさく裂する。
「一本とられた~」という叙述トリックの快感と、主人公の苦しみが同時に襲い掛かってきて、こちらの脳みそがグチャグチャにされてしまった。
しかもオーディブル1.2倍速で聴いているわけで、想像を絶する畳み掛けだった。こちらのダメージが深すぎて、ちょくちょく一時停止しないと精神がもたなかった。
これは凄い体験だった。
自分は何者だろうか
本作は、言ってしまえば「自分は何者でもない」という現実を受け入れられない若者たちが、意識の高い言動や冷笑系のスタンスで自分を守ろうとするが、最後には受け入れるという話である。
読み終えて少し考えた。自分は本作でいうと、どのタイプに該当するだろうか。まあ博士課程に進んだわけで、就活とはちょっと違う道を進んでいる。単純比較はできないのだが。
似ているのは「意識の高い人」だろう。全力で学問に没頭する、という意味では行動は伴っていた。それは胸を張って言える。
じゃあ自分は自分は「何者か」になれたのか?
うーん。まあ…ボチボチでんな。