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菅浩江は北方謙三と遭遇しない(たぶん)

(※この原稿はほぼ10年前に書かれたものであり、扱われた情報ならびに価値判断が古く、現在とは異なるところがありますが、当時のノリを重んじて加筆改稿は最低限にとどめていることをお断りしておきます。)

母の不在

 菅浩江が17歳の若さで書いたデビュー作「ブルー・フライト」(『そばかすのフィギュア』所収)は、次のような象徴的な文章で始まる。

 リノリュームの床はブーツの踵がひっかかってうまく歩けない。まとわりつくように足をひっぱっては、不満そうにキュッと音を立てる。

「ブルー・フライト」

 作品の主人公は、しっかりと歩行することができず、「よろめく」ことを自分の基本姿勢としているかのようだ。じっさい、主人公の少女アヤは、作品の最初から最後までよろめき続けることになるだろう。

 アヤは、航宙士コースで訓練を受けるエリート学生である。作品の舞台となるのは宇宙開発が賑やかし頃イケイケの時代背景となっている。ただこの時代にはひとつだけ問題点があった。フツーの人間では宇宙の空間と闇と孤独に耐えられなかったのだ。そこでアヤのような「ティビー」がその任務を任されるようになったのだ。「ティビー」とは、遺伝子操作によって優秀な人間を作り出すべく設計された試験管ベビーのことである。

 よってアヤには、卵子はあっても子供を包み込む肉体を持つような母親はいない。代わりにガラスでできた青いペガサスのオブジェがあるばかりだ。そのガラスの母は、アヤに対して「翔びなさい、アヤ」という命令を発し続ける。アヤは母の声に同調すると同時に反発もしている。こうして「翔びたい」と「翔びたくない」の間で、アヤは揺れ続けることになる。作品の最後の1行はこうだ。

 彼女は、その二つの世界の境界線でペガサスが翼をうちふって駆けるのを見たような気がした。

「ブルー・フライト」

 「二つの世界の境界線」の間でよろめき揺れることの身振りのうちに、菅浩江の言葉は生成されるといってよい。日本SF大賞候補作となった『誰に見しょとて』は、化粧にまつわる「見せる私」と「見られる私」の境界が主題となっていたし、『末枯れの花守り』という作品では、燃え上がるような情熱の炎(作品では「花心」と呼ばれている)を中心に、あちら側へ越境するかこちら側に留まるかという「揺れ」が物語化されていた。

 このような世界は普遍的な性格のものであって、昭和のフェミニズムにおける「女性の自立」とか、男女に関係なく思春期における「自我の確立」とかいった問題に通じるものだろう。精神分析から見れば、「私とあなた」という母子密着的な二人称の世界(「想像界」といえる)から、母と決別した後一人称を確立して三人称の世界(父的な「象徴界」と呼べる)へと参入する成熟のドラマともみなしうる。むろんのこと、そこにはアヤを脅かす「優しい母の不在」という耐え難い苦痛がある。江藤淳は、アメリカの心理学者エリクソンを参照しつつ、自立を強いられるアメリカ人男性の原型的イメージを、フロンティアを求めて西へ西へと放浪の旅に出る孤独なカウボーイの姿に求めている(『成熟と喪失』)。

 なるほど制度が確立したアメリカ東部とは違って、未開拓地西部は無法者どもが跋扈する世界であり、法の保護すらあてにはできない西部の人間は否が応でも自立せねばならない。「ブルー・フライト」のアヤが翔び立とうとする宇宙は一種の西部とも言える。ことによると「ブルー・フライト」の先には女戦闘士が活躍する『バイオハザード』のような世界が拓けたのかもしれない。けれども菅は、そちらの方向を選ばなかった。菅が選んだのは『永遠の森 博物館惑星』のような世界である。


見出された母と西部の変質

 この作品の舞台となるのは、「アフロディーテ」という女性名を持つ、地球の軌道上に浮かぶ巨大な博物館である。そこには万全なコンピューター・システムが備わっており、データベースと直接接続した学芸員たちのもとへと運び込まれる作品にまつわるささやかな物語が連作短編集の形式を借りて語られてゆく。この作品は、かつて向田邦子が描いたホームドラマのようなテイストを持っている。菅は、アヤが持つことを許されなかった「母親」を見出したと言えよう。

 『永遠の森 博物館惑星』が刊行されたのは、2000年のことである。このころはインターネットが急速に普及した時期に当たっている。90年代に「秋葉原」が「アキバ」に変質を遂げたのと並行するように、インターネット空間は「オタク」に対して格好の母胎空間を提供した。『永遠の森 博物館惑星』の「アフロディーテ」という女性名を持つ博物館は、言うなればアキバのようなものである。

 SFにおいてインターネットと言えば、『ニューロマンサー』(ウィリアム・ギブスン)が思い出されるが、1984年に発表されたこの作品(邦訳は1986年刊行)におけるネット空間は、先ほど述べたカウボーイがさすらう西部としてあった。じっさい主人公は「コンピュータ・カウボーイ」と呼ばれている。「サイバーパンク」という言葉に象徴されるように、『重力が衰えるとき』とならんでハードボイルドなタッチが特徴的である。『ニューロマンサー』の主人公ケイスは、ハードボイルド小説のヒーローたちに似ている。

 ハードボイルド小説の本家であるハメット、チャンドラー、マクドナルドたちは、サンフランシスコやロサンゼルスといった「西部」の都市を舞台にして作品を書いた。ハードボイルド小説の源流には、無法者どもが闊歩する西部劇があり、孤独なガンマンたちがいる。フィリップ・マーロウやリュウ・アーチャーといった多くのハードボイルド小説の主人公が都市部の単身者であるのは、地域共同体という秩序が崩壊した世界の住人であるからだ。事実、リュウ・アーチャー・シリーズは家庭の悲劇(崩壊)を事件の中心に据えた作品が多い。

 1984年には荒んだ非情の世界のようなものとしてあったネット社会およびネット空間は、90年代以降には「萌え~!」という言葉が咲き誇る、荒野からは限りなく遠いアイドルの聖地と化していた。

昭和から平成へ

 SFにおける昭和から平成への移行は、ハードボイルドからアイドルへの移行という現象に反映しているのだと思う。平成におけるインターネットのような電脳空間を舞台にしたSF作品は、『ニューロマンサー』に見られたアナーキーな肌触りを喪失し、リアルな世界ではうだつの上がらないオタクが電脳空間で解放されるというスウィートでソフトなものへと変質していった。そこに一種の豊饒さはあるとはいえ、反面、心身における貧しさが露呈していることも否めない。西部のような荒野を生き延びるには知恵や体力が必要とされるからだ。

 インターネットというデジタルな技術は、便利な反面、『ニューロマンサー』が湛えていたアナログな野性っぽさ(パンクさ)を欠落させている。平成に書かれたミステリは、『不夜城』や『池袋ウェストゲートパーク』といった作品を生み出したが、両作品の登場人物たちは、「コンピュータ・カウボーイ」たちとアナログな野性を共有していた。新宿や池袋と秋葉原の差異は、アナログとデジタルの差異でもある。女性のハードボイルド小説の書き手桐野夏生の「村野ミロ」シリーズもまた、新宿歌舞伎町を舞台にしている。桐野作品は、ハードボイルド小説にふさわしく、秩序の崩壊した荒野を生き延びる女性を描くことが多いが、福島原発事故以後の世界を描いた『バラカ』は、荒野において、金銭で人身売買された少女を中心にして新しい共同体を築き直そうとする新局面を見せた。

 新宿という町は、渋谷と比べると、よくも悪くも、平成化に失敗した町なのであろう。渋谷には、かつてチーマーやコギャルが跋扈して、新宿に似ているところもあるのだが、IT企業も多くデジタルな側面もある(「日本のシリコンバレー」と呼ばれもする)。

 もうひとつSFにおける昭和から平成への移行を象徴するものと言えば、イラストレーターの生頼範義のパワフルな画風がSFの世界において存在感を弱めていったことにあるのではないか。生頼は、平井和正や小松左京といった昭和な重量感のある作家たちとタッグを組むこと多かった。小松左京のSFは、物理学を背景にしているといってよく、そういう意味では「重厚長大」であったが、デジタル技術に基づいた「軽薄短小」とは相性が悪く、平成においては存在感を失っていった。生頼範義の絵は、男は男くさく、女は女くさく、ひたすら暑苦しいものであった。そこには平成イラストのさわやか男子や女子の気配はこれっぽっちもうかがえはしない。

 男くさくあること、女くさくあること、暑苦しくあること、こうして並べていくと平成のSFに欠けているものがじんわりと浮かび上がってくる。現在の日本SFが決定的に欠落させているもの。それは「北方謙三の顔面」である。


物書きにしておくのがもったいないほどの顔面ぶり!

菅浩江が北方謙三に対抗するには夢枕獏の協力が必要だ

 昭和のSFとともにあった物理学とりわけ熱力学のぎらつくような暑苦しさ。それは時代遅れのものかもしれない。「AI」テクノロジーとやらに夢中のような瀬名秀明のクールな佇まいこそが平成SFおよびSFの未来を象徴するものなのかもしれない。

 だがしかし、往年の三船敏郎とも張り合えそうな「北方謙三の顔面」にわが日本SFは、たとえそれが「顔」のレベルとはいえ、打ち勝っているのであろうか?(ちなみに北方は直木賞および吉川英治賞の選考委員であり、このレベルでは完全に引けを取っている)。

 海外のSFに目を移して、サイバーパンクの創始者ギブスンはどうだ?『ニューロマンサー』の邦訳が出た当初は作者ギブスンの顔写真は公開されていなかった。どんな顔をしているのだろうか、とずっと興味を持っていたのだが、90年代になってようやく早川書房の文庫の裏表紙でギヴスンの顔を拝めることができた。見てずっこけた。典型的なオタク顔だったのである(映画『ダイ・ハード4』でブルース・ウィリスの相棒役だったハッカー青年のほうがイケメンに見えてしまう)。「パンク」でこれはないだろう。せめてサングラスにマスク姿とか、歌舞伎メイクをしてみるとか、ピエロのマスクをかぶるとか、アメリカ映画だったらチャールズ・マーティン・スミスが演じるような割の合わない3枚目みたいな素顔はできる限り曝してもらいたくはなかった。ギブスン以外にも、不良が売りのハーラン・エリスンにしたって、灰汁のないエルトン・ジョンみたいな顔をしていてとても北方謙三の顔面には太刀打ちできそうもない。イギリスのバラードが耽美な色気を漂わせているのだが、サンフランシスコを舞台に活躍する『ダーティーハリー』のキャラハン刑事の敵役のニューロティックな犯罪者のようで、ケンゾー(ここからは「北方謙三」ではなく「ケンゾー」になっている)の西部の荒くれ顔にはやはり負ける。

 ましてや良家のお嬢さん風の菅浩江では・・・・・・せめて黒澤明の『隠し砦の三悪人』(ルーカスの『スター・ウォーズ』の元ネタ)で三船を手こずらせた上原美佐のような野性味があってくれたらと、思わずにはいられない。菅および菅作品には「村野ミロ」シリーズの新宿っぽさはないし、山形出身のあき竹城の土着パワーがあるわけでもない。菅は京都の生まれである。容姿と出身地と作風が似合いすぎているだろう。飛躍をするためには、どこかでバランスを崩さなくてはならない。持って生まれた「京都くささ」から解放されなければならない。関西地区でいうならば、神戸や芦屋では絶対にいけないし、兵庫なら尼崎といったところか。大阪でいえば、釜ヶ崎とか、あるいはプロ野球界の番長こと清原和博の出身地である岸和田とか(ちなみに私の祖母の父方の血筋は岸和田の出で、明治に創設された岸和田小学校の初代校長は私の高祖父である)。九州男児であるケンゾーに対しては公家のオーラだけでは足りない。ここは助っ人が必要である。

 助っ人としては『末枯れの花守り』の文庫解説を書いた夢枕獏がやはり適任であろう。ケンゾーと同じく、夢枕も、その作品において「男」と書くところを「漢(おとこ)」と書いて恥じるところはない。「つまづいたっていいじゃないか。にんげんだもの」(相田みつを)という言語感覚に匹敵する、あるいはそれ以上の蛮勇さにはかなりの期待が持てよう。格闘技オタクだというからケンゾーの好敵手となりうる可能性大である。ただし「オタク」という一語が若干ひっかかる。「格闘技オタク」は「格闘技の良きプレーヤー」であるのか?オタクの「K1」選手というのは何人かいたような気もする。夢枕の顔面はと言えば、ひげ面が男臭く、格闘技ふうにも見えるが、眼鏡の着用がオタク性を導入してもいる。全体の印象としては、たんなるフツーの醜男というにすぎず、ケンゾーと比べると、横綱と平幕くらいの差がついてしまっている。これではいけない。なにもジャニーズであれなどと要求などしてはいない。欲しいのは昭和のワイルドさだ。夢枕には、昭和のアクションスターのひとり宍戸錠を見倣ってもらいたい。宍戸が「ハードボイルドな悪役」に徹するために自分の頬にシリコンを入れて、悪役顔を作ったことはあまりにも有名。

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   夢枕獏さんは好々爺すぎる

 資金難でリオ・オリンピックでの活動が危ぶまれたナイジェリア・サッカーチームに四千万円を寄付した剛毅で太っ腹な高須クリニック院長のもとへと出向いて、「オレにワイルドな顔面をくれ」と頼んでみたらどうか。肉体改造は『ニューロマンサー』の重要な作品要素でもあったはず。1984年へと、すなわち昭和のSFへと、いったん時間を巻き戻してみよう。「AI」のスマートさよりも「コンピュータ・カウボーイ」のハードボイルドさが懐かしい。

 桐野夏生が直木賞をとれて、菅浩江がそれをとれないのは、「コンピュータ・カウボーイ」のハードボイルドさの有無に起因しているような気がしてしまうのだが。はたして菅浩江と北方謙三の遭遇はあるのであろうか。やっぱりありえないかな・・・・・・たぶん。

1984年の音楽およびそのアンチ

 1984年を中心とする話題だったので、そのあたりの音楽プラスそれ(80年代)とは真逆の世界観を。1984年で思い出されるのはTears For Fears。といっても彼らの音楽を聴いた時に感じたのは、サウンドよりメロディ志向の強さを感じて70年代のミュージシャンではないかと思ったほど。メロディ・メイカーとしては卓越していたと思うが、ビートルズのジョージ・ハリソンからはわれわれの二番煎じだろうと揶揄されていた(あながちハズレではない)。曲は「Mothers Talk」。

 次いでジョー・ジャクソンの「You Can’t Get What You Want」。ジョー・ジャクソンは贔屓のミュージシャンで、この人も80年代とはちょっと違う硬骨漢だと思っていた。好きな映画である『タッカー』の音楽担当だと知って、さもありなんと思った。

 邦楽からは安全地帯の「恋の予感」。JALのキャンペーン・ソングであった。安全地帯は当初から70年代のミュージシャンだと、ずっと思っている。メロディの構築のされ方や歌詞の世界観も含めて。彼らは北海道出身であり、東京23区からはこの音楽は出てこないと思った。強いて言えば中央線沿線からは出てくると思った。

 次いで岡田有希子の「ファースト・デイト」。岡田有希子も80年代のアイドルというよりは、70年代のアイドルで、岡田奈々の系譜の人のように感じる。あの痛ましい最期は80年代とすれ違ったかなあという印象である。

 1984年と言いながら70年代っぽい音楽が取り上げられたが、80年代キャラのドナルド・トランプへの拒否感が作用している。2021年の連邦議会襲撃事件で、トランプの息の根は止まったと、私は思っていたが、トランプ的なものの世界への浸透ぶりは不気味な広がりがあるようだ。ちょっと嫌な感じを抱いている。トランプ的なものと真逆なものを思い出したので書いておく。直接の面識はなかったのだが、私が通っていた大学の先輩が自主製作映画で、大ファンだった『ウルトラQ』のオマージュ作品を作ったことがあった(70年代後半の話である)。『ウルトラQ』のナレーションを担当していたのが、俳優の石坂浩二であった。件の大学の先輩はダメもとで石坂にナレーションを打診したところ、石坂は快く引き受けてくれた。また、ここのところの記憶は定かではないのだが、ギャラのことで、石坂は学生さんということで、破格の低ギャラあるいはタダでこの仕事をしてくれたのだという(あるいはメロンパンの提供だったかもしれない)。トランプだったら、しっかりと「ディール」しているんじゃないかと推察される。大学1年生の時この話を聞いて以来、石坂浩二には好意を持っている。ラストの音楽は石坂浩二が作詞を担当した、1972年のテレビドラマの主題歌「さよならをするために」(ビリー・バンバン)。


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